サハラを貫く交易路 ー塩と金 から 人と馬へー
日本人が抱く「月の砂漠を越えてゆくラクダのキャラバン」のイメージは、サハラの風景だと思う。
そんなわけで、ふと借りてきた世界史リブレットシリーズの「サハラが結ぶ南北交流」。
このシリーズは薄い割に高くて、資料としてはいいんだけど、文章が少なくてザッと流しているぶん、読んで楽しいとかいうものでもなく位置づけ的には「社会科資料集」。とはいえ社会科資料集には社会科資料集なりの使い方もあるわけで、統計資料などは豊富。
とりあえず知りたかったのは、サハラを陸路(ラクダ)で通っていた隊商のルートだった。
エジプトからマグレブを通過して西アフリカに通じる交易路は、エジプトの西方砂漠に位置する「シーワ・オアシス」を経由する。ここまでは知っていたのだが、シーワを出たあとのルートを知らなかった。
9-11世紀の交易ルートはこうなっていたらしい。
カイロ→シワ(シーワ・オアシスのこと)→アウジラ と経由していき、そこから複雑に分岐していく。
この時代はもうエジプトはアラブ支配なので、古代エジプト王国時代やビザンツ時代の残り香はあまりないわけだが、それでも地中海との貿易の窓口としての機能は一応まだ持っていたようだ。アレキサンドリアとチュニスを結ぶ交易の内容も載っていた。
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チュニス→アレク
珊瑚、絹
アレク→チュニス
インディゴ、亜麻、丁香、麝香、婦人用ヴェールと上質絹織物
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ヴェールや上質な織物があるあたり、なんとなくその後のアイユーブ朝エジプトとヴェネツィアの交易を思わせる。
これら多様な交易品の取り扱いは最初からそうだったわけではなく、まず生きるのに必要不可欠な塩、そして権利者の富としてわかりやすい金を交換することから交易路が開かれ、次第に商品が多様化していったというのがザックリした流れのようだ。そして砂漠を超えた交易路は、やがて地中海を越えて、ヨーロッパの国々とも繋がっていく。
ヨーロッパでは、金貨の鋳造にアフリカ産の金が必要とされたのだ。
ヴェネツィア製の服っていうと貴族用の洒落たアレとか思い浮かべるわけだが、…トンブクトゥの人にソレ、似合うのかな…(汗
というわけで、アフリカとヨーロッパの海を越えた交易が始まるわけだが、大航海時代の闇の歴史を知っている人ならもうご存じの通り、それは「奴隷交易」の歴史でもあるわけだ。
奴隷交易は、ヨーロッパ人が現地で人間狩りをしたわけでは決してない。そういう例もあるのだろうが、現実にはアフリカ人自身が部族間抗争や戦争の結果として捉えた捕虜、邪魔者などを売り飛ばしたことによる。アフリカ諸国の王たちは、アフリカでは手に入らなかった軍馬を欲しがったのだった。場所によるが、奴隷10~20人ごとに馬1頭という交換比率だったそうだから、いかに人間の命が安く扱われていたか。
こうして、平和で幸福な交易の時代は終わる。が、サハラを越えていく隊商の姿が消えてしまったわけではない。
今でも、遠い村に岩塩を売りに行くラクダの商隊は生き続けている。
そんなわけで、ふと借りてきた世界史リブレットシリーズの「サハラが結ぶ南北交流」。
このシリーズは薄い割に高くて、資料としてはいいんだけど、文章が少なくてザッと流しているぶん、読んで楽しいとかいうものでもなく位置づけ的には「社会科資料集」。とはいえ社会科資料集には社会科資料集なりの使い方もあるわけで、統計資料などは豊富。
とりあえず知りたかったのは、サハラを陸路(ラクダ)で通っていた隊商のルートだった。
エジプトからマグレブを通過して西アフリカに通じる交易路は、エジプトの西方砂漠に位置する「シーワ・オアシス」を経由する。ここまでは知っていたのだが、シーワを出たあとのルートを知らなかった。
9-11世紀の交易ルートはこうなっていたらしい。
カイロ→シワ(シーワ・オアシスのこと)→アウジラ と経由していき、そこから複雑に分岐していく。
この時代はもうエジプトはアラブ支配なので、古代エジプト王国時代やビザンツ時代の残り香はあまりないわけだが、それでも地中海との貿易の窓口としての機能は一応まだ持っていたようだ。アレキサンドリアとチュニスを結ぶ交易の内容も載っていた。
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チュニス→アレク
珊瑚、絹
アレク→チュニス
インディゴ、亜麻、丁香、麝香、婦人用ヴェールと上質絹織物
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ヴェールや上質な織物があるあたり、なんとなくその後のアイユーブ朝エジプトとヴェネツィアの交易を思わせる。
これら多様な交易品の取り扱いは最初からそうだったわけではなく、まず生きるのに必要不可欠な塩、そして権利者の富としてわかりやすい金を交換することから交易路が開かれ、次第に商品が多様化していったというのがザックリした流れのようだ。そして砂漠を超えた交易路は、やがて地中海を越えて、ヨーロッパの国々とも繋がっていく。
ヨーロッパでは、金貨の鋳造にアフリカ産の金が必要とされたのだ。
マリの王はヨーロッパ製の赤いムタンファスという服を好み、トンブクトゥではヴェネツィア製の服が非常な高値で売られていた。マグリブの商人たちは、ヨーロッパの商人たちがマグリブに持ち込んだ織物を、サハラの南に再輸出することにより、ヨーロッパの商人たちに売る金を獲得した。
ヴェネツィア製の服っていうと貴族用の洒落たアレとか思い浮かべるわけだが、…トンブクトゥの人にソレ、似合うのかな…(汗
というわけで、アフリカとヨーロッパの海を越えた交易が始まるわけだが、大航海時代の闇の歴史を知っている人ならもうご存じの通り、それは「奴隷交易」の歴史でもあるわけだ。
奴隷交易は、ヨーロッパ人が現地で人間狩りをしたわけでは決してない。そういう例もあるのだろうが、現実にはアフリカ人自身が部族間抗争や戦争の結果として捉えた捕虜、邪魔者などを売り飛ばしたことによる。アフリカ諸国の王たちは、アフリカでは手に入らなかった軍馬を欲しがったのだった。場所によるが、奴隷10~20人ごとに馬1頭という交換比率だったそうだから、いかに人間の命が安く扱われていたか。
こうして、平和で幸福な交易の時代は終わる。が、サハラを越えていく隊商の姿が消えてしまったわけではない。
今でも、遠い村に岩塩を売りに行くラクダの商隊は生き続けている。

