アラブのジプシー、知られざる世界/そしてロマとは呼んではいけない人々
最初に言っておくと、自分とジプシーの関わりは、「ジプシー・ダンスがベリー・ダンスの起源だ」というのは正しいのか否かを検証しようとして調べ物をした時に始まっている。
またエジプトか、なのだが、またエジプトなので仕方がない。
その時の記事は以下にある。
ジプシーとベリーダンスを巡る調査報告(1) ~ジプシーとエジプトの関係
ジプシーとベリーダンスを巡る調査報告(2) ~ジプシーダンスの伝承
この時の記事から約4年を経て、その後に読んだ本なども交えて結論だけ言うと、
エジプトのベリーダンスはトルコ起源。(起源という言い方が妥当でないならば、「強い影響を受けて近年に確立された舞踏形態」)
かつてオスマントルコの宮廷で踊りを披露していたジプシーがおり、名残として現在のトルコにも一定数の定住ジプシー(ロマ)が存在する。オスマン・トルコで成立したオリエンタルダンス自体にジプシーダンスの影響が強いので、当然ながらそこからエジプトに伝わってきた現在のエジプトのベリーダンスにも間接的にジプシーダンスの影響がある。
古代エジプトのダンスと現在のベリーダンスはほぼ無関係で、しかもジプシー・ダンスとも別なもの。起源を問うならば「トルコ宮廷です」というのが最も妥当。これが現在の私の認識になる。
また、ジプシーという名称自体、「エジプトから来た」という誤解から生まれたものだったが、近年ではDNA鑑定により、本来の起源が明らかになりつつある。
同じ言語系統(ロマニ語/ドマリ語)を使用する、狭義の今でのジプシーの起源は南アジア。
その中でも、言語の類型からして、インド南部の可能性が高いとされている。何らかの事情でインドからまとまって移住してきた人々が現在、ヨーロッパやアフリカ、西アジアなどに広く散らばるジプシーの祖先と考えられているが、もともとの移住集団は1つではないかもしれない。金属加工などの特殊技術を持つジプシー集団があれば、歌や踊りメインの集団もおり、出発からして、技術職人カーストに所属していた集団と、奴隷など低位カーストに所属していた集団がいた可能性があるという。
そんな彼らは、多数の国に分散して存在しており、一つの民族・集団意識を持つことはない。
もともと移住してきた時点で別カーストに属していたとしたら尚更だし、あるいは故郷の国さえも別だったかもしれない。
使用言語も、ロマニ語/ドマリ語系統といいつつ、方言は様々に分岐しており、「中国語の方言の事情とよく似ている」という。中国の北と南の地方の人の会話が困難であるように、同じジプシー内でも会話困難なケースがあるということだろう。中国が多数の民族から成立する国家であるように、ジプシーたちの世界もまた、部族・氏族で結束した、地方ごとに独立したような状態であると理解できる。
簡単に言うと、ギリシャ在住のジプシーとチュニジア在住のジプシーとフィンランド在住のジプシーでは状況も言語も意識も全く異なり、互いを仲間とは思わないだろう、ということ。実際にそのような状態で、ジプシーとひとまとめにされた内訳を追っていくと、「そもそもジプシーの定義って何ですか?」という状態に陥ることもしばしばだ。
とりあえずは、エジプトに絞った話をする。
古代エジプトにジプシーは存在せず、古代から中世に至る間にも存在はしなかった。
しかしながら、現在のエジプトにはジプシーが存在する。 それが「ヘレビ」を自称する集団だ。
そもそもの「ジプシー」という言葉は、"彼ら"がエジプトから来たという誤解に基づく英語由来の言葉である。
ジプシー、という一つの民族や集団が確固たるレベルで存在したことはない。しかし実際は、「ジプシー」という言葉が最初にあって、そこから理解を開始しているのが現状だ。
"彼ら"には、自称がある。しかしもともと"彼ら"自身に民族のまとまりや国家といった概念が薄いため、自称は地域によって多数存在する。それは人種名ではなく民族名や部族名、もっと小さな単位だと家族の名称でしかない場合もある。ジプシーと名乗るジプシーも、実は存在する。しかし多くは、別の名前で自分たちを呼ぶ。
これが、アラブに存在する"ジプシー"たちの自称名の分布図。
「ナッワール」や「グルバット」は、氏族とでもいうべき名称で、彼らはジプシーと言いながら定住し、その地域では普通に暮らしていたりする。エジプトのヘレビもその意味では氏族に近い単位なのか。
ジプシーといえばヨーロッパにいるもの、というイメージの人からすれば、こちらのヨーロッパの図のほうが馴染みがあるかもしれない。
「ロマ」を自称する範囲が広いため、近年では差別の歴史からジプシーという呼称を使うのをやめよう、という意味不明の動きが日本にもある。しかし図でもわかるように、ロマという自称名はヨーロッパの中でも使われる範囲は限られる。自分たちのことを「シンティ」や「カーロ」と呼んでいる人たちからすれば、勝手にロマに入れられるのは新たな差別を押し付けられることに他ならない。まして、ヨーロッパのジプシーたちと縁の薄いアラブのジプシーたちからすれば、同じ名前で呼ばれなくてはならない根拠はどこにもないだろう。
それならば、理解の薄い時代に誤解から名付けられた「ジプシー」の名のほうが、まだマシではないのか。
ジプシーという名を用いるにしろ、他の言葉を用いるにしろ、"彼ら"は元は同族である。
"彼ら"の大半が、同じ系統の言葉を話しており、遺伝子的にも同地域を出身地とすることは現在ではハッキリしている。
しかしそれは何百年か、あるいは何千年か前の話に過ぎないとも言える。各地にゆっくりと広がり、それぞれの土地で別々の民族名を名乗り、別々の境遇にある現在、"彼ら"はもはや、一つの名称で表現するには適切ではない存在になっている、と私は思う。
****
おそらく一番最近に出たジプシー研究本。
アラブに住むジプシーを実際に訪ねていった日本人はほとんど居ないと思われ、貴重なフィールドワークのレポートになっている。
またエジプトか、なのだが、またエジプトなので仕方がない。
その時の記事は以下にある。
ジプシーとベリーダンスを巡る調査報告(1) ~ジプシーとエジプトの関係
ジプシーとベリーダンスを巡る調査報告(2) ~ジプシーダンスの伝承
この時の記事から約4年を経て、その後に読んだ本なども交えて結論だけ言うと、
エジプトのベリーダンスはトルコ起源。(起源という言い方が妥当でないならば、「強い影響を受けて近年に確立された舞踏形態」)
かつてオスマントルコの宮廷で踊りを披露していたジプシーがおり、名残として現在のトルコにも一定数の定住ジプシー(ロマ)が存在する。オスマン・トルコで成立したオリエンタルダンス自体にジプシーダンスの影響が強いので、当然ながらそこからエジプトに伝わってきた現在のエジプトのベリーダンスにも間接的にジプシーダンスの影響がある。
古代エジプトのダンスと現在のベリーダンスはほぼ無関係で、しかもジプシー・ダンスとも別なもの。起源を問うならば「トルコ宮廷です」というのが最も妥当。これが現在の私の認識になる。
また、ジプシーという名称自体、「エジプトから来た」という誤解から生まれたものだったが、近年ではDNA鑑定により、本来の起源が明らかになりつつある。
同じ言語系統(ロマニ語/ドマリ語)を使用する、狭義の今でのジプシーの起源は南アジア。
その中でも、言語の類型からして、インド南部の可能性が高いとされている。何らかの事情でインドからまとまって移住してきた人々が現在、ヨーロッパやアフリカ、西アジアなどに広く散らばるジプシーの祖先と考えられているが、もともとの移住集団は1つではないかもしれない。金属加工などの特殊技術を持つジプシー集団があれば、歌や踊りメインの集団もおり、出発からして、技術職人カーストに所属していた集団と、奴隷など低位カーストに所属していた集団がいた可能性があるという。
そんな彼らは、多数の国に分散して存在しており、一つの民族・集団意識を持つことはない。
もともと移住してきた時点で別カーストに属していたとしたら尚更だし、あるいは故郷の国さえも別だったかもしれない。
使用言語も、ロマニ語/ドマリ語系統といいつつ、方言は様々に分岐しており、「中国語の方言の事情とよく似ている」という。中国の北と南の地方の人の会話が困難であるように、同じジプシー内でも会話困難なケースがあるということだろう。中国が多数の民族から成立する国家であるように、ジプシーたちの世界もまた、部族・氏族で結束した、地方ごとに独立したような状態であると理解できる。
簡単に言うと、ギリシャ在住のジプシーとチュニジア在住のジプシーとフィンランド在住のジプシーでは状況も言語も意識も全く異なり、互いを仲間とは思わないだろう、ということ。実際にそのような状態で、ジプシーとひとまとめにされた内訳を追っていくと、「そもそもジプシーの定義って何ですか?」という状態に陥ることもしばしばだ。
とりあえずは、エジプトに絞った話をする。
古代エジプトにジプシーは存在せず、古代から中世に至る間にも存在はしなかった。
しかしながら、現在のエジプトにはジプシーが存在する。 それが「ヘレビ」を自称する集団だ。
そもそもの「ジプシー」という言葉は、"彼ら"がエジプトから来たという誤解に基づく英語由来の言葉である。
ジプシー、という一つの民族や集団が確固たるレベルで存在したことはない。しかし実際は、「ジプシー」という言葉が最初にあって、そこから理解を開始しているのが現状だ。
そもそも、呼称には自称と他称があり、他称の中には周囲が勝手に名付けたものも多く、しかもそれが一般名になってしまった例も少なくなく、「ジプシー」もまさにその例である。筆者を含むジプシー研究者は、「イギリス人が呼び始めた英語起源のジプシーという呼称」をひとつの通念として理解し、そこからジプシーをめぐる議論をはじめているわけだ。そもそも誤解からはじまっているのが「ジプシー論」といってもよい。
ジプシーを訪ねて/岩波新書
"彼ら"には、自称がある。しかしもともと"彼ら"自身に民族のまとまりや国家といった概念が薄いため、自称は地域によって多数存在する。それは人種名ではなく民族名や部族名、もっと小さな単位だと家族の名称でしかない場合もある。ジプシーと名乗るジプシーも、実は存在する。しかし多くは、別の名前で自分たちを呼ぶ。
これが、アラブに存在する"ジプシー"たちの自称名の分布図。
「ナッワール」や「グルバット」は、氏族とでもいうべき名称で、彼らはジプシーと言いながら定住し、その地域では普通に暮らしていたりする。エジプトのヘレビもその意味では氏族に近い単位なのか。
ジプシーといえばヨーロッパにいるもの、というイメージの人からすれば、こちらのヨーロッパの図のほうが馴染みがあるかもしれない。
「ロマ」を自称する範囲が広いため、近年では差別の歴史からジプシーという呼称を使うのをやめよう、という意味不明の動きが日本にもある。しかし図でもわかるように、ロマという自称名はヨーロッパの中でも使われる範囲は限られる。自分たちのことを「シンティ」や「カーロ」と呼んでいる人たちからすれば、勝手にロマに入れられるのは新たな差別を押し付けられることに他ならない。まして、ヨーロッパのジプシーたちと縁の薄いアラブのジプシーたちからすれば、同じ名前で呼ばれなくてはならない根拠はどこにもないだろう。
それならば、理解の薄い時代に誤解から名付けられた「ジプシー」の名のほうが、まだマシではないのか。
ジプシーという名を用いるにしろ、他の言葉を用いるにしろ、"彼ら"は元は同族である。
"彼ら"の大半が、同じ系統の言葉を話しており、遺伝子的にも同地域を出身地とすることは現在ではハッキリしている。
しかしそれは何百年か、あるいは何千年か前の話に過ぎないとも言える。各地にゆっくりと広がり、それぞれの土地で別々の民族名を名乗り、別々の境遇にある現在、"彼ら"はもはや、一つの名称で表現するには適切ではない存在になっている、と私は思う。
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おそらく一番最近に出たジプシー研究本。
アラブに住むジプシーを実際に訪ねていった日本人はほとんど居ないと思われ、貴重なフィールドワークのレポートになっている。


