カッパドキアの岩の家は住みやすいという事実/避難所としての地下都市
現地に行かないと、本当に分かったと言えないことは沢山ある。
写真で見て文章で読んでも、なんとなく知っているつもりでも分かっていない。というか、当たり前のことは結構本に書いていないものである。なので気になった場所にはいちど行ってみるのが手っ取り早い。
カッパドキアの基礎知識として、地下都市や岩の家はキリスト教徒が作って避難所として使われたと覚えている人は結構いるのではないかと思う。自分も、迫害されて谷間に隠れ住んだのだと何となくイメージしていたことがあった。
しかし実際は、キリスト教徒が来るずっと以前からカッパドキアには人が住み続けていた。
岩をくりぬいて作られた住居は、民族や国が変わってもずっと使われ続けてきた。何も好き好んでとくべつ厳しい場所に住み着いたわけではない。そこは意外と住むのに困らない、というか困らないように設計されてきた場所だった。
夏の暑い時期に行くとよく分かるんである。
カッパドキア地方は夏がとても暑い。冬は積雪もかなりあるという。そんな中、岩の中は夏も冬も気温がほぼ一定。歩いていて、ちょっと暑くなってきたらその辺りの家に入り込んで休憩するととっても涼しい。
岩の家は住みやすい。
そして岩が柔らかいので家が作りやすい。木を切ってきて家を造るよりはるかに楽だ。しかも初めて住むわけではない。前に住んでいた人たちがいて、ある程度は穴を開けてくれているのだから、あとは拡張するだけ。
キリスト教徒たちは、たぶん、イヤイヤながらここに住んだわけじゃないのだ。ここが辺境なうえに快適だから、案外きもちよく暮らせてたんじゃないだろうか。死なない程度に。
ちなみにこれはバスから撮った風景。
大きな木はほとんどない。
畑と牧場がある以外は、ひたすら野っ原。木で家を作ることは難しい。
加工しやすい柔らかい岩が近くにあるのだから、岩をくりぬいて住むというのは理にかなっている。
ちなみに↓の写真の奥のほうに見えている三角形のとんがった岩が並ぶ崖のあたりも昔の村らしい。
水はどうするの? って感じだが、実はこのへん、川が流れている。いわゆるクズルウルマック(赤い川)である。
雨が降ると赤い土がまじるらしいんだけど、残念ながら真夏の乾季で水位低い上に全然赤くない。雨季はほんとに真っ赤らしい。
地図を見ると、大きな村はこの川の支流に点在している。納得。
岩の家に放置された昔の石臼。ということは麦も育てていたんだろう。
羊の放牧をしている人にも出会った。ケバブの材料ですねわかります。
原っぱには深い掘り抜き井戸が何箇所かあり、そこで水を汲み上げて家畜に飲ませたり、自分も飲んだりするらしい。
谷間にたくさんなっている杏。人が植えたのか野生かは不明、あちこちの谷間に生えてました。
食ってみました。十分食えました。(食うなよ…)
と、まあこんな感じで、カッパドキアは、自然的には言うほど過酷な土地ではないことがわかりました。エジプトの南のほうよりは、だいぶ人間が住める風景だった…。
ただ、ローマからは遠いし、近くに大都市や強国もない。
辺境といえど、カッパドキアのあちこちには、かつて商隊が利用したという宿場町の跡があり外界から隔絶されているわけでもない。
常駐の軍隊が近くにおらず、しかも異文化と接する境界線に近いとあれば、よその国や異教徒が攻めてきたり、盗賊が襲ってきたりしたとき、自分たちの命と財産は、自分たちで守るしか無い。なればこその「地下都市」なのだと思う。
そう、敵に攻められやすいのに軍隊のいない、この辺境において、地下都市は一時的な避難所 だったわけだ。防空壕みたいなもんやね。
地下都市の中は死ぬほど狭い。そして迷路。
電気に照らされ、一部だけしか公開されていない現在でも、順路を示す表示板を探しまわることしばしば。一人で入ったら泣いちゃうレベル。
敵が攻めこむことを想定した狭い通路。ひとりずつしか入れない。
入り口はもともと複数あったらしいが、そこも狭い。入り口を塞いじゃえば外から分からない。
ちなみに水は、地下都市に井戸が掘られていて、そこから組み上げていたようだ。今も水があるという。
そのおかげで地下は乾燥しすぎていることもない。
空気穴も掘られており、地下には風が流れている。
ちゃんと設計したのかどうかは不明だが、地下四階まで行っても風が流れていた。
ただし、水は汲み上げられても排水口はないわけなので、トイレは壺を埋めて使い、排水は大きな穴を掘って貯めておく感じだったようだ。地下水を汚染しないように気を使う必要はあっただろう。
常時灯りが必要なこと、これら排水や汚物の処理ができないことから、地下都市は、一時的な避難所としては使えるものの常に住み続けることは不可能だったと思われる。1ヶ月も住んでいたら、悪臭と汚物の山で酷いことになりそうだ。敵が通り過ぎるまでの1-2週間がせいぜいかな…。
ちなみに地下には、家畜小屋や小さな教会もあった。
家畜も大事な財産だし、避難する時は連れていけるだけ連れ込んで地下に隠してたんだと思う。
さて、敵がせめて来て避難するにしても、それには時間がかかる。
というわけで見張りが早めに異常を発見しないといけないんだが、たぶん岩の家の高いところにある窓から常時周囲を見張ってる役がいたんじゃないかと思う。危なくなったらみんなを避難させる。
地下都市は、公開されているのは数カ所だが、実際はカッパドキアじゅうに数千あるとも言われる。
各村ごとに避難所が決まってたんだろう。地域ごとに「うちの避難所はxxね」と決めて、有事の際はそこに集まるように連絡しておく。日本でいう、「地震のときはxx公園へ」みたいな感じだ。
と、このように、昔そこに住んでいた人の暮らしが再現できてくると、遺跡めぐりの旅は俄然楽しくなってくるんである。
もちろん昔の人の考えてることが全部わかるわけではないので、結局大半は空想に過ぎないんだけども。
写真で見て文章で読んでも、なんとなく知っているつもりでも分かっていない。というか、当たり前のことは結構本に書いていないものである。なので気になった場所にはいちど行ってみるのが手っ取り早い。
カッパドキアの基礎知識として、地下都市や岩の家はキリスト教徒が作って避難所として使われたと覚えている人は結構いるのではないかと思う。自分も、迫害されて谷間に隠れ住んだのだと何となくイメージしていたことがあった。
しかし実際は、キリスト教徒が来るずっと以前からカッパドキアには人が住み続けていた。
岩をくりぬいて作られた住居は、民族や国が変わってもずっと使われ続けてきた。何も好き好んでとくべつ厳しい場所に住み着いたわけではない。そこは意外と住むのに困らない、というか困らないように設計されてきた場所だった。
夏の暑い時期に行くとよく分かるんである。
カッパドキア地方は夏がとても暑い。冬は積雪もかなりあるという。そんな中、岩の中は夏も冬も気温がほぼ一定。歩いていて、ちょっと暑くなってきたらその辺りの家に入り込んで休憩するととっても涼しい。
岩の家は住みやすい。
そして岩が柔らかいので家が作りやすい。木を切ってきて家を造るよりはるかに楽だ。しかも初めて住むわけではない。前に住んでいた人たちがいて、ある程度は穴を開けてくれているのだから、あとは拡張するだけ。
キリスト教徒たちは、たぶん、イヤイヤながらここに住んだわけじゃないのだ。ここが辺境なうえに快適だから、案外きもちよく暮らせてたんじゃないだろうか。死なない程度に。
ちなみにこれはバスから撮った風景。
大きな木はほとんどない。
畑と牧場がある以外は、ひたすら野っ原。木で家を作ることは難しい。
加工しやすい柔らかい岩が近くにあるのだから、岩をくりぬいて住むというのは理にかなっている。
ちなみに↓の写真の奥のほうに見えている三角形のとんがった岩が並ぶ崖のあたりも昔の村らしい。
水はどうするの? って感じだが、実はこのへん、川が流れている。いわゆるクズルウルマック(赤い川)である。
雨が降ると赤い土がまじるらしいんだけど、残念ながら真夏の乾季で水位低い上に全然赤くない。雨季はほんとに真っ赤らしい。
地図を見ると、大きな村はこの川の支流に点在している。納得。
岩の家に放置された昔の石臼。ということは麦も育てていたんだろう。
羊の放牧をしている人にも出会った。ケバブの材料ですねわかります。
原っぱには深い掘り抜き井戸が何箇所かあり、そこで水を汲み上げて家畜に飲ませたり、自分も飲んだりするらしい。
谷間にたくさんなっている杏。人が植えたのか野生かは不明、あちこちの谷間に生えてました。
食ってみました。十分食えました。(食うなよ…)
と、まあこんな感じで、カッパドキアは、自然的には言うほど過酷な土地ではないことがわかりました。エジプトの南のほうよりは、だいぶ人間が住める風景だった…。
ただ、ローマからは遠いし、近くに大都市や強国もない。
辺境といえど、カッパドキアのあちこちには、かつて商隊が利用したという宿場町の跡があり外界から隔絶されているわけでもない。
常駐の軍隊が近くにおらず、しかも異文化と接する境界線に近いとあれば、よその国や異教徒が攻めてきたり、盗賊が襲ってきたりしたとき、自分たちの命と財産は、自分たちで守るしか無い。なればこその「地下都市」なのだと思う。
そう、敵に攻められやすいのに軍隊のいない、この辺境において、地下都市は一時的な避難所 だったわけだ。防空壕みたいなもんやね。
地下都市の中は死ぬほど狭い。そして迷路。
電気に照らされ、一部だけしか公開されていない現在でも、順路を示す表示板を探しまわることしばしば。一人で入ったら泣いちゃうレベル。
敵が攻めこむことを想定した狭い通路。ひとりずつしか入れない。
入り口はもともと複数あったらしいが、そこも狭い。入り口を塞いじゃえば外から分からない。
ちなみに水は、地下都市に井戸が掘られていて、そこから組み上げていたようだ。今も水があるという。
そのおかげで地下は乾燥しすぎていることもない。
空気穴も掘られており、地下には風が流れている。
ちゃんと設計したのかどうかは不明だが、地下四階まで行っても風が流れていた。
ただし、水は汲み上げられても排水口はないわけなので、トイレは壺を埋めて使い、排水は大きな穴を掘って貯めておく感じだったようだ。地下水を汚染しないように気を使う必要はあっただろう。
常時灯りが必要なこと、これら排水や汚物の処理ができないことから、地下都市は、一時的な避難所としては使えるものの常に住み続けることは不可能だったと思われる。1ヶ月も住んでいたら、悪臭と汚物の山で酷いことになりそうだ。敵が通り過ぎるまでの1-2週間がせいぜいかな…。
ちなみに地下には、家畜小屋や小さな教会もあった。
家畜も大事な財産だし、避難する時は連れていけるだけ連れ込んで地下に隠してたんだと思う。
さて、敵がせめて来て避難するにしても、それには時間がかかる。
というわけで見張りが早めに異常を発見しないといけないんだが、たぶん岩の家の高いところにある窓から常時周囲を見張ってる役がいたんじゃないかと思う。危なくなったらみんなを避難させる。
地下都市は、公開されているのは数カ所だが、実際はカッパドキアじゅうに数千あるとも言われる。
各村ごとに避難所が決まってたんだろう。地域ごとに「うちの避難所はxxね」と決めて、有事の際はそこに集まるように連絡しておく。日本でいう、「地震のときはxx公園へ」みたいな感じだ。
と、このように、昔そこに住んでいた人の暮らしが再現できてくると、遺跡めぐりの旅は俄然楽しくなってくるんである。
もちろん昔の人の考えてることが全部わかるわけではないので、結局大半は空想に過ぎないんだけども。