黄金の産地と初期エジプト王朝の発展について
「黄金の世界史」を読んでいて、やはり注目はエジプトさんである。
黄金ちゅーたらエジプト。
※ちょっとわかりづらいので色をつけたが、水色の部分は海。
黒っぽく色のついているうち、「ヌビア」と「コプトス」という場所が金の産地。
エジプト周辺には金の一大産地がかつてあった。
それに対し、やはりというか、メソポタミア地方では黄金はほとんど採れなかったようだ。
ですよねーーー!
(´・ω・`)<あいつ何であんなに金ピカなんだろう
あの金ピカ鎧がエジプトさんとの交易で輸入した金だったりしたらけっこう笑える。
や、ていうか普通に在りそうだから困る。
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→後日談
この金ピカの正体はおそらく 鋳造したばかりの青銅 という結論に達しました。
青銅は錆びると緑色だけど鋳造した直後は金色です! これなら時代にも一致するね! YATTA!
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ただ、メソポタミアにおける金の流通量全体はやっぱりよくわからない、
エジプトに「黄金の遺物」イメージが強いのには、とれた黄金を片っ端から副葬品にして墓の中に保管したため現代まで残っているものが多いというのがある。墓にこれだけ入ってるんなら相当量あったんだろう、と推測できるからだ。メソポタミアの場合、墓にそれほど豪華な副葬品を入れることが無く、もっぱら交易などに使っていたため現代に残っている分が少ないので、結局はそれが基準になってしまう。探せば金の輸入量や宝物庫の目録資料なんかも出てきそうなんだけどね。
面白いと思ったのはここからで、最初に挙げた図で分かるとおり、金の算出場所はナイルの上流、すなわち上エジプトに集中している。つまり、統一前のエジプトで豊富に金を手に入れられたのは、上エジプト地域の王だけに限られたはずだ。
金は、権威の象徴であるとともに、それさえあれば傭兵でも技術者でも雇える強みとなる。現代において石油産出国がそれだけで豊かさを約束されているように、金を算出する国は、古代世界において繁栄を約束されていた。
初期の統一王朝が上エジプトから誕生したのは、金の産出地を抑えることが出来たためではないか。
これには、なるほどと思った。というか、エジプトで金の採れる場所は知ってはいたが、それが王権の確立に繋がる可能性は考えたことが無かったので目からウロコである。
エジプトで発達した独自の文字、ヒエログリフの発達は、上エジプトから起こっている。文字の成立はメソポタミアのほうがやや早く、そこからの刺激を受けて似たようで別な独自の文字を発達させていったというのは良く言われる。文字や天文学、建築学など、メソポタミアからの影響が示唆される学問は、金(財力)を使ってメソポタミアから学者や知識者を一定数「輸入」したことによるものかもしれない。
金には、政治経済のみならず、文化や学芸の分野の発達も促す「起爆剤」になり得る可能性があった…ということだ。もしエジプトさんがお手軽に金を掘り出せる環境になかったら、後にピラミッドどっかんどっかん建てたりするような一大発展はなかったのかもしれないなあ…。
文明発達は、ほんま初期のマップ選びが重要やでぇ。
黄金ちゅーたらエジプト。
※ちょっとわかりづらいので色をつけたが、水色の部分は海。
黒っぽく色のついているうち、「ヌビア」と「コプトス」という場所が金の産地。
エジプト周辺には金の一大産地がかつてあった。
それに対し、やはりというか、メソポタミア地方では黄金はほとんど採れなかったようだ。
しかしメソポタミアにおいては、エジプトと違って、紀元前二千~一千年紀の間につくられた金製品の大部分は失われてしまったので、はっきりとしたことは分からない、たしかなのは、メソポタミア自体は金産地ではなかったということである。周辺地方の、たとえばザグロス山脈などから金を採ったともいわれているが、メソポタミアにとって最も重要な黄金供給地は、おそらくエジプトであったに違いない。すでに述べたミタンニ王国のように、エジプト周辺地域の王たちは、こぞってファラオから黄金の贈与を求めたのである。
黄金の世界史/講談社学術文庫
ですよねーーー!
(´・ω・`)<あいつ何であんなに金ピカなんだろう
あの金ピカ鎧がエジプトさんとの交易で輸入した金だったりしたらけっこう笑える。
や、ていうか普通に在りそうだから困る。
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→後日談
この金ピカの正体はおそらく 鋳造したばかりの青銅 という結論に達しました。
青銅は錆びると緑色だけど鋳造した直後は金色です! これなら時代にも一致するね! YATTA!
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ただ、メソポタミアにおける金の流通量全体はやっぱりよくわからない、
エジプトに「黄金の遺物」イメージが強いのには、とれた黄金を片っ端から副葬品にして墓の中に保管したため現代まで残っているものが多いというのがある。墓にこれだけ入ってるんなら相当量あったんだろう、と推測できるからだ。メソポタミアの場合、墓にそれほど豪華な副葬品を入れることが無く、もっぱら交易などに使っていたため現代に残っている分が少ないので、結局はそれが基準になってしまう。探せば金の輸入量や宝物庫の目録資料なんかも出てきそうなんだけどね。
面白いと思ったのはここからで、最初に挙げた図で分かるとおり、金の算出場所はナイルの上流、すなわち上エジプトに集中している。つまり、統一前のエジプトで豊富に金を手に入れられたのは、上エジプト地域の王だけに限られたはずだ。
金は、権威の象徴であるとともに、それさえあれば傭兵でも技術者でも雇える強みとなる。現代において石油産出国がそれだけで豊かさを約束されているように、金を算出する国は、古代世界において繁栄を約束されていた。
初期の統一王朝が上エジプトから誕生したのは、金の産出地を抑えることが出来たためではないか。
これには、なるほどと思った。というか、エジプトで金の採れる場所は知ってはいたが、それが王権の確立に繋がる可能性は考えたことが無かったので目からウロコである。
エジプトで発達した独自の文字、ヒエログリフの発達は、上エジプトから起こっている。文字の成立はメソポタミアのほうがやや早く、そこからの刺激を受けて似たようで別な独自の文字を発達させていったというのは良く言われる。文字や天文学、建築学など、メソポタミアからの影響が示唆される学問は、金(財力)を使ってメソポタミアから学者や知識者を一定数「輸入」したことによるものかもしれない。
金には、政治経済のみならず、文化や学芸の分野の発達も促す「起爆剤」になり得る可能性があった…ということだ。もしエジプトさんがお手軽に金を掘り出せる環境になかったら、後にピラミッドどっかんどっかん建てたりするような一大発展はなかったのかもしれないなあ…。
文明発達は、ほんま初期のマップ選びが重要やでぇ。

