ペルーぶらり旅PART.3 マチュピチュ(+ワイナピチュ&ウチュイピチュ)

午前五時ちょっと過ぎ。
「ざっ ざっ ざっ ざっ」という謎の音で目を覚ます。…一体これは何の音…

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武装…もとい 登山装備した冒険者たちが一斉に山を目指す音だった。


マチュピチュは山の上にある。
ふもとの最寄りの村アグアスカリエンテスからはバスの往復も出ているものの、バスの始発は5時半。そしてお高い。ガイドブックでは「15.5ドル」と書かれているが、とんでもない、現地に行ってみたら18.5ドルだったよ。ここも値上がりしてやがる…!

というわけで、お金を節約したい人や、朝イチで乗り込んで遺跡で朝日を見たい人なんかは徒歩登山を敢行するのだ。できなくはないけど、でも相当キツい。
泊まった宿では朝食は4時半からと言われたが、このとき、その意味をようやく理解した。なんでそんな時間からやっとるんかというと、こうして夜明け前に山を目指す人たちがいるからなんだね(´・ω・`) さすがバックパッカー御用達の宿だぜ…

そんな気合の入ったバックパッカーをよそに、ゆっくり寝なおす中の人。
そして予定の6時に目覚め。
朝飯を食って、宿を出る。ようやくうっすらと夜が明けかけている頃…

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バス停はすでに地獄の様相となっていた。

ちょwwwおwww まwwww
なんwww すかwww これwww

えええ、5時半始発だろ? いま6時ちょっと過ぎだろ? どういうことなの…
この時点で、「マチュピチュへの入場は一日2500人まで」という公式の人数制限は実は建前であることを悟った中の人。いやなんかそんな気はしてたんですけどね。この行列だけで1000人はいるよね(´・ω・`)

バスはひっきりなしにやってくる。そしてピストン輸送。ガンガン輸送するも人の列はどんどん伸びていく。
そしてそこへ絶妙のタイミングでやってくる軽食&飲み物売りの村人たち。商売うめぇな…。(笑)

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クスコからの始発電車も到着し、ますます大混雑の村。
結局、バスに乗れたのは6時45分くらい。30分ほど山道を登って7時過ぎにはマチュピチュに到着。
入り口でパスポートチェックがあり、ここでも朝っぱらから通勤ラッシュの品川駅なみの人混みに揉まれてぐったり。

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そんなこんなで、感動もクソもないマチュピチュ第一日目のスタートである。


ちなみに左に階段を登っていく人たちが順路をたどる一般観光客、右手にまっすぐ行くのがワイナピチュを目指す登山客。

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奥に見えているのがワイナピチュ山。イチイチ感動して足を止める暇もないというか、すでに背後から大量の観光客が押し迫ってきているのでそれどころではないという。


ワイナピチュ山への入り口に到着。7時半ちょっと過ぎ。
入り口でチケットを見せ、名簿に名前や国籍などを記入する。ワイナピチュの入山は一日400人まで。名簿に記載された人数を見る限り、ここの人数制限だけはガチなようだ。あとで実際に山に登ったときにわかるのだが、そうしないと確実に死人が出ると思われる。

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さて、ようやくここからが本番。

ここへ来たのはマチュピチュの遺跡を楽しむためというよりは、山登りを楽しむためである。
いくぜ山!!!!

入り口はわりとまったりとした、ゆるやかな獣道となっており…

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このあたりまでは、ゆるやかに下る。
ほぼハイキング・コース。

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この時点では、まだマチュピチュ遺跡との標高差はあまりなく、周囲の山がさして険しいとも感じない。
だが次の瞬間、人々は道の変化に驚愕することになる…。

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こうなります。
いきなりこうなります。ヒャッハー 足を滑らせたらレッツ谷底だぜえええー!
中の人こういう道が大好きなので超楽しくなってきました。これだよこれこれ。山といえばこれ。

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ただの山と思うなかれ。
このワイナピチュ山にも遺跡がある。というか、ここもマチュピチュのれっきとした一部だから、だから見たい。
山に刻まれた石段は遺跡本体と同時に作られたもの。我々はそこを、かつてのインカの人々と同じように登っていく。



ここの石組みは、すごくキレイだ。
隙間に草が生えているところもあるけど、植物に侵食されてなお、ほとんど崩れることなくシッカリと組み合わされたまま。オリャンタイタンボの遺跡で言えば、うえのほうの宗教施設なみの美しさ。だから、ここの石組みは一般市民の住居として築かれたのではなく、宗教目的の重要施設の一部だったのだと思う。

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アンデネス(段々畑)も、ある。
が、ここは畑ではないだろう。北側で、日当たりが悪い。しかも面積が狭い。
アンデネスには、山が風雨で侵食されることを防ぐ目的もあったという。ここのアンデネスは、いわば山の補強工事の意味合いが強かったんだと思う。

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振り返ると、けっこうな高さまで来ている。
この時点で、けっこうな人数が 脱落。 途中のアンデネスでぐったりしている(笑)

入山規制で人数制限されているのは、こうして途中で脱落した人が道を塞いでしまい、道が詰まってしまうからなのだろう。つーか今の時間差200人ずつでも結構限界。山頂も道もとても狭いので、長時間立ち止まられると後ろが進めないっていうね…。

そしてこの山道なのに、サンダルばきで着ちゃってるトンでもない人もいたり。
山ナメて装備整えて来ない人ってぇのは、万国共通なんだな…。


遠くのほうには雪をかぶった山が見える
日本アルプスとかと風景は似てる。ワイナピチュの標高は2600m。つまり、それ級の山に登る装備はして来いってこと。

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半ばを過ぎたあたりは、こんな感じ。笑えるほど断崖絶壁だぜ!
脱落者が出まくりなので、ここまでたどり着いているのは数十人といったところ。

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振り返ると、今朝発ってきたアグアスカリエンテスの村が、川沿いに見えている。
この標高差なんである。

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この風景を見た時、外国の登山家が日本の山に来て言ったという、「日本の山は険しからず されど甚だ深し」のという言葉を思い出した。

日本の山道で、このワイナピチュほど険しいところは少ない。ただ、山の頂上から麓の村が見えることは先ず無い。 山はゆるやかに重なっているが、幾重にも重なっていることによって、山脈の奥深くの最高峰に立ち入った時には人里の領域を遠く離れてしまっている。

人の住む領域と、山の領域とが遠く隔たっている。”日本の山が深い”とは、そういう意味だ。


けれどこの山は、険しくとも深くはない。すぐそこに人の領域が見えている。
日本では古来より、山々の奥深くは人の触れられない神域とされてきた。それがこの国では、山の頂きは人里の隣にある。すぐそこに見えている山の威容こそ神域なのだ。


そう思った時、なんでマチュピチュはこんな不便な山の上に作られたのか? という、よく言われる謎の答えが分かった気がした。
たぶん理由は、ここがワイナピチュとマチュピチュ、2つの山の「間」にある場所だから。
2つの”神域”に挟まれた土地だから。
それが、マチュピチュ遺跡のある場所が「聖なるもの」とされ、街が作られた理由ではなかろうか。

――だとすれば、マチュピチュは太陽と月を頂き祀る2つの神聖な山で祭祀を執り行うことを一つの目的として機能した街、とも理解出来る。マチュピチュの”本体”と言うべき部分は、山の上にある神殿のほうだったんじゃないかと。

あってるかどうかは知らん(笑)
ただ、これが、現地で眺めて自分なりに出した答え。

机の上で写真見ながらあーだこーだ考えてても理由なんぞわからん。現地行ってみて、現地人になりきって考えてみたらなんか出てくる。答えは空気なんだよ、空気。雰囲気というか、ノリというか。


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山頂から、遠くマチュピチュ遺跡を見下ろしながら、後半戦へ つづく。

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