知らないことが多いので学習を始めることにした。「アナトリア歴史紀行」
探してみると、今のトルコ周辺の歴史書ってあんがい少ない…というか、「ヒッタイト」「ビザンツ」とか時代と場所ピンポイントのものは在るけど、通史って無いのな。
通史っぽいのは、このくらいしか見つからず。
ヒッタイトの時代から、ギリシャ、ローマ、トルコ、そして世界大戦を経ての近代史まで。アナトリアの大地に積み重なる歴史を駆け抜けられる本。
著者も巻末に引いているが、「琴線にふれず、魂にこだましない歴史は、死んでいるのと同然であり、まったく価値がない」。ガイドブックや教科書の歴史記述は死んでいる。単純に言えば「面白くないから頭に入ってこない」。面白い歴史は、その時代、その土地を生きた人たちへの愛が無ければ語れないと思う。
その意味で、何かに興味を持った時、満足できる本を探し出せる場所というと結局、古本屋になってしまう。
良い新本があまり出ないのか、出てもすぐ絶版になってしまうのか。頑張ってくれ出版社。本マニアはアニメとかのオタクと同じで、気に入った本には幾らでも金を積む種族だぞ…?(笑)
さて、この本、発刊1980年ということで、今から30年ほど前。まあ古い。そのぶんの補正は必要だと思うが、たとえば「我が国の高校の教科書では、西洋の主張をそのままべったり受け入れている」という批判の流れで、「回教徒がキリスト教徒の聖地エルサレムを占領したために十字軍が起こった」と教えられていることを書いている。が、私は高校の時には、そんなの習った覚えがない…。むしろ十字軍は西洋も悪かった的な習い方をした気が。しかし過去の教科書は、その程度の記述しかなかったのかもしれない。
著者の大島氏は十字軍を「狂信者の武装集団」と書いているが、もし西洋側が一方的な正義と教えられた上でアラブ側の資料を読んでいたら、そんな否定的な表現にもなったかもしれない。今はもちっと中立的な教え方なんじゃないのかな? たぶん…。
ヒッタイトの「発見」についての下りも、不思議な気分だった。
ヒッタイトの存在が確定されたのは1907年だという。ヒッタイト語が解析されて、インド・ヨーロッパ語の系統に属すると分かったのが、その約10年後。けっこう最近だったんだなあ、と。しかも、エジプトとヒッタイトの和平条約はエジプト側が先に見つかっていて、それがボガズ・キョイでも見つかったことが、そこがヒッタイトの首都と確定されるに至った鍵だったとは、意識したことがなかった。
いまのエジプトの本を読めば、ヒッタイトとシリア・パレスチナの覇権を争った戦いのことは、さも既知の歴史のように平然と書かれている。だが、たった一世紀とちょっと前には、その下りが存在しないどころか、お相手のヒッタイトの存在がまだ世の中に知られてないという状態だったのを知って、愕然とした。一時は古代エジプトと争えるほどの勢力を持った大帝国じゃなかったんかい。それが忘れ去られて埋もれてしまえるとは。
歴史の書き換わる瞬間に立ち会えた考古学者は幸せ者だ。そしてやはり、歴史なんてものは「その時代ごとに作り変えられていく」程度のものでしかないんだなと思った。
時代を感じさせるのはもうひとつ、著者が、子供の頃に米兵にいじめられたのでアメリカが嫌いということ。
小アジアのローマ時代の都市に作られた遺跡はローマにあるものと大差ない、何処にいっても画一的にローマ様式を押し付ける、と書いたあと、「アメリカに不思議なほど似ている」と続く。ローマがアメリカに似た帝国主義なところは成る程と思い、うちの爺ちゃんなども焼夷弾で町を焼かれたせいでアメリカが嫌いだったのを思い出して微笑ましく思った。
著者の生まれたのは昭和10年代、納得である。
(つか、原爆落とされて町焼かれた世代が親米なわけないっちゅー。親米一辺倒で教育して何も言わない日本って、相当異質だと思う。恨みや過去にとらわれない、という意味では良いことなんだけど)
そんな戦争に近い世代の筆が、この本の最後では近代史に突入する。二度の世界大戦、トルコの果たした役割。
トルコの喫茶店でたまたま居合わせた現地の人と話していたとき、「ロシアは今でもちょっと…」と言われて、そりゃ何度も戦争してるしねぇ、とそこは納得したんだけど、フランス人やイタリア人もあんまり好きではない的なことを言っていて「?」だったのが、ようやく意味がわかった。ごめんなさい、という感じである。無知は罪というか、けっこう地雷踏んじゃったのかもしれん。
スペイン人は陽気だし良いお客さんだよー、って言ってたのは、侵略者側に居なかったからだったのか…。
イギリスの後ろ盾もらって調子こいて攻めてきたギリシャとか、トルコさんにとっては「いまだにビザンツとか言ってる(笑) 超ウザい」「こいつらにだけは負けられん」な感じだったんだろうな。そのわりに現代トルコ人には、ギリシャさんをそこまで嫌ってる感じなかったけど。現地住民も元をたどれば多少ギリシャ系の血が混じってるからなのか。
ただ、革命で帝政が倒れて共和制になったあとも、帝政時代の借金をキッチリ返済したトルコさんには、「ギリシャも借金返せよ」と真顔でツッコむ権利があると思った。
あと、軍事博物館にあった朝鮮出兵の下りがようやく理解できた。英語の説明パネルはあったんだけど、そこまで英語堪能じゃないから意味がわからんかったんだ。アメリカさんの横暴っぷりについては、トルコさんと良い酒が飲めそうだ。アメリカって同盟国は駒としか思ってない節があるよな、うん。
それほど分厚い本ではないが、ヒッタイトから現代まで4000年。
アナトリアに積み重なる歴史は重厚で一口には言い難いが、他にはない面白みがある。「東西文化の接点」、その一言だけでも、この土地が過去に演じてきた"役割"の複雑さが分かろうというものだ。まさに時を駆け抜けるといった感のある一冊であった。
通史っぽいのは、このくらいしか見つからず。
ヒッタイトの時代から、ギリシャ、ローマ、トルコ、そして世界大戦を経ての近代史まで。アナトリアの大地に積み重なる歴史を駆け抜けられる本。
著者も巻末に引いているが、「琴線にふれず、魂にこだましない歴史は、死んでいるのと同然であり、まったく価値がない」。ガイドブックや教科書の歴史記述は死んでいる。単純に言えば「面白くないから頭に入ってこない」。面白い歴史は、その時代、その土地を生きた人たちへの愛が無ければ語れないと思う。
その意味で、何かに興味を持った時、満足できる本を探し出せる場所というと結局、古本屋になってしまう。
良い新本があまり出ないのか、出てもすぐ絶版になってしまうのか。頑張ってくれ出版社。本マニアはアニメとかのオタクと同じで、気に入った本には幾らでも金を積む種族だぞ…?(笑)
さて、この本、発刊1980年ということで、今から30年ほど前。まあ古い。そのぶんの補正は必要だと思うが、たとえば「我が国の高校の教科書では、西洋の主張をそのままべったり受け入れている」という批判の流れで、「回教徒がキリスト教徒の聖地エルサレムを占領したために十字軍が起こった」と教えられていることを書いている。が、私は高校の時には、そんなの習った覚えがない…。むしろ十字軍は西洋も悪かった的な習い方をした気が。しかし過去の教科書は、その程度の記述しかなかったのかもしれない。
著者の大島氏は十字軍を「狂信者の武装集団」と書いているが、もし西洋側が一方的な正義と教えられた上でアラブ側の資料を読んでいたら、そんな否定的な表現にもなったかもしれない。今はもちっと中立的な教え方なんじゃないのかな? たぶん…。
ヒッタイトの「発見」についての下りも、不思議な気分だった。
ヒッタイトの存在が確定されたのは1907年だという。ヒッタイト語が解析されて、インド・ヨーロッパ語の系統に属すると分かったのが、その約10年後。けっこう最近だったんだなあ、と。しかも、エジプトとヒッタイトの和平条約はエジプト側が先に見つかっていて、それがボガズ・キョイでも見つかったことが、そこがヒッタイトの首都と確定されるに至った鍵だったとは、意識したことがなかった。
いまのエジプトの本を読めば、ヒッタイトとシリア・パレスチナの覇権を争った戦いのことは、さも既知の歴史のように平然と書かれている。だが、たった一世紀とちょっと前には、その下りが存在しないどころか、お相手のヒッタイトの存在がまだ世の中に知られてないという状態だったのを知って、愕然とした。一時は古代エジプトと争えるほどの勢力を持った大帝国じゃなかったんかい。それが忘れ去られて埋もれてしまえるとは。
歴史の書き換わる瞬間に立ち会えた考古学者は幸せ者だ。そしてやはり、歴史なんてものは「その時代ごとに作り変えられていく」程度のものでしかないんだなと思った。
時代を感じさせるのはもうひとつ、著者が、子供の頃に米兵にいじめられたのでアメリカが嫌いということ。
小アジアのローマ時代の都市に作られた遺跡はローマにあるものと大差ない、何処にいっても画一的にローマ様式を押し付ける、と書いたあと、「アメリカに不思議なほど似ている」と続く。ローマがアメリカに似た帝国主義なところは成る程と思い、うちの爺ちゃんなども焼夷弾で町を焼かれたせいでアメリカが嫌いだったのを思い出して微笑ましく思った。
著者の生まれたのは昭和10年代、納得である。
(つか、原爆落とされて町焼かれた世代が親米なわけないっちゅー。親米一辺倒で教育して何も言わない日本って、相当異質だと思う。恨みや過去にとらわれない、という意味では良いことなんだけど)
そんな戦争に近い世代の筆が、この本の最後では近代史に突入する。二度の世界大戦、トルコの果たした役割。
トルコの喫茶店でたまたま居合わせた現地の人と話していたとき、「ロシアは今でもちょっと…」と言われて、そりゃ何度も戦争してるしねぇ、とそこは納得したんだけど、フランス人やイタリア人もあんまり好きではない的なことを言っていて「?」だったのが、ようやく意味がわかった。ごめんなさい、という感じである。無知は罪というか、けっこう地雷踏んじゃったのかもしれん。
スペイン人は陽気だし良いお客さんだよー、って言ってたのは、侵略者側に居なかったからだったのか…。
イギリスの後ろ盾もらって調子こいて攻めてきたギリシャとか、トルコさんにとっては「いまだにビザンツとか言ってる(笑) 超ウザい」「こいつらにだけは負けられん」な感じだったんだろうな。そのわりに現代トルコ人には、ギリシャさんをそこまで嫌ってる感じなかったけど。現地住民も元をたどれば多少ギリシャ系の血が混じってるからなのか。
ただ、革命で帝政が倒れて共和制になったあとも、帝政時代の借金をキッチリ返済したトルコさんには、「ギリシャも借金返せよ」と真顔でツッコむ権利があると思った。
あと、軍事博物館にあった朝鮮出兵の下りがようやく理解できた。英語の説明パネルはあったんだけど、そこまで英語堪能じゃないから意味がわからんかったんだ。アメリカさんの横暴っぷりについては、トルコさんと良い酒が飲めそうだ。アメリカって同盟国は駒としか思ってない節があるよな、うん。
それほど分厚い本ではないが、ヒッタイトから現代まで4000年。
アナトリアに積み重なる歴史は重厚で一口には言い難いが、他にはない面白みがある。「東西文化の接点」、その一言だけでも、この土地が過去に演じてきた"役割"の複雑さが分かろうというものだ。まさに時を駆け抜けるといった感のある一冊であった。