ペルーぶらり旅PART.12 リマ近郊遺跡めぐり~パチャカマ遺跡へ行こう!

この日は、英語混載でのパチャカマ遺跡ツアー。
自力でバス乗り継いで行こうかとも思ったんだけどねー…

バスがこれなんですよね

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見た瞬間、「無理だwwww」ってなった。
バス停きれいなのに、バス本体どうしてこうなった。
クスコ→オリャンタのコレクティーボは普通のトヨタだったのに(´・ω・`)

これは多少高くてもメトロポリターノに人が流れるわけだ、と納得。


で、旅行代理店に手配してもらって混載のツアーに紛れ込んだわけですが。
なんかガイドさんがいやにノリノリで、お客さんみんなに話しかけてくる。

「どちらから来られたんですかー? どのくらいペルーに滞在されるんですかー?」
「カナダです♪ 4週間ほど休暇です♪」

…(´・ω・`) 休みの短い日本人に対する嫌がらせですか?
そんな年上の各国おばさま方に取り囲まれて、たったひとりのちっこいアジア人。そこはかとないアウェイ感。

「右手をごらんくださーい♪ スーパー・メトロです。有名なチェーン店でーす。ペルーではメトロっていったら地下鉄じゃないんですよ、スーパーなんですー」
「HAHAHA!」(車内)

なんだろう、このノリ…あれだ、…はとバス?
とにもかくにも、バスは海岸線を遺跡に向けて走る。


走っているうちに、「なぜリマの遺跡は海沿いにあるのに津波で流れないのか」を理解していった。
答え: 海岸線がひたすら崖だから。
海岸沿いの道は、左手が崖、右手が海。崖の上には住宅街。流される部分はすでに流れてしまって、津波が届かない高台の部分にだけ、町と遺跡がある。

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街路樹に柱サボテン。
このへんはさすが南国。

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崖がだんだん低くなってきたと思ったら、砂の山。
一部に木が植えられており、ガイドさんは「緑化活動してるんですー」と言ってたが、たぶん津波がくると流されるんじゃないかな。で、それを繰り返して土壌が塩分を含んでるから草が生えないんじゃないかな…。
こんなのが街の中にあるとか。どうやって出来たんだろう、この地形。

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そしてようやく、行く手に遺跡のある丘が見えてくる。

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遺跡が広いのはなんとなく分かっていた。
晴れてたらものすごく暑そうなのもなんとなく覚悟していた。(この日は曇っていたので肌寒いくらいだったが…)

だが入り口に立ってみると、その予想外の広さに驚く。

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ゴクリ…。
ちなみに奥の方にうっすらと見えているのが「太陽の神殿」のある目的地の丘。中には、途中に簡易トイレがある以外に物資補給基地などは無し! これは晴れてる日に装備なしで着たら脱水症状でぶっ倒れるな!

ちなみに、はとバスツアーだと車が中に入れるので、神殿のふもとまで車で送迎してくれるんだぜ。
わーい便利。

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しかしこの遺跡、ほんとに広大。
マチュピチュなんかのインカの石組みが有名だが、ペルーの遺跡は、 降水量の少ない海沿いはレンガづくり、雨のよく降る山間部は石造り と別れている。地味とか言ってはいけない、レンガづくりの遺跡もインカの遺跡なんである。

ここに行くまで、「ずいぶん広大な神殿だったんだなあ…」とか思っていたけど、ここ神殿じゃなくて 都市の遺跡 だったよ。町だ。どおりでデカいと思った。

考えてみれば、ほかの遺跡もだいたい「町」なんだよな。
マチュピチュだって居住区はあるし、オリャンタイタンボやサクサイワマンも、「砦」と言いつつ住居部分がある。
というか近くに、遺跡の上に今も人が住んでる集落がある。


基本的に神殿と周辺の集落はセットで、たまたま神殿と一緒に集落も放棄されると、このパチャカマ遺跡みたいな状態になって、集落がそのまま使われ続けると、オリャンタイタンボみたいな状態になるということか。


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こちらが復元前のレンガ壁。

雨がほとんど降らないとはいえ多少は降るので、オリジナルの土レンガ部分は崩れて泥塊と化している。
スペイン人に征服され、放棄されていた頃の遺跡は、こんな感じだったのだろうと思う。

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こちらが復元後の建物。
太陽の処女たちが住んだ館なのだとか。

パチャカマ遺跡はインカによって征服されたのち、こうしたインカ様式の建物が建て増しされ、インカの儀礼に取り込まれていったのだそうだ。

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そしてようやくたどり着いた、最深部の「太陽の神殿」。
ここもインカ征服後に建てられた神殿らしいのだが、…レンガのピラミッドなんである。
石ではなく。

遠目に見るとただの砂山。

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ここは丘になっているので、周囲がよく見える。
改めて、この遺跡の広大さを実感する。広大な遺跡の周辺には町が迫っているが、未発掘地域けっこうありそうなんよね。町の下に埋もれてる遺跡たくさんありそうな予感。

そしてこれ。
丘の上から 海が見える。

日本出発前に 海が見えるらしい と書いた。
本当に見えた。ここは、確かに「砂漠の中にありながら海の近く」。確かに海の神を祀れる都市だ…。

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太陽の神殿自体はインカ統治下で作られたものなので、インカの伝統を踏襲した作りになっている。

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オリジナルの壁面部分にうっすらと残る赤い色。
500年も前のものなのに、まぁよく残ってるなと思う。埋まってたからなんだろうけどね。

同じ土レンガの遺構でもエジプトさんは土台しか残ってないよなーと思ったけど、エジプトさんは3000年とか経ってるからなんだな(´・ω・`) おまけに集落が川の近くすぎて、ナイルの氾濫で定期的に流されちゃうからなー。

ここの遺跡も、あと千年もすれば原型が無くなっているかもしれない。

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すでに原型がなくなりかけている部分。

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埋もれてたら遺跡って気づかないよねコレ。

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こういう、半ば埋もれかけた遺跡って、発掘したら何か色々出てきそうなワクワク感がある。
あんまキレイに整備されるとな、ちょっとワクワク感は薄れちゃうのよね(笑



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太陽の神殿のいちばん高いとこから眺める海。

この島には、インカの王女にまつわる伝説があるんだという。神様に見初められた乙女が子供を産み…みたいな、ちょっと日本神話っぽい感じの話だった。インカの文字はないから、地元の人が覚えていてそう語ったんかな? 地元に伝わる民話ってやつか。

この景色が見たくて、この遺跡にやってきた。
遺跡が太陽神崇拝のために作り変えられても、海は変わらず、波の音を遠く響かせ、潮の香りを運び続ける。

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堪能したら、ゆっくりと丘を降りて居住区部分も回って終了。
太陽の神殿以外にもピラミッドや大通り、運河の跡なんかがあって楽しかった。遺跡は広くて歩きまわるのは大変だけど、こういう「土くれに還る寸前の遺跡」が好きな人なら、きっと楽しめると思う。砂まじりの風が叩きつける中、崩れかけたピラミッドを前にして、色々空想が膨らむのです! 脳内に歌が流れてきちゃう。

そして帰り道

見つけてしまった「バス亭 パチャカマ遺跡前」…

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うん、これは無理だな!(笑
ローカルバス乗らなくてよかった…。こんなとこで一人ぽつーんとバス待つのは無理だわー…。

吹きっ晒しのバス停でバスを待つ地元民すげぇと思いました。


つづく。


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