日食を「食」というのは何故だろう 世界の日食神話群

「にっしょく」は、漢字で書くと「日食」である。日が食われる、と書いて日食。

食う、という字が当てられているのは、太陽が何かに食われている意識があったからなのか。世界には「太陽が食われる」という神話を持つ文化圏がいくつか存在する。

たとえば古代エジプトでは、日食は太陽神ラーの乗る船が、混沌の大蛇アペピに飲まれることによって起きるという。
アペピ(アポピス)は地下の夜の世界に住むはずで、昼天をゆく太陽の船を真昼間にどうやって飲み込むのか、詳しい説明がされているわけではないが、「大きなヘビが飲み込む」「太陽の船を警護する神々がヘビを倒して太陽を救い出す」、これが日食の神話となっている。
静かな天体ショーかと思ったら、神々が空の上で世紀末的な激しいバトルを繰り広げていることになっているのが古代エジプト文化圏。

古代の北欧神話でも似たようなもので、大きな狼が太陽と月を追いかけているのだという。日食は、追いつかれて飲み込まれ、危うく逃げおおせるというイベントだ。世界の終わりに太陽は狼についに追いつかれ、完全に飲み込まれてしまうのだが、直前に生んでいた良く似た娘の太陽が、次の世界では輝き始めるという。
こちらは空の上で必死の追いかけっこが日々繰り広げられているという神話になっている。

他にも沢山あったと思うが、何しろあまり詳しくないのでそれほど沢山は挙げられない。
とにかく太陽を「食う」化物がいるという神話は、世界のあちこちにあるようで、太陽の欠けていくさまは確かに「何かにかじられている」ようにも見えなくないので、さもありなんというところ。


しかし日本では、太陽が隠れるのは食われるからではない。
太陽の女神アマテラスが、スネて岩屋に引きこもってしまうことによる。太陽を覆う影は、化物の口ではなく丸い石の扉なのである。

から知っている神話が意識の奥にあったせいもあるだろうが、太陽が自ら扉を閉める、というアマテラス神話は、なるほどなあと思うところがある。実際の日食を見ても、化物が喰っているというよりは、丸い扉をごろごろと転がしてきて少しずつ隠しているように見えたからだ。もちろん昔日本の空には太陽を食えるほどデカい化物は居ないようである。


さて「にっしょく」にはもうひとつ、「日蝕」という書き方もある。「蝕」は、むしばむ、さわる、という、「侵食」に近いニュアンスを持つ漢字だ。太陽が王権に結びつくような文化圏だと、日食は王の威光が何者かに侵されるということで、非常に恐れられた。
メソポタミアでは、日食が起きることを予測して、その日のために「身代わりの王」をたて、本物の王を一般民に偽装して隠したという記録がある。またマヤの神話では、太陽の力が弱まることを恐れて美しい子供たちを定期的に生贄として捧げたともいう。

世界各地で様々な神話になっていることからしても、太陽の光の衰えは、古来より人間の感心を集めてきた出来事なのだと言えよう。

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