ペルーぶらり旅PART.13 リマ近郊遺跡めぐり~ワカ・プクヤーナ
パチャカマから帰ってきたら、お次はミラフローレス地区の中にある遺跡「ワカ・プクヤーナ」へ。
ワカは聖なる地、という意味。ここも海沿いにあるので、日干し煉瓦を積み上げて作られている、プレ・インカ時代の遺跡。
遺跡は、おもっくそ住宅街の中にある。
ちなみに、入り口はココ。反対側に来ちゃうと、けっこう歩くハメになる。
併設されているレストランも同じ入口から入る。
入り口を入ると、すぐ右側にレストラン入り口があった。ここのごはんは美味しいらしいのだが、入り口からしてお高そうな雰囲気。おされな人ばっかり入っていくよ。
この遺跡も英語orスペイン語の専属ガイドさんつきじゃないと入れてくれないので、しばし待ち。
待ってる横では、遺跡を眺めながらレスラトンで優雅に食事している人々。
…だけどこれ、おもっくそ吹きっ晒しだからさ、遺跡がレンガづくりだから、風吹く日はものすごーくヤバい気がするのですががが。
待ってる間、入り口に併設の博物館で発掘品とかを見る。
遺跡の空撮写真、みごとに住宅街のド真ん中。
このミラ・フローレス地区は100年くらい前に開発が始まったそうで、いくつかの遺跡は町の下に埋もれたままだとか…。ここの遺跡も、かなり無理やり区画を区切って、住宅街の中に取り残されている感じ。本当はパチャカマ遺跡と同じく広大な集落の遺跡だったのが、ピラミッド周辺だけ残して、あとは周辺のビルを建てる時に破壊されたんじゃないかと思う。
****
さて、時間がきたので、待っていた英語ガイド希望のお客が中に案内される。
赤いベストを着ているのが公認ガイドさん。丁寧に遺跡の概要を説明してくれる。
遺跡の中には随所に模型の人形が立っていて、当時を再現。
泥れんがの作り方。
その場で作って積み上げたらしい。
そういやマチュピチュも、その場で取れる石で作ったんだったよな… とか。
泥れんがは「アドビ」と呼ばれているが、なぜれんがで遺跡を作ったのかというと「耐震のため」だったそうだ。
縦横に交互に積まれたレンガの隙間が揺れを吸収するので、崩れない。インカの精緻な石組みのイメージがあると、れんがのスキマだらけの遺跡はいかにも稚拙に見えるかもしれないが、場所にあわせて素材と構造を変えている、よく考えられた構造なのだ。
雑に積み上げただけの遺跡なら今まで残ってたりしないからね。
ちなみに、ここの遺跡の上部のきれいな部分は復元だそうだ。
ガイドさんに「どこまでオリジナルなの?」って聞いてみたら、繋ぎ目がわかるところを教えてくれた。
なるほど、下の方は崩れてるけど上のほうは新しい。
ここの柱もオリジナルらしい。
腐らずに残っているあたり、確かにこの辺りは雨が少ないんだなー…。
通りを挟んだ反対側にも遺跡の一部が見える。
道路で遺跡ぶったぎられてますねコレ…
遺跡の一角には、当時食されていた植物が植えられている。
こちらは白いトウモロコシ「チョクロ」。キヌアやトウガラシ、ジャガイモなどもあった。
他には食べられていた動物ということで、アルパカ、クイ、カモなども…。
かつてそこに暮らしていた人の生活が見える展示をしてあるのは良いなと思った。
この国の人たちが、遺跡を築いたのが自分たちの先祖だと認識している証拠かなー、と。
中では、遺跡を修復する人々が作業中だ。
こうしてオリジナルの遺跡に上積みしていっているらしい。
周辺をぐるり一周したら、いよいよ真ん中にデンとそびえるピラミッドへ登る。
このピラミッドの上部には墓と広間(宴会場)があり、発掘の終わってる部分について公開されている。
↓こんな感じで、ピラミッドに直接穴を掘って遺体が格納されていたらしい。
周囲にあるのは一緒に発見された副葬品の模型。
この辺りの墓は、庶民を埋めてるから金や財宝は無いんだよね。
だから長年放置されてて盗掘されなかったのかなー、とか思った。エジプトさんなら、町中にある遺跡は盗掘済みだよね…。
ここの説明を聞いていて、気がついたことがある。
ここの人たちってピラミッドを作りたかったわけじゃないんだよね。
墓を上へ上へ拡張していったら結果的にピラミッドになっちゃっただけなんだね。
このピラミッドは内部に遺体を多数埋め込んでいる、いわば共同墓地だ。遺体を埋めるたびに、ピラミッドを上へ横へと増設していかないといけない。結果的に、だんだんピラミッドがデカくなっていくんだな。ピラミッドに埋葬することが目的なんじゃなくて、墓を使いまわしてたら、結果的にそこがピラミッドになっちゃう、っていうことなんだ。
これは、マヤのピラミッドなんかでも同じ。
ひとつの大きなピラミッドの中に、何層にも過去のピラミッドが埋もれている。
この遺跡の名前「ワカ・プクヤーナ」の「ワカ」は聖なる土地を示す言葉だという。
ここが神聖な土地「ワカ」だから、墓を作って人を埋葬していたんだと思う。墓はワカに作りたい。しかしワカの面積には限りがある。そこでレンガを積み上げて、ワカを縦横に増設して埋葬できる数を増やす。
これを繰り返していくうちに、今みたいな巨大なレンガのピラミッドが出来上がることになる。
――で、長い時間が過ぎるにつれ、結局は元々の神聖な「ワカ」から遠ざかりすぎることになる。
そうして、たぶん、ある一定の時期までくると、もうこれ以上ワカに葬ることは出来ない、ということで、その場所は放棄されるのだと思う。マヤの都市が定期的に放棄されていたのって、ワカの寿命というか、収容可能数を越えてワカが機能しなくなったからなんじゃないのかなあ。
と、いう推測が正しかったとして、プレ・インカ時代のワカにも、ワカ自体の寿命や放棄の概念はあったのかどうかは気になるところ。
最後に、大地の神に捧げ物をする儀式の模型を見て入り口へ帰還。所要時間1時間程度のツアー終了。
プレ・インカの遺跡って、太陽神は序列的にあんま上じゃない感じがいる。大地母神が上。遺跡にピラミッドがあっても、太陽に近づくために空を目指して作ったものではない。太陽神が一番上ってのはインカの、もっというとインカの元々の出身地であるチチカカ湖周辺のローカル伝承だったりするのかな…?
空に近い高地のほうが、太陽信仰が強いと何となく感じた。
****
ピラミッド付近では、いまも発掘が続けられている。
いまだに全貌が明らかではないというが、発掘が始まったのがたぶん最近なんだろう。
発掘されていない部分は、外側から見るとただの山にしか見えない。
中からちょろっとだけレンガ組が見えてるから、かろうじて遺跡かなって分かるくらい。それでも、このへんの山みんなこんな感じだから、古いのか新しいのか見分けつかない気がする。
よく南米のニュースで、「小学校建てようとしたらミイラ出てきました」とかがあって、そんな頻繁に出てくるものなのー? って半信半疑だったんだけど、これ見ると納得した。遺跡があるって気づいてないまま住んじゃいそう。
京都なんかと一緒なんだよねーたぶん。地下鉄作ろうとしたら古墳が出てくるようなもんか。
リマの町の下には、他にもまだいろんな遺跡が埋もれているのかもしれない…。
続きは最終日。天野博物館に寄ったら、いよいよ日本へ帰るのです。
―――――
まとめ読みはこちら
ワカは聖なる地、という意味。ここも海沿いにあるので、日干し煉瓦を積み上げて作られている、プレ・インカ時代の遺跡。
遺跡は、おもっくそ住宅街の中にある。
ちなみに、入り口はココ。反対側に来ちゃうと、けっこう歩くハメになる。
併設されているレストランも同じ入口から入る。
入り口を入ると、すぐ右側にレストラン入り口があった。ここのごはんは美味しいらしいのだが、入り口からしてお高そうな雰囲気。おされな人ばっかり入っていくよ。
この遺跡も英語orスペイン語の専属ガイドさんつきじゃないと入れてくれないので、しばし待ち。
待ってる横では、遺跡を眺めながらレスラトンで優雅に食事している人々。
…だけどこれ、おもっくそ吹きっ晒しだからさ、遺跡がレンガづくりだから、風吹く日はものすごーくヤバい気がするのですががが。
待ってる間、入り口に併設の博物館で発掘品とかを見る。
遺跡の空撮写真、みごとに住宅街のド真ん中。
このミラ・フローレス地区は100年くらい前に開発が始まったそうで、いくつかの遺跡は町の下に埋もれたままだとか…。ここの遺跡も、かなり無理やり区画を区切って、住宅街の中に取り残されている感じ。本当はパチャカマ遺跡と同じく広大な集落の遺跡だったのが、ピラミッド周辺だけ残して、あとは周辺のビルを建てる時に破壊されたんじゃないかと思う。
****
さて、時間がきたので、待っていた英語ガイド希望のお客が中に案内される。
赤いベストを着ているのが公認ガイドさん。丁寧に遺跡の概要を説明してくれる。
遺跡の中には随所に模型の人形が立っていて、当時を再現。
泥れんがの作り方。
その場で作って積み上げたらしい。
そういやマチュピチュも、その場で取れる石で作ったんだったよな… とか。
泥れんがは「アドビ」と呼ばれているが、なぜれんがで遺跡を作ったのかというと「耐震のため」だったそうだ。
縦横に交互に積まれたレンガの隙間が揺れを吸収するので、崩れない。インカの精緻な石組みのイメージがあると、れんがのスキマだらけの遺跡はいかにも稚拙に見えるかもしれないが、場所にあわせて素材と構造を変えている、よく考えられた構造なのだ。
雑に積み上げただけの遺跡なら今まで残ってたりしないからね。
ちなみに、ここの遺跡の上部のきれいな部分は復元だそうだ。
ガイドさんに「どこまでオリジナルなの?」って聞いてみたら、繋ぎ目がわかるところを教えてくれた。
なるほど、下の方は崩れてるけど上のほうは新しい。
ここの柱もオリジナルらしい。
腐らずに残っているあたり、確かにこの辺りは雨が少ないんだなー…。
通りを挟んだ反対側にも遺跡の一部が見える。
道路で遺跡ぶったぎられてますねコレ…
遺跡の一角には、当時食されていた植物が植えられている。
こちらは白いトウモロコシ「チョクロ」。キヌアやトウガラシ、ジャガイモなどもあった。
他には食べられていた動物ということで、アルパカ、クイ、カモなども…。
かつてそこに暮らしていた人の生活が見える展示をしてあるのは良いなと思った。
この国の人たちが、遺跡を築いたのが自分たちの先祖だと認識している証拠かなー、と。
中では、遺跡を修復する人々が作業中だ。
こうしてオリジナルの遺跡に上積みしていっているらしい。
周辺をぐるり一周したら、いよいよ真ん中にデンとそびえるピラミッドへ登る。
このピラミッドの上部には墓と広間(宴会場)があり、発掘の終わってる部分について公開されている。
↓こんな感じで、ピラミッドに直接穴を掘って遺体が格納されていたらしい。
周囲にあるのは一緒に発見された副葬品の模型。
この辺りの墓は、庶民を埋めてるから金や財宝は無いんだよね。
だから長年放置されてて盗掘されなかったのかなー、とか思った。エジプトさんなら、町中にある遺跡は盗掘済みだよね…。
ここの説明を聞いていて、気がついたことがある。
ここの人たちってピラミッドを作りたかったわけじゃないんだよね。
墓を上へ上へ拡張していったら結果的にピラミッドになっちゃっただけなんだね。
このピラミッドは内部に遺体を多数埋め込んでいる、いわば共同墓地だ。遺体を埋めるたびに、ピラミッドを上へ横へと増設していかないといけない。結果的に、だんだんピラミッドがデカくなっていくんだな。ピラミッドに埋葬することが目的なんじゃなくて、墓を使いまわしてたら、結果的にそこがピラミッドになっちゃう、っていうことなんだ。
これは、マヤのピラミッドなんかでも同じ。
ひとつの大きなピラミッドの中に、何層にも過去のピラミッドが埋もれている。
この遺跡の名前「ワカ・プクヤーナ」の「ワカ」は聖なる土地を示す言葉だという。
ここが神聖な土地「ワカ」だから、墓を作って人を埋葬していたんだと思う。墓はワカに作りたい。しかしワカの面積には限りがある。そこでレンガを積み上げて、ワカを縦横に増設して埋葬できる数を増やす。
これを繰り返していくうちに、今みたいな巨大なレンガのピラミッドが出来上がることになる。
――で、長い時間が過ぎるにつれ、結局は元々の神聖な「ワカ」から遠ざかりすぎることになる。
そうして、たぶん、ある一定の時期までくると、もうこれ以上ワカに葬ることは出来ない、ということで、その場所は放棄されるのだと思う。マヤの都市が定期的に放棄されていたのって、ワカの寿命というか、収容可能数を越えてワカが機能しなくなったからなんじゃないのかなあ。
と、いう推測が正しかったとして、プレ・インカ時代のワカにも、ワカ自体の寿命や放棄の概念はあったのかどうかは気になるところ。
最後に、大地の神に捧げ物をする儀式の模型を見て入り口へ帰還。所要時間1時間程度のツアー終了。
プレ・インカの遺跡って、太陽神は序列的にあんま上じゃない感じがいる。大地母神が上。遺跡にピラミッドがあっても、太陽に近づくために空を目指して作ったものではない。太陽神が一番上ってのはインカの、もっというとインカの元々の出身地であるチチカカ湖周辺のローカル伝承だったりするのかな…?
空に近い高地のほうが、太陽信仰が強いと何となく感じた。
****
ピラミッド付近では、いまも発掘が続けられている。
いまだに全貌が明らかではないというが、発掘が始まったのがたぶん最近なんだろう。
発掘されていない部分は、外側から見るとただの山にしか見えない。
中からちょろっとだけレンガ組が見えてるから、かろうじて遺跡かなって分かるくらい。それでも、このへんの山みんなこんな感じだから、古いのか新しいのか見分けつかない気がする。
よく南米のニュースで、「小学校建てようとしたらミイラ出てきました」とかがあって、そんな頻繁に出てくるものなのー? って半信半疑だったんだけど、これ見ると納得した。遺跡があるって気づいてないまま住んじゃいそう。
京都なんかと一緒なんだよねーたぶん。地下鉄作ろうとしたら古墳が出てくるようなもんか。
リマの町の下には、他にもまだいろんな遺跡が埋もれているのかもしれない…。
続きは最終日。天野博物館に寄ったら、いよいよ日本へ帰るのです。
―――――
まとめ読みはこちら