著者が電波すぎたのが問題か。「聖杯伝説 その起源と秘められた意味」

【2017/5/28追加分】

最近の研究をまとめてみたところ、巨石文化がケルト人関係ないことはもちろん、そもそも島のケルトは存在しなかったと(ケルトじゃない別のなにか)いう結論になりました…。

「島のケルト」は「大陸のケルト」とは別モノだった。というかケルトじゃなかったという話
https://55096962.seesaa.net/article/201705article_21.html

なお今まで「ケルト神話」と言われていたものも、島のケルトに属するものは”ケルト”神話じゃなくなります。
アーサー王伝説もケルト由来とは言えなくなりました…。

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タイトルからして何となく怪しい感じ、ページをめくって「うーん…」という感じで、とりあえずは読んでおくかと手にとってはみたいものの、やはりというか内容が半分くらいDENPA入ってたっていう本。

図説 聖杯伝説 ~その起源と秘められた意味
原書房
マルコム・ゴドウィン

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そもそも私は本を読む時、著者の素性だとかプロフィールだとかは見ない。
見ないんだが、読み終わったあとで見ると納得することがしばしばある。この本もそういう本の一つ。


ボリュームの半分くらいは、聖杯にまつわる各種伝説の「あらすじ」なので、この本のあまり適切とは思われない要約を読むよりは原本からの直訳そのものに当たったほうが早い。またあらすじ部分を除くとほとんど価値のある考察が残らず、「読書感想文」臭がそこはかとなく漂う感じがいただけない。
というか、アーサー王の墓を実在のものとして扱ったり、サルマタイの伝説を既存説化しちゃダメだろ…。

聖杯伝説の研究本としてはジャン・フラピエに遠く及ばないので、まじめに考察したいなら、古本屋か図書館でフラピエの「聖杯の神話」を探してくることをお勧めしたい。個人的には。

聖杯の神話 (筑摩叢書)
筑摩書房
ジャン フラピエ

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とはいえ面白い考察も無きにしもあらず、まず聖杯の伝説には3つの要素が絡み合っているということ。

・ケルトの神話(大元)
・キリスト教(ガワの部分)
・カバラ、錬金術(神秘性)

この本の著者の言うように、ケルト神話の角笛が誤訳で聖杯に変化したかどうかは何とも言えない。しかし聖杯のイメージの大もとが、ケルトの神々の持つ魔法の釜や無限の富をもたらす杯にあることは確かだろう。それが「アリマタヤのヨセフ」の持つ杯のイメージと合体したものが、アーサー王伝説に登場する聖杯だ。

石のイメージで登場する聖杯に、賢者の石のイメージを見るというのも、まあ、まあ、たぶん完全に間違いではない。間違いではないが、…そもそも「パルチヴァール」は無地な騎士が最高の騎士へと変化していく成長物語なので、タロットとかカバラとか持ち出さなくても「愚者→世界」への自己実現のストーリーは説明できると思うんだよな…。


それから、ケルトの妖精は必ず「泉」「湖」など水の湧きだす場所とセットで登場するというのも面白い考察だ。
アイルランドやウェールズの妖精だけではない。フランスのリュジニャン家の起源を説明する古い伝承「メリュジーヌ物語」でも、始祖たる妖精の奥方は泉の側で夫となる騎士と出会う。ケルト民族全般が持つイメージなのだろう。(ちなみに北欧神話でも、世界樹のふもとに湧きだす泉は運命の女神たちが守っている)

泉や湖、といった水の湧き出る場所を守る女性たちは、その水を「汲み与える」ための器を持つ。
これが聖杯の原型の一つではないかと著者は言う。であれば、聖杯にまつわる物語の多くで、聖杯を実際に「捧げ持つ」のがけがれなき乙女たちである理由も説明がつく。聖杯はもともと、泉の貴婦人、湖の妖精といった、湧きだす生命の象徴を司る女性たちの所持品だったからだ。逆に男性は手にすることが出来ない、ということになる。

残念なことに、著者がこのあたりの話を時系列に整理してくれていないので伝説の変化という意味では把握しづらくなっている。ツッコミを入れたい点もあり、ケルトの神話において泉の守り手は女性だが、豊穣の釜の持ち主は必ず男性なのである。女性の持ち物である杯と、男性の持ち物である釜、双方のイメージを良いとこ取りで合体させて聖杯になりました、っつーのは… ちょっと…。
まあ多分、聖杯を運ぶのが乙女なのは、男ばっかりの聖杯城はムサいからとか、そういうイメージ上の単純な話もあるような気がする。



…と、このへんの話は、アーサー王伝説と聖杯という記事で、途中まで書いたっきりほったらかしになっている。フラピエの本が難解だったのに加えフランス語がサパーリなので原典に当たれないのもあるのだが、剣に比べ「杯」はいまいちインパクトに欠ける。

しかし、おそらくケルト神話として重要なのは、剣よりも「杯」のはずだ。
聖杯の原型が泉の妖精たちの持ち物であったと頭から信じるつもりはないが、聖杯とセットで出現する「槍」が男性を象徴するなら、「杯」はやはり女性の象徴になる。そしてどちらが重要で貴いかといえば、それはもちろん「杯」になる。

なぜなら、ケルト世界では剣も槍も英雄を守ってはくれないからだ。

英雄たちを守るのは常に女性たち。女神であり、妖精であり、母であり、死である「彼女」たちこそ、ケルト世界の真の主役だと言える。



この本の最後のほうは妙なフェミニズムみたいなものを発露して説教くさくなってしまっているが、聖杯神話の根底にあるものが、男性原理の象徴である教会が否定し続けたケルトの女性原理であることには同意しておきたい。

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