古代エジプトの王たちと神殿 ―なぜ王たちは神殿をたてつづけたのか
稀代の建築王ともいうべきラメセス2世の建造した神殿の一覧を作ろうとして、ついでに他の王たちの手がけた神殿を辿っていたら、軽く絶望を味わった。
お 前 ら 作 り す ぎ だ
そりゃ、エジプトの遺跡の7割は未発掘、とか言われるわけだわ。発掘済みでも観光地になってない遺跡が多数あるわけだわ。
数のあまりの多さ、そして同じ神殿を別々の時代の別々の王たちが何度も増改築を繰り返しているという事実に軽くめまいを覚えるとともに、これをどうやって資料にすればいいんだと頭を抱えることしばし。
そしてそのうち、「古代エジプトの王たちは、なぜこんなに神殿を建てまくったんだろう」という疑問が湧いてきた。
財力を手にしたものの道楽、というのはひとつの理由。
信仰の厚い民族だったから、または王位が神威によって裏付けされていたから、というのも考えられる理由。
しかし私にはそれだけとは思えなかった。日本の古来の天皇や、将軍などの地位ある人々が寺社仏閣を建造したり寄進したりするのと同じ理由だとすれば、そこには多分に「義務」という概念が存在するのではないか。
たとえば、ルクソール神殿の中庭には、彫像の「隠し場」が存在する。
隠し場に収められていたのは第十八王朝(ツタンカーメンとかの時代)からプトレマイオス王朝(エジプト最後の王朝)までの王たちの、ほぼ完璧な彫像。神殿に収められたものの、置くところがなくなって、かといって捨てるわけにもいかないので、中庭に穴を掘って古いものからどんどん隠していった、と推測される遺構である。
この隠し場が意味するところは、王たちは即位すると自らの彫像を神殿に寄進していたということ。
ルクソールは新王国時代に首都だった場所である。ルクソール神殿は、カルナック神殿とともに、新王国以降のエジプトの歴史を通じて長らく国家の主神または主神に継ぐ重要な存在だったアメン神(アメン・ラー神)の主要な神殿だった。つまり日本でいうならお伊勢さんみたいなところなわけで、個人的な信仰はともかく、いちばん権威のある神殿には何か寄進する、というルールがあったように思えるのだ。
飾るとこがないから、古くなったからと、片付けられ、二度と目に触れないかもしれない地面の下に隠されてしまう彫像からは、少なくとも、「必要があって寄贈された」という雰囲気は感じないのである。
もっとも、「義務」として、「決まりだから」という理由だけで、神殿の建造が行われていたとは思っていない。権力と財力を持った者がやることは世界各国だいたいどこも同じ、とりあえず自分の名を後世に残すためのデカいものなんか作るぜ! っていうのは確かにある。
ラメセス2世に限っていえば、ヌビアに多数建てられた神殿は、支配する隣国に「エジプトの威光を知らしめ」、反逆する気を削ぐためという政治的な戦略が見受けられる。また、ルクソール対岸に建てられた葬祭殿などからは、自身の名と偉業を後世に伝えさせたいという自己顕示欲も感じられる。
ただしすべての王様がラメセス2世ではなかったということ、
古代エジプトの王様がこぞって建築マニアだったわけではなく、「持てるものの義務」として、神殿への寄進のつもりで神殿の増改築をやった人もいるんじゃないかな。そうだとすれば、財政の厳しい時代の王様も、他に目立つものを作っていない王様も、何がしかの「神殿」に関わっている不可解な事実に説明がつくんではなかろうか。古代エジプトの王様がすべて信心深かった、なんて、さすがにちょっと信じられんもんな。
各王様ごとに神殿をつくるいろんな理由があり、「しょーがないからとりあえず建てなおした」人から、「建築王に、俺はなるッ!」的な熱意を漲らせて張り切って神殿造営した人まで色々いたんじゃないかっていう、そんなお話。
ひとつの神殿を別々の王様が同じ場所に何度も建てなおしてたりするので、各王様別の業績で振り分けようとすると、作業が絶望的なことになります…(´・ω・`) 古代エジプト三千年の歴史パネェ。
お 前 ら 作 り す ぎ だ
そりゃ、エジプトの遺跡の7割は未発掘、とか言われるわけだわ。発掘済みでも観光地になってない遺跡が多数あるわけだわ。
数のあまりの多さ、そして同じ神殿を別々の時代の別々の王たちが何度も増改築を繰り返しているという事実に軽くめまいを覚えるとともに、これをどうやって資料にすればいいんだと頭を抱えることしばし。
そしてそのうち、「古代エジプトの王たちは、なぜこんなに神殿を建てまくったんだろう」という疑問が湧いてきた。
財力を手にしたものの道楽、というのはひとつの理由。
信仰の厚い民族だったから、または王位が神威によって裏付けされていたから、というのも考えられる理由。
しかし私にはそれだけとは思えなかった。日本の古来の天皇や、将軍などの地位ある人々が寺社仏閣を建造したり寄進したりするのと同じ理由だとすれば、そこには多分に「義務」という概念が存在するのではないか。
たとえば、ルクソール神殿の中庭には、彫像の「隠し場」が存在する。
隠し場に収められていたのは第十八王朝(ツタンカーメンとかの時代)からプトレマイオス王朝(エジプト最後の王朝)までの王たちの、ほぼ完璧な彫像。神殿に収められたものの、置くところがなくなって、かといって捨てるわけにもいかないので、中庭に穴を掘って古いものからどんどん隠していった、と推測される遺構である。
この隠し場が意味するところは、王たちは即位すると自らの彫像を神殿に寄進していたということ。
ルクソールは新王国時代に首都だった場所である。ルクソール神殿は、カルナック神殿とともに、新王国以降のエジプトの歴史を通じて長らく国家の主神または主神に継ぐ重要な存在だったアメン神(アメン・ラー神)の主要な神殿だった。つまり日本でいうならお伊勢さんみたいなところなわけで、個人的な信仰はともかく、いちばん権威のある神殿には何か寄進する、というルールがあったように思えるのだ。
飾るとこがないから、古くなったからと、片付けられ、二度と目に触れないかもしれない地面の下に隠されてしまう彫像からは、少なくとも、「必要があって寄贈された」という雰囲気は感じないのである。
もっとも、「義務」として、「決まりだから」という理由だけで、神殿の建造が行われていたとは思っていない。権力と財力を持った者がやることは世界各国だいたいどこも同じ、とりあえず自分の名を後世に残すためのデカいものなんか作るぜ! っていうのは確かにある。
ラメセス2世に限っていえば、ヌビアに多数建てられた神殿は、支配する隣国に「エジプトの威光を知らしめ」、反逆する気を削ぐためという政治的な戦略が見受けられる。また、ルクソール対岸に建てられた葬祭殿などからは、自身の名と偉業を後世に伝えさせたいという自己顕示欲も感じられる。
ただしすべての王様がラメセス2世ではなかったということ、
古代エジプトの王様がこぞって建築マニアだったわけではなく、「持てるものの義務」として、神殿への寄進のつもりで神殿の増改築をやった人もいるんじゃないかな。そうだとすれば、財政の厳しい時代の王様も、他に目立つものを作っていない王様も、何がしかの「神殿」に関わっている不可解な事実に説明がつくんではなかろうか。古代エジプトの王様がすべて信心深かった、なんて、さすがにちょっと信じられんもんな。
各王様ごとに神殿をつくるいろんな理由があり、「しょーがないからとりあえず建てなおした」人から、「建築王に、俺はなるッ!」的な熱意を漲らせて張り切って神殿造営した人まで色々いたんじゃないかっていう、そんなお話。
ひとつの神殿を別々の王様が同じ場所に何度も建てなおしてたりするので、各王様別の業績で振り分けようとすると、作業が絶望的なことになります…(´・ω・`) 古代エジプト三千年の歴史パネェ。