四大文明という誤った概念と、人類の歴史における「文明」の意味
「世界四大文明」、というと日本では教科書で習う「一般常識」なのだが、そもそもこの概念は日本、中国など一部の国でしか通用しない。世界のスタンダード的な見方ではなく、「中国四千年の歴史」みたいな感じで決まり文句にはなっているものの根拠に薄い概念である。
そもそもの初出は1952年の高校教科書だそうなのだが、人類の歴史はこの四つの文明から発展してきたわけではないし、この四つだけがとりたてて優れているというわけでもない。特に中南米でマヤやインカをやってる学者たちは、中米のマヤ・アステカ文化圏と、南米のインカ文化圏も数に入れて「六大文明にしてほしい」という話をよくしている。
しかし厳密に言えば、単独に発展した文明という意味ではアラスカインディオや北欧北極圏に住むサーミ人の文明も数にあげられるし、マスターキートンではないが「ドナウ文明」のような未発見の文明が実在する可能性も無いとはいえない。
つまり現在では、「四大文明」という概念は、誤解に基づく古い考え方である、ということを覚えておけばいい。
その四つは確かに特徴的で重要な文明には違いないのだが、
・人類の歴史はたった四つから派生したわけではない
・四つ以外にも重要な文明はある
と、いうこと。
そのうえで、四大文明のように大規模河川を伴わない文明もあること、文字を持たない文明もあること、文明とは必ずしも後世に残るような大規模な建造物を作るわけではないこと、を理解するべし。石造りの神殿がないからといって文明として劣ってるかというとそんなこともない。文字がなくても複雑な概念を伝達する手段を発達させてた文明もある。
(というか石のない場所で文明築いたら石造りの神殿とか作らない。文字書く筆記具作りづらい条件の場所で文明を築く可能性もあるよね。最初のマップ選びによって、その後の発展方向は大きく異なる。)
…と、このへんまでやってくると、「四大文明こそ文明」という固定概念を持っている人の多くは、「アレ? じゃ"文明"の定義って何なん?」と混乱することになる。大丈夫だ、その道はかつて私も通ってきた。
そもそも、文明という言葉自体、最初は「ローマこそ文明! それ以外は野蛮」…というところから発生している。
ローマ基準で生み出された概念なので、ローマ的な「石造りの神殿がある」とか「文字がある」「国家機能がしっかりしている」「金属器をもっている」「法律がある」等が文明の基準とされてしまった。
ところが歴史を辿っていったらローマに匹敵するローマより昔の同じくらい偉大な(と思われた)文明があったのでエジプトやメソポタミアがもてはやされ、「ヨーロッパだけ偉そうな顔すんじゃねーよアジアだって古くて偉大な文明あったよ」とインドと中国をねじ込んだら四大文明になった、っていう、そもそも概念の発生からしてお国自慢的な争いを含む話だったりする。(笑
さらにローマ的な方向とは別な、「文字はないけど高度な国家機能を持つ」とか「金属器はないけど黒曜石で細かい細工が可能」とかいう方向へ進化していった文明も発見されるようになり、過去に定義された「文明」という概念が適切では無くなってきているんである。
結局「文明」という言葉の定義はいまだ固まっていないので、答えは各自で出すしか無いが、大雑把なイメージとして文化の集合体。固有概念を持って成立している社会のことを指す。
関連エントリ:文明「滅亡」とその意味
https://55096962.seesaa.net/article/201109article_19.html
だから、文明としては滅びても、文化、風習としては生き残る、という状態が発生する。
例えば「古代エジプト文明」は滅びたと言っていいが、古代エジプト時代の文化は今も農業暦の中などに生き残っているし、古代エジプト人の子孫は現在も生き続けている。他の文明にしても同様だ。
大事なことがある。
それは、いずれの文明にしても、過去の世界で完結したものではなく、現在に至るまで継承され、変化し続けているものである、ということだ。文明が【完全に】滅ぶということは、その構成要素である文化すべてが死に絶えることを意味する。それを実現するには、文明の担い手である人間を隣接文明も含めて全て根絶やしにしないといけないだろう。案外それは難しい。
文明とは、死んだ時間の中に閉ざされているものではない。現在進行形で生きて変化し続けるものである。
またグローバリズムの時代においては、世界規模で交じりあうものでもある。
生きた人間が担い手となって作られるのだから、人間が生きている限り、厳密には死ぬことはない。
そう、あのでっかいピラミッドですら、確かにヒトが作ったものなのだ。いぜん、あるエジプト学者が公演で「今までWhoが足りなかった(=ピラミッドを作った労働者たちの研究がおろそかになっていた)」という話をしていたが、それはまさに他の文明でも同じ事で、文献や遺跡の研究をしていながら、それらを作った人々、使った人々のことを考えずに上辺だけを撫でていたのである。
人の歴史は連綿と続いている。かつて古代文明を築いた人々の子孫が、"我々"なのだ。
高校の世界史は、まずこのへんから教えたほうがいいんじゃないのかなーとかなんとか、思って見る次第。
そもそもの初出は1952年の高校教科書だそうなのだが、人類の歴史はこの四つの文明から発展してきたわけではないし、この四つだけがとりたてて優れているというわけでもない。特に中南米でマヤやインカをやってる学者たちは、中米のマヤ・アステカ文化圏と、南米のインカ文化圏も数に入れて「六大文明にしてほしい」という話をよくしている。
しかし厳密に言えば、単独に発展した文明という意味ではアラスカインディオや北欧北極圏に住むサーミ人の文明も数にあげられるし、マスターキートンではないが「ドナウ文明」のような未発見の文明が実在する可能性も無いとはいえない。
つまり現在では、「四大文明」という概念は、誤解に基づく古い考え方である、ということを覚えておけばいい。
その四つは確かに特徴的で重要な文明には違いないのだが、
・人類の歴史はたった四つから派生したわけではない
・四つ以外にも重要な文明はある
と、いうこと。
そのうえで、四大文明のように大規模河川を伴わない文明もあること、文字を持たない文明もあること、文明とは必ずしも後世に残るような大規模な建造物を作るわけではないこと、を理解するべし。石造りの神殿がないからといって文明として劣ってるかというとそんなこともない。文字がなくても複雑な概念を伝達する手段を発達させてた文明もある。
(というか石のない場所で文明築いたら石造りの神殿とか作らない。文字書く筆記具作りづらい条件の場所で文明を築く可能性もあるよね。最初のマップ選びによって、その後の発展方向は大きく異なる。)
…と、このへんまでやってくると、「四大文明こそ文明」という固定概念を持っている人の多くは、「アレ? じゃ"文明"の定義って何なん?」と混乱することになる。大丈夫だ、その道はかつて私も通ってきた。
そもそも、文明という言葉自体、最初は「ローマこそ文明! それ以外は野蛮」…というところから発生している。
ローマ基準で生み出された概念なので、ローマ的な「石造りの神殿がある」とか「文字がある」「国家機能がしっかりしている」「金属器をもっている」「法律がある」等が文明の基準とされてしまった。
ところが歴史を辿っていったらローマに匹敵するローマより昔の同じくらい偉大な(と思われた)文明があったのでエジプトやメソポタミアがもてはやされ、「ヨーロッパだけ偉そうな顔すんじゃねーよアジアだって古くて偉大な文明あったよ」とインドと中国をねじ込んだら四大文明になった、っていう、そもそも概念の発生からしてお国自慢的な争いを含む話だったりする。(笑
さらにローマ的な方向とは別な、「文字はないけど高度な国家機能を持つ」とか「金属器はないけど黒曜石で細かい細工が可能」とかいう方向へ進化していった文明も発見されるようになり、過去に定義された「文明」という概念が適切では無くなってきているんである。
結局「文明」という言葉の定義はいまだ固まっていないので、答えは各自で出すしか無いが、大雑把なイメージとして文化の集合体。固有概念を持って成立している社会のことを指す。
関連エントリ:文明「滅亡」とその意味
https://55096962.seesaa.net/article/201109article_19.html
だから、文明としては滅びても、文化、風習としては生き残る、という状態が発生する。
例えば「古代エジプト文明」は滅びたと言っていいが、古代エジプト時代の文化は今も農業暦の中などに生き残っているし、古代エジプト人の子孫は現在も生き続けている。他の文明にしても同様だ。
大事なことがある。
それは、いずれの文明にしても、過去の世界で完結したものではなく、現在に至るまで継承され、変化し続けているものである、ということだ。文明が【完全に】滅ぶということは、その構成要素である文化すべてが死に絶えることを意味する。それを実現するには、文明の担い手である人間を隣接文明も含めて全て根絶やしにしないといけないだろう。案外それは難しい。
文明とは、死んだ時間の中に閉ざされているものではない。現在進行形で生きて変化し続けるものである。
またグローバリズムの時代においては、世界規模で交じりあうものでもある。
生きた人間が担い手となって作られるのだから、人間が生きている限り、厳密には死ぬことはない。
そう、あのでっかいピラミッドですら、確かにヒトが作ったものなのだ。いぜん、あるエジプト学者が公演で「今までWhoが足りなかった(=ピラミッドを作った労働者たちの研究がおろそかになっていた)」という話をしていたが、それはまさに他の文明でも同じ事で、文献や遺跡の研究をしていながら、それらを作った人々、使った人々のことを考えずに上辺だけを撫でていたのである。
人の歴史は連綿と続いている。かつて古代文明を築いた人々の子孫が、"我々"なのだ。
高校の世界史は、まずこのへんから教えたほうがいいんじゃないのかなーとかなんとか、思って見る次第。