閉ざされた川と開かれた砂漠 オアシスに暮らすエジプト人たち
エジプト、といえば、ナイル川のイメージが強い。国土の9割が砂漠だが、住人の比率はナイル河畔と海沿いに集中している。水がなければ生きていけない、それは人である以上あたりまえの理である。
しかし砂漠は無人の不毛の地ではない。砂漠の中にはいくつかの大きなオアシスがあり、古代から人が住み続けてきた。リビアとの国境に近いシーワ・オアシス、エジプト中部に位置するバハリア・オアシス、ファラフラ・オアシス、ダクラ・オアシス、ハルガ・オアシス。これらには古代エジプト時代の遺跡のみならず、ローマ時代の遺跡も残されている。
オアシスは砂漠をつなぐキャラバンの通り道でもあった。以前ネタにした記事は以下のとおり。
サハラを貫く交易路 ー塩と金 から 人と馬へー
https://55096962.seesaa.net/article/201201article_29.html
ここではシーワ・オアシス経由の交易路しか取り上げていないが、もっと細かく見ていけば、他のオアシス経由でアフリカ内陸部へ深く続いていく、象牙や金、香木などを取り扱う交易路も隠されている。また、紅海を経由してアラビアへと向う道も存在した。
ナイル川を幹線道路とする川沿いの人々の移動が国内に閉じられているのと裏腹に、これらの交易路は「外の世界」へ開かれている。エジプトにおいては、「川沿い」(=農村)が閉ざされた世界、砂漠(=オアシス)が開かれた世界、と言うこともできる。
では、開かれた世界に住む人々とは何者なのか。
エジプトといえばナイル河畔、ナイルの水を飲む者はすべてエジプトの民であるとの言葉が示すように、古来から多種多様な人種・民族が入り混じり、住み着くとともにエジプトに同化されていったのが今のエジプト=ナイル河畔の世界である。
ナイル河畔に住む人々の大半が農業従事者、すなわち農民で、これは現在のエジプトで農業従事者の人口比率が高いこととも通じている。
対して、オアシスを形成するのは様々な出自を持つ遊牧民、ないし交易を生業とする人々である。
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オアシスは多様な住民構成をもっている。たとえば、西武砂漠の大きなオアシスのひとつに、ハルガ・オアシスがある。そこの住人は、このオアシスが交易の拠点であったことを反映して、次の四つの出自集団から構成されている。それぞれリそビア方面、スーダン方面、アラビア半島のヒジャーズ方面からきた3つの集団と、首都カイロから落ち延びてきたマムルーク(白人解放奴隷)の残党である。
ナイル―地域をつむぐ川― 刀水書房
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彼らはエジプトに暮らしながら、自らをエジプト人だと強く認識しているとは言いがたい。
現代でも、遊牧民による反政府活動のニュースをたまに聞く。砂漠の民に徴兵制度を適用しようとした時も大規模な反乱が起きたという。
しかし彼らもまた「エジプト人」であるはずだ。
オアシスを経由して外の世界とつながっていなければ、エジプトはエジプトたりえなかった。古代エジプト文明は、常に外からの刺激によって発展の機会を得てきた。オアシスの民は、文明と文明をつなぐ橋渡しとしても存在した。
砂漠は、不毛な何もない無人の土地ではない。
そこにも「エジプト」があり、そこにも「エジプト人」が暮らしている。