遺跡オタクを拗らせた男。ハインリヒ・シュリーマン「古代への情熱」
シュリーマン自伝 とタイトルにあるものの、実際の著者はシュリーマンの友人だったアルフレット・ブリュックナー。
トロイの遺跡の発見者として有名な、ハインリッヒ・シュリーマンの生涯を、手っ取り早く纏めた「偉人伝」風の本である。
はしがきに、シュリーマンの妻ソフィアによる「夫の死後に編纂した」という内容が書かれているが、シュリーマンの初恋や将来を誓った幼馴染の話が出てくるのに果たして嫁が編纂して良かったのかどうかという、いらん心配をついしてしまいそうになるのは余計な話。
タイトルの「古代への情熱」の通り、これはシュリーマンがいかにトロイをはじめとする遺跡の発掘に情熱を傾けていたかの記録になっている。
個人的に言えば、シュリーマンはあまり好きではないほうだった。
なんでかというと確かに発掘で大発見はしたものの、やってることが盗掘まがいの宝探しだったからで、自分の描いたドラマチックな筋書きに合わせるために発掘結果を多少ゆがめることも平気でしていたからだ。もちろん、それが彼の時代には「当たり前」だっただろうことは知っているのだが。(さすがに友人の編集した本でそういう話は出てこない)
子供時代の憧れを大人になってから実現しにいく、とか、そういう甘酢っぱいの好きな人は気に入ると思う。
素直に読むなら、このおっちゃんは重度の古代文明マニアで、好きが嵩じて生涯をかけちゃうまでになったんだなぁと思う。
好きじゃなきゃイリアス覚えるまで読み込んだりしないし、好きだからこそ見つけられた遺跡なんだろうなと。純粋に、むかし読んだ古代の叙事詩の「現場」にいるんだと信じて発掘してたんなら、楽しかったと思う。
しかし一方、売名行為や、発掘した宝の私物化や出版・講演等による商業化という読み方もできてしまうわけで、そのへん自分がひねくれているのもあるが、何しろ元が、商売で財を築いた商人なんである。学者ではない。土くれの壺をわりとナチュラルに杜撰に取り扱い、黄金の財宝を大々的に取り上げているあたりが、個人的には、うーんと思ってしまう。
古代の叙事詩は神話のようなもので、決して現実に起きたことではない。言い伝えに一抹の歴史的真実が含まれるとしても、それ以上ではあり得ない。「イリアス」に語られる英雄たちのすべてが実在したわけがなく、ほとんどの場合、原型となる歴史的人物が存在した可能性すら低いことを、私は知っている。
しかしもし、大好きな物語の舞台と信じた場所(そして実際に、シュリーマンの発掘したそこは確かにトロイだった)を、物語のシーンを思い描きながら発掘できるとすれば、それはどんなにか楽しいことだろう。
下卑た言い方をすれば、好きなアニメの「聖地巡礼」をして楽しむオタクの心理に似ている気がする。
これと思った場所を散策し、物語のシーンにぴったり一致する場所を見つけて大喜びする。また好きなシーンを風景に当てはめ、再現して楽しむ。今の時代からすれば、学術的な行為ではなく、根拠の薄い妄想に近い部分も多かったように思われるが、本人は楽しかっただろう。楽しかったはずだ。発掘が「(お宝発見の)夢」「(一攫千金の)ロマン」だけで行えた時代は、学術的な発掘・遺跡保護の観点からすると悪夢だが、それはそれで一つの時代だったのかなあ。と思う。
それから、シュリーマンのトロイ発見が、ギリシアの国威発揚に繋がっているというのも今の時代からすると違和感があるが面白いなあと思った。民族の神話を国威発揚に使った例は世界大戦中のドイツが有名だが、他にもある。発見が純粋な学問としてではなく、国の利益に絡んでゆくというのは、シュリーマンの生きた19世紀から後、20世紀まで尾を引く風潮だ。そんなことも思いながら読んでしまった。
結論から言えば、つまらなくはない、むしろ期待していたより面白く読めた。
たぶん本人が自伝を書いていたら途中で読むのを辞めたくなる自分語り山盛り状態だったんだろうが、編纂しているのが友人ということで、過度な興奮や抜きに、やや蛋白な感じで語られている。しかし友人が書いてるだけに悪いことも書いていないんだろうなと思ってしまうのは、他にシュリーマンを冷ややかに見ている学者たちの本を多数読んでしまったあとだから、だろうか。
「シュリーマンは商人としても学者としても、そのいずれにもなりきれない偉人だった。」
しかしそれでも、好きなことをやって楽しそうに燃え尽きていったシュリーマンの人生は、ある意味羨ましくもある。
トロイの遺跡の発見者として有名な、ハインリッヒ・シュリーマンの生涯を、手っ取り早く纏めた「偉人伝」風の本である。
はしがきに、シュリーマンの妻ソフィアによる「夫の死後に編纂した」という内容が書かれているが、シュリーマンの初恋や将来を誓った幼馴染の話が出てくるのに果たして嫁が編纂して良かったのかどうかという、いらん心配をついしてしまいそうになるのは余計な話。
タイトルの「古代への情熱」の通り、これはシュリーマンがいかにトロイをはじめとする遺跡の発掘に情熱を傾けていたかの記録になっている。
個人的に言えば、シュリーマンはあまり好きではないほうだった。
なんでかというと確かに発掘で大発見はしたものの、やってることが盗掘まがいの宝探しだったからで、自分の描いたドラマチックな筋書きに合わせるために発掘結果を多少ゆがめることも平気でしていたからだ。もちろん、それが彼の時代には「当たり前」だっただろうことは知っているのだが。(さすがに友人の編集した本でそういう話は出てこない)
子供時代の憧れを大人になってから実現しにいく、とか、そういう甘酢っぱいの好きな人は気に入ると思う。
素直に読むなら、このおっちゃんは重度の古代文明マニアで、好きが嵩じて生涯をかけちゃうまでになったんだなぁと思う。
好きじゃなきゃイリアス覚えるまで読み込んだりしないし、好きだからこそ見つけられた遺跡なんだろうなと。純粋に、むかし読んだ古代の叙事詩の「現場」にいるんだと信じて発掘してたんなら、楽しかったと思う。
しかし一方、売名行為や、発掘した宝の私物化や出版・講演等による商業化という読み方もできてしまうわけで、そのへん自分がひねくれているのもあるが、何しろ元が、商売で財を築いた商人なんである。学者ではない。土くれの壺をわりとナチュラルに杜撰に取り扱い、黄金の財宝を大々的に取り上げているあたりが、個人的には、うーんと思ってしまう。
古代の叙事詩は神話のようなもので、決して現実に起きたことではない。言い伝えに一抹の歴史的真実が含まれるとしても、それ以上ではあり得ない。「イリアス」に語られる英雄たちのすべてが実在したわけがなく、ほとんどの場合、原型となる歴史的人物が存在した可能性すら低いことを、私は知っている。
しかしもし、大好きな物語の舞台と信じた場所(そして実際に、シュリーマンの発掘したそこは確かにトロイだった)を、物語のシーンを思い描きながら発掘できるとすれば、それはどんなにか楽しいことだろう。
下卑た言い方をすれば、好きなアニメの「聖地巡礼」をして楽しむオタクの心理に似ている気がする。
これと思った場所を散策し、物語のシーンにぴったり一致する場所を見つけて大喜びする。また好きなシーンを風景に当てはめ、再現して楽しむ。今の時代からすれば、学術的な行為ではなく、根拠の薄い妄想に近い部分も多かったように思われるが、本人は楽しかっただろう。楽しかったはずだ。発掘が「(お宝発見の)夢」「(一攫千金の)ロマン」だけで行えた時代は、学術的な発掘・遺跡保護の観点からすると悪夢だが、それはそれで一つの時代だったのかなあ。と思う。
それから、シュリーマンのトロイ発見が、ギリシアの国威発揚に繋がっているというのも今の時代からすると違和感があるが面白いなあと思った。民族の神話を国威発揚に使った例は世界大戦中のドイツが有名だが、他にもある。発見が純粋な学問としてではなく、国の利益に絡んでゆくというのは、シュリーマンの生きた19世紀から後、20世紀まで尾を引く風潮だ。そんなことも思いながら読んでしまった。
結論から言えば、つまらなくはない、むしろ期待していたより面白く読めた。
たぶん本人が自伝を書いていたら途中で読むのを辞めたくなる自分語り山盛り状態だったんだろうが、編纂しているのが友人ということで、過度な興奮や抜きに、やや蛋白な感じで語られている。しかし友人が書いてるだけに悪いことも書いていないんだろうなと思ってしまうのは、他にシュリーマンを冷ややかに見ている学者たちの本を多数読んでしまったあとだから、だろうか。
「シュリーマンは商人としても学者としても、そのいずれにもなりきれない偉人だった。」
しかしそれでも、好きなことをやって楽しそうに燃え尽きていったシュリーマンの人生は、ある意味羨ましくもある。