アイルランドの青銅器時代の遺跡からエジプトファイアンスが出土してるらしい
エジプトともケルトとも全然関係ないところで、アイルランドの歴史の本を読んでたら「先史時代」の章に、ケルト人が移住してくる前のアイルランドの墓からエジプトファイアンスが出土してるって話がサラリと一行書いてあったわけですよ。
むむむ?!
なんですと!
というわけで調べてみた。他にもあるのかもしれないけど、とりあえずこの2つが有名な「アイルランド出土のファイアンスビーズ」らしい。
・タラの丘の遺跡
発見 1955年
発見者 Sean O’Riordan (トリニティ・カレッジの考古学者)
タラの古代の墳墓の中から、ファイアンスビーズの首飾りをつけた青銅器時代の人骨が発見された。
そのファイアンスはエジプト製であると解析されている。
・バロウズの遺跡
発見 1889年
発見者 Mr Charles Bird(農夫)
バロウズの小さな墳丘で農夫が畑を耕していて墓を発見。
ファイアンスビーズは前14世紀頃のものと推定されている。
多分コレかなあ…。
きれいな写真とかが見つからなかった。
ファイアンスとは、石英を固めた中に銅粉を混ぜて焼いた焼き物のこと。
通常の焼き物といえば、粘土を焼いて釉薬をかけて作るが、エジプトファイアンスの場合は土台が石英なところに発色を促す金属粉を混ぜ込んで作るので、焼き上がりはガラスのような不思議な質感になる。
エジプトファイアンスはエジプトならではの水や空気(湿度、気温など)があって初めてできるもので、日本で製法を再現しても古代に近い発色にならないという。不思議と現地で作ると古代風にできる、とは、ファイアンスの研究をしている学者さんの講演会で聞いた話だ。
なので、アイルランドに製法が伝わって作られたものと、エジプトで作られたものを間違うことはまず無いと思う。
エジプトで作られたファイアンス、と言い切っているからには、成分、発色、製法その他、合致していたはず。だとすると、紀元前14世紀、ケルト人が渡来するずっと昔に、地中海を経てアイルランドへ至る交易路があったということになる。
#もちろん古代エジプト人がアイルランドに行く必要はない
#正倉院にインドの曼荼羅があったからといって
#奈良にインド人が来る必要がないのと同じ事。
ケルト人が来る前、青銅器時代のアイルランドというと、どんな人が暮らしていたのかもよく分かっていない謎の時代。その時代にどうやってエジプトからファイアンスビーズが運びだされ、どんなルートを辿って遥か西の果て、アイルランドへとたどり着いたのか… これはなかなかホットな謎なんじゃないですか?! ていうか、こういうのこそ歴史ミステリーって呼ぶべきだよね。
ウェブで軽くググってみたけど「黒いブリテン人」だの「エジプトの王女がアイルランドに移住した」だのロクな解説が見つからなかったんで、どっかいい資料があったら適当に追加ってことで。それとも、今もよく分かってないってことなのかな。
******************
【2017/5/28追加分】
ここ10年くらいで研究が進んで、ケルト観が大きく変更されました。
最近の研究では、巨石文化がケルト人関係ないことはもちろん、そもそも島のケルトは存在しなかったと(ケルトじゃない別のなにか)いうのが主流説となっています。
「島のケルト」は「大陸のケルト」とは別モノだった。というかケルトじゃなかったという話
https://55096962.seesaa.net/article/201705article_21.html
そのため、「鉄器時代が始まってもケルト人の渡来はほぼ無い」が前提となります。(´・ω・`)
むむむ?!
なんですと!
というわけで調べてみた。他にもあるのかもしれないけど、とりあえずこの2つが有名な「アイルランド出土のファイアンスビーズ」らしい。
・タラの丘の遺跡
発見 1955年
発見者 Sean O’Riordan (トリニティ・カレッジの考古学者)
タラの古代の墳墓の中から、ファイアンスビーズの首飾りをつけた青銅器時代の人骨が発見された。
そのファイアンスはエジプト製であると解析されている。
・バロウズの遺跡
発見 1889年
発見者 Mr Charles Bird(農夫)
バロウズの小さな墳丘で農夫が畑を耕していて墓を発見。
ファイアンスビーズは前14世紀頃のものと推定されている。
多分コレかなあ…。
きれいな写真とかが見つからなかった。
ファイアンスとは、石英を固めた中に銅粉を混ぜて焼いた焼き物のこと。
通常の焼き物といえば、粘土を焼いて釉薬をかけて作るが、エジプトファイアンスの場合は土台が石英なところに発色を促す金属粉を混ぜ込んで作るので、焼き上がりはガラスのような不思議な質感になる。
エジプトファイアンスはエジプトならではの水や空気(湿度、気温など)があって初めてできるもので、日本で製法を再現しても古代に近い発色にならないという。不思議と現地で作ると古代風にできる、とは、ファイアンスの研究をしている学者さんの講演会で聞いた話だ。
なので、アイルランドに製法が伝わって作られたものと、エジプトで作られたものを間違うことはまず無いと思う。
エジプトで作られたファイアンス、と言い切っているからには、成分、発色、製法その他、合致していたはず。だとすると、紀元前14世紀、ケルト人が渡来するずっと昔に、地中海を経てアイルランドへ至る交易路があったということになる。
#もちろん古代エジプト人がアイルランドに行く必要はない
#正倉院にインドの曼荼羅があったからといって
#奈良にインド人が来る必要がないのと同じ事。
ウェブで軽くググってみたけど「黒いブリテン人」だの「エジプトの王女がアイルランドに移住した」だのロクな解説が見つからなかったんで、どっかいい資料があったら適当に追加ってことで。それとも、今もよく分かってないってことなのかな。
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【2017/5/28追加分】
ここ10年くらいで研究が進んで、ケルト観が大きく変更されました。
最近の研究では、巨石文化がケルト人関係ないことはもちろん、そもそも島のケルトは存在しなかったと(ケルトじゃない別のなにか)いうのが主流説となっています。
「島のケルト」は「大陸のケルト」とは別モノだった。というかケルトじゃなかったという話
https://55096962.seesaa.net/article/201705article_21.html
そのため、「鉄器時代が始まってもケルト人の渡来はほぼ無い」が前提となります。(´・ω・`)
