アスワン・ハイ・ダムとユネスコ・プロジェクト ~救われなかった遺跡たち

俺「もし透視能力があったら、アスワン・ハイ・ダムに沈んだヌビアの遺跡見に行くわ!」
一般人「えっ、遺跡って全部救われたんじゃないん?」
俺「・・・・・。」

そんな会話から始まるストーリー。
いやいやいや、遺跡めっちゃ数あったんだ、全部救えてません。大多数は水没しました! 泥の中です!

とりあえずわかってる遺跡は調査はしたけど、全部移転させるのはムリ、ってことになって、価値のあるものだけ各国で負担分けて移転させることにしたのね。
まあ日本でいう古墳みたいに、動かしようのないものもあったりするから…。

ちなみに水没した地域にあったのは、古代エジプト時代の遺跡だけじゃない。ざっくり分けると、

・先史時代~エジプト支配前
・エジプト支配時代 *紀元前2000年~紀元前8世紀あたり
・クシュ王国時代 *紀元前8世紀~紀元後3世紀あたり
・キリスト教時代 *3世紀から14世紀あたり
・イスラム支配時代~近代 *14世紀以降


だいたいこのくらいの種類に分けられる。(クシュ王国は文化的にはエジプト支配時代のものを引き継いでいたので遺跡は似ている)
で、エジプトばっかり注目されているけど、ヌビア地域が一番栄えていたのって実はキリスト教時代なんだよね。プレステ・ジョアン伝説ではないけれど、スーダンもエチオピアも、キリスト教と縁深く、アラブ人がやってくる以前から住んでいた文明化された人たちは、キリスト教がまだ完全に標準化されていない3世紀あたりから既にキリスト教徒だった。

そして、山ほどあった沈没予定の遺跡の中から、「これは価値があるな」というものだけ選び出して救ったのが、現存する遺跡なんだ。その数は実際に水没予定だった遺跡の1割にも満たないという。出せる予算と人手と水没までの時間を考えて、ギリギリのところで最低限を選び出したというところ。

ちなみに、アブ・シンベルやフィラエのイシス神殿はほぼ元の場所に移転されたが、移転先の用地がなかった神殿のいくつかは、まるごと外国に寄贈されている。なのでアメリカにいってメトロポリタン・ミュージアムに入ると、パピルスの植えられたパティオの真ん中に小さな神殿がデデンと建ってたりする。アブ・シンベルみたいに、ほぼ元の場所のまま残ってるほうが珍しいともいう。


ユネスコの以下のサイトを見ると、救われた神殿リストが出てくる。
手持ちの日本語資料と付きあわせてみた。
http://whc.unesco.org/en/activities/173/


★救済予定とされた数

<<エジプト側>>
・神殿14
・聖堂3
・教会1
・岩窟墓1

<<ヌビア側>>
・神殿4
・岩窟墓1

---計24



★救済神殿リスト

1.デンドゥル神殿
the small Dendur temple further South

2・エレイジア岩窟聖堂
the rock temple of Derr on the opposite, right bank of the Nile, dating to the period of Ramses II

3・ターファ神殿
4・ダボード神殿
The small temples of Debod, Qertassi and Taffa, from the same period as Philae

5・ファラス教会(の壁画)とファラスの列柱

6・フィラエ島のイシス神殿
the temples of Philae island on the island of Agilkia near the former Aswan dam

7・カラブシャ神殿
the large temple of Kalabsha, built by Augustus to the local god Mandulis

8・ベイト・エル・ワリ岩窟神殿
the temple of Beit el Wali in vicinity of Kalabsha

9・ケルタッシのキオスク
Kiosk of Qertassi

10・ワディ・エッ・セブア神殿
temple of Ramses II at Wadi es Sebua

11・ダッカ神殿
the Dakka temple dating from the Ptolomaic times

12・マハラッカ神殿
the Roman period temple of Maharraqa,

13・アマダ神殿
an old temple, built under the reign of Thutmosis III and Amenophis II (15th c. BC) at Amada, situated 205 km south of Aswan

14・デール神殿
the temples of Derr

15・ペンヌゥト岩窟墓
Pennut's Tomb at Aniba near the former site of Amada

16・アブ・シンベル神殿
the two rock temples of Ramses II at Abu Simbel, 280 km to the south of Aswan

17・アクシャ神殿
the temple of Ramses at Aksha

18・ブーヘン神殿
the fortified town of Buhen with two temples of the 18th Egyptian Dynasty and

19・セムナ、クンマ神殿と岸壁碑文
two temples of the same period in the fortresses of Semna East and West

20・ディベイラのジェフティ・ホテプ岩窟墓

21・ゲルフ・フセインの岩窟神殿
the rock temple of Ramses at Gerf Husein

22・アブ・オダの神殿
the small rock-cut chapel of Horemheb (end 14th c. BC) at Abu Oda on the opposite bank of the Nile, near the big fortified town of Gebel Adda (Roman and later)

---計22


数が合わないなー、と思って英文と日本語のリストを見比べてみると、どうやら謎はとけた…
ブーヘン神殿が2つあり、セムナ神殿とクンマ神殿も案件1つだけど2つなのか。そしたら神殿の数が合う。
ファラス神殿が出てこないのはなぜなんだ。神殿自体は解体して、中の壁画だけ救済したからなのかな…?


ついでに、調べているときに見つけた遺跡救済プロジェクトのタイムラインも貼っておく。
http://whc.unesco.org/uploads/activities/documents/activity-173-2.pdf

数千年単位の歴史タイムラインに慣れてしまうと1980年なんてツイ最近のように思うけど、冷静に考えたら、もう30年以上も前なのか。人間の一生なんて短いよなあ、数千年残ってきた神殿に比べれば… なんて、シミジミと思ってしまうのである。


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関連エントリ


”価値なきものを誰が振り返るのか” ヌビアの悲哀
https://55096962.seesaa.net/article/200805article_19.html

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