インカと周辺南米文化の考え方「人間が最大の財産」
「人が財産である」というのは、人材が大事とかいう、現代の会社が言うような話ではなく。
奴隷でも、召使でも、自由に使える労働力が自分の財産である という考え方。
ペルーに行く前に読んだ本に出てきた、「人をどれだけ動かせるかが財産価値である」という言葉のことを、旅の間、ずっと考えていた。
マヤやアステカ、インカに代表される中南米の文化では、冶金術はあったのに、鉄器が誕生しなかった。投石機のような大型の兵器も、鉄砲のような殺傷能力の高い遠距離武器も、あるいは落とし穴やスパイクのような罠でさえ、対人用には使われていなかったと思う。
戦争はする。しかしそれは限られた階級のスポーツのようなもので、一般人が大量に処刑されることはほとんどない。村や町を焼き払わず、指導者だけを儀式的に殺す。むやみに人を殺さないのが特徴だと私は理解している。
人間はみな闘争心を持っている。
戦争で人を殺さないのは、それを自制していたということ。
その理由が、「労働力が財産」だから、征服した人々を殺してしまったら得るものが減るから、という、実利的な話に繋がっているとしたら、どうだろう。
帝国は、拡大することを本質とする、という。
ローマは土地を求めて拡大しつづけた。同じくインカも、皇帝が代替わりするごとに新たな領土を求めて拡大し続け、およそ百年のうちに北はエクアドル、南はチリ中央に至る版図を手に入れた。
ローマが求めたものは、まずひとつに土地であった。
退役兵に報酬として土地を与えなくてはならない。しかし数が多ければ与えられる土地には限りがある。国内に土地がないから戦争によって土地を獲得するしかないが、その戦争によって兵士が増え、さらに必要な土地が増えててしまうという悪循環に陥ってしまう。
こうして、自らの制度によって自らを崩壊させ、拡大をやめたあと、ローマは四散し縮小化されてしまった。
インカも土地は求めていた。理由はローマとは異なるが、死後も皇帝は「生きている」という信仰があったため、先代王の所有地は先代王のもののままとなり、自分が継げなかったからだ。王個人の所有する領地が欲しければ、即位したあとに獲得しにいくしかない。こうして帝国は、王が代替わりするごとに拡大を繰り返した。
順調に拡大し続けていられる間は、征服地域が増えるに伴って、各地方で取れる特産物や、部族のもつ技術(例えば冶金術)などを吸収して、さらに国力を増し、皇帝の威信を高めていられた。
しかし手の届く範囲にもはや征服する場所がない時代がやってくる。そうなると、新たに即位した皇帝は自分の土地を手に入れることが出来ない。スペイン人が訪れたのは、ちょうどその頃だった。インカがローマと同じように自らの制度に潰されようとして、うちわもめを始めた時期だったのだ。
しかし、土地が欲しいだけならば、手つかずの土地を開墾するのでも良かったはずだ。
帝国を拡大していったもう一つの理由は、「人も財産」であるから。耕地は新たに生み出せても、そこに作物を育てる人手は大地から自然には生まれない。
帝国は、部族や小国を制服することによって、「人」を得るためにも拡大を続ける必要があった。
こうして考えてきてみると、インカが、とくに特産物もなさそうな果ての地まで遠征に行ってるのも納得できる。一番の財産が労働だったんだとすれば、そこに人がいれば、黄金や、豊かな土地がなくても良かったのだろう。
インカの時代には、輪番制で地方から人を連れてきては労働に従事させていたらしい。(これを"ミティマエス"という) 納税は労働力で支払われた。だがあまりにも文明化されていない人々を征服すると、まともに働かせることが出来ない。どうしようもなかったので「毎月、しらみを管に入れて収めるように」という課題を課してそれを納税とした、というエピソードも残っている。
しらみの入った管そのものにはもちろん、価値はない。なんでそんなメンドクサイことをしてたのかなー、と思ったけど、「インカの言うとおりに労働した」「労働させることが出来た」という事実が重要だったとすれば、確かにそれもアリなんだよね。労働させることができれば財産となる。石を積んだり、畑を耕したりすることは出来なくても、しらみを取るだけでも、とにかく言うとおりに動かせれば「財産」としてカウントできる、という考え方か。
支配していること=財産であること=言うとおりに動かせること。
だから多分、考え方が根本から現代人とは違うんだろうな。
現代人だと、成果物としての「モノ」、結果が財産だから、効率よく何かを作る(=モノを増やす)ことを重視する。
だけど、インカの皇帝は、モノを作る過程でどれだけの「人」を動員できるか、過程こそが財産だから、、メチャクチャ時間がかかっても、バカじゃねーのこんなもん要らねーよっていうような無駄なものを作ってても構わない。たくさんの人を動員してモノを作ることが重要だったんだ。
よく、インカの精巧な石組みをさして、「簡単な道具しかないのに、なぜこんなものを作れたのか。」と言う人がいるが、道具が発達しなかったのも、故あってなんだと思う。文化が遅れてたからではなく、「大量の人間と大量の時間を投入して、ひたすらアナクロにモノを作り上げる」ことに意味があったからじゃないかな。便利な道具を作って、労働工数を減らしたら出来上がったものの価値も下がってしまう、という考え方。
もちろん、金や穀物、土地などが、財産ではなかったわけではないだろう。
しかし、通貨のない時代、穀物や織物といった物質で貯蓄されている財産は、いずれ劣化して消滅してしまう。織物あたりなら耐久性もあるし、何年かはもつだろうが、チチャのような飲み物などは、置いておくと、すぐに価値が下がってしまう。
その点、「人」は、戦争なんかしない限りはそう簡単に減らないし、健康なら、何十年かは生きている。子供が生まれれば世代も交代していくし、比較的「劣化しにくい」、「無くなりにくい」財産の一つ、とも考えられる。
動かせる人間の数が最も価値ある財産の一つだったというのは、実はほかの文明でも当てはまるんじゃないかなと。
――と、ここまで考えてきたとき、ふと気がついたんだ。
中南米の文化って、やたらと人間を神に捧げるんだ。心臓をえぐりだしたり、子供を泉に投げ込んだり。
なんでそんなに人間を捧げたがるんだろうってずっと疑問に思ってたんだけど、そうか、「最も価値ある財産=人間」だからソレを捧げてるってことなのか…?!
人間と黄金を捧げるのは… そういうことなのか…。
奴隷でも、召使でも、自由に使える労働力が自分の財産である という考え方。
ペルーに行く前に読んだ本に出てきた、「人をどれだけ動かせるかが財産価値である」という言葉のことを、旅の間、ずっと考えていた。
マヤやアステカ、インカに代表される中南米の文化では、冶金術はあったのに、鉄器が誕生しなかった。投石機のような大型の兵器も、鉄砲のような殺傷能力の高い遠距離武器も、あるいは落とし穴やスパイクのような罠でさえ、対人用には使われていなかったと思う。
戦争はする。しかしそれは限られた階級のスポーツのようなもので、一般人が大量に処刑されることはほとんどない。村や町を焼き払わず、指導者だけを儀式的に殺す。むやみに人を殺さないのが特徴だと私は理解している。
人間はみな闘争心を持っている。
戦争で人を殺さないのは、それを自制していたということ。
その理由が、「労働力が財産」だから、征服した人々を殺してしまったら得るものが減るから、という、実利的な話に繋がっているとしたら、どうだろう。
我々現代人は豊かな人というと、お金を持っている人、土地を持っている人、家を持っている人などと考えてしまう。しかしアンデスで重要なのはどれだけモノを持っているかではなかった。豊かさとは、その人を助ける人がどれだけいるかであった。一般の人々であればどれだけ家族、親戚が多いかであるし、王や首長であれば、臣下が何人いるか、言い換えれば、その人がコントロールできる労働力がどれだけあるかであった。
ー古代メソアメリカ、アンデス文明への誘い/風媒社
帝国は、拡大することを本質とする、という。
ローマは土地を求めて拡大しつづけた。同じくインカも、皇帝が代替わりするごとに新たな領土を求めて拡大し続け、およそ百年のうちに北はエクアドル、南はチリ中央に至る版図を手に入れた。
ローマが求めたものは、まずひとつに土地であった。
退役兵に報酬として土地を与えなくてはならない。しかし数が多ければ与えられる土地には限りがある。国内に土地がないから戦争によって土地を獲得するしかないが、その戦争によって兵士が増え、さらに必要な土地が増えててしまうという悪循環に陥ってしまう。
こうして、自らの制度によって自らを崩壊させ、拡大をやめたあと、ローマは四散し縮小化されてしまった。
インカも土地は求めていた。理由はローマとは異なるが、死後も皇帝は「生きている」という信仰があったため、先代王の所有地は先代王のもののままとなり、自分が継げなかったからだ。王個人の所有する領地が欲しければ、即位したあとに獲得しにいくしかない。こうして帝国は、王が代替わりするごとに拡大を繰り返した。
順調に拡大し続けていられる間は、征服地域が増えるに伴って、各地方で取れる特産物や、部族のもつ技術(例えば冶金術)などを吸収して、さらに国力を増し、皇帝の威信を高めていられた。
しかし手の届く範囲にもはや征服する場所がない時代がやってくる。そうなると、新たに即位した皇帝は自分の土地を手に入れることが出来ない。スペイン人が訪れたのは、ちょうどその頃だった。インカがローマと同じように自らの制度に潰されようとして、うちわもめを始めた時期だったのだ。
しかし、土地が欲しいだけならば、手つかずの土地を開墾するのでも良かったはずだ。
帝国を拡大していったもう一つの理由は、「人も財産」であるから。耕地は新たに生み出せても、そこに作物を育てる人手は大地から自然には生まれない。
帝国は、部族や小国を制服することによって、「人」を得るためにも拡大を続ける必要があった。
こうして考えてきてみると、インカが、とくに特産物もなさそうな果ての地まで遠征に行ってるのも納得できる。一番の財産が労働だったんだとすれば、そこに人がいれば、黄金や、豊かな土地がなくても良かったのだろう。
インカの時代には、輪番制で地方から人を連れてきては労働に従事させていたらしい。(これを"ミティマエス"という) 納税は労働力で支払われた。だがあまりにも文明化されていない人々を征服すると、まともに働かせることが出来ない。どうしようもなかったので「毎月、しらみを管に入れて収めるように」という課題を課してそれを納税とした、というエピソードも残っている。
しらみの入った管そのものにはもちろん、価値はない。なんでそんなメンドクサイことをしてたのかなー、と思ったけど、「インカの言うとおりに労働した」「労働させることが出来た」という事実が重要だったとすれば、確かにそれもアリなんだよね。労働させることができれば財産となる。石を積んだり、畑を耕したりすることは出来なくても、しらみを取るだけでも、とにかく言うとおりに動かせれば「財産」としてカウントできる、という考え方か。
支配していること=財産であること=言うとおりに動かせること。
だから多分、考え方が根本から現代人とは違うんだろうな。
現代人だと、成果物としての「モノ」、結果が財産だから、効率よく何かを作る(=モノを増やす)ことを重視する。
だけど、インカの皇帝は、モノを作る過程でどれだけの「人」を動員できるか、過程こそが財産だから、、メチャクチャ時間がかかっても、バカじゃねーのこんなもん要らねーよっていうような無駄なものを作ってても構わない。たくさんの人を動員してモノを作ることが重要だったんだ。
よく、インカの精巧な石組みをさして、「簡単な道具しかないのに、なぜこんなものを作れたのか。」と言う人がいるが、道具が発達しなかったのも、故あってなんだと思う。文化が遅れてたからではなく、「大量の人間と大量の時間を投入して、ひたすらアナクロにモノを作り上げる」ことに意味があったからじゃないかな。便利な道具を作って、労働工数を減らしたら出来上がったものの価値も下がってしまう、という考え方。
もちろん、金や穀物、土地などが、財産ではなかったわけではないだろう。
しかし、通貨のない時代、穀物や織物といった物質で貯蓄されている財産は、いずれ劣化して消滅してしまう。織物あたりなら耐久性もあるし、何年かはもつだろうが、チチャのような飲み物などは、置いておくと、すぐに価値が下がってしまう。
その点、「人」は、戦争なんかしない限りはそう簡単に減らないし、健康なら、何十年かは生きている。子供が生まれれば世代も交代していくし、比較的「劣化しにくい」、「無くなりにくい」財産の一つ、とも考えられる。
動かせる人間の数が最も価値ある財産の一つだったというのは、実はほかの文明でも当てはまるんじゃないかなと。
――と、ここまで考えてきたとき、ふと気がついたんだ。
中南米の文化って、やたらと人間を神に捧げるんだ。心臓をえぐりだしたり、子供を泉に投げ込んだり。
なんでそんなに人間を捧げたがるんだろうってずっと疑問に思ってたんだけど、そうか、「最も価値ある財産=人間」だからソレを捧げてるってことなのか…?!
人間と黄金を捧げるのは… そういうことなのか…。