黄金と食欲の魔法 僕らは本当にあの古代文明の黄金に憧れていたのだろうか

東日本大震災のあと、食料の「買いだめ」現象が起きた。
なぜかみんなしてコメを買い込んでいて、ワゴン車で乗り付けて、家族が半年は食っていけそうなくらいの量をゴッソリ積み込んでいる人もいたらしい。

浅ましい、とバカにするのは簡単だが、言いたいことはそうではない。
なぜコメなのか。
水と鍋と燃料がないと食えないものなのに、地震で電気が止まってしまったら炊飯器も使えないのなんて考えれば分かることなのに、そこでコメを買い込む農民心理の不可思議さ。

「政情不安になったらヨーロッパなんかだと金買い込むよな」
「コメってところが日本人だと思う…。」
当時、友人とそんな会話をした覚えがある。

日本人が震災慣れしていて、地震ごときで暴動にはならない国だとか、地震で停電してもそのうち復旧すると信じきっている(そして事実そうである)とか、そういう理屈は置いておいて、日本人にとって、本能的に コメ>>>>金 という価値観なのだと思う。


前置きが長くなってしまったが、ここからが本題。

 「金には実は価値がない。」

キラキラして綺麗だけど贅沢品に過ぎず、我々にとってコメ以下の価値しか持たない金である。
生きていくのに米の飯は必要だけれど、金はなくても死にはしない。
あればいいけど、無くてもフーンって感じ。

なのに「古代文明展」となると、やたらと「黄金のxxx!」「時価xx億円相当!」なんて黄金推しされて、客はなんとなく有り難いような気がして見ておかなければ損さばかりに黄金製品に殺到する。

 それって騙されてるんじゃね?
 ほんとは、そこまで有り難いと思ってなくね?


ぶっちゃけ私、黄金製品見て「すげえ!」って思ったことあんまないんよね。キラキラして目が痛いっていうか、なんか全面黄色っぽくて悪趣味っていうか。
一緒にエジプト展なんかいった友達はお前がヒネくれものだからだって言い張るけど、そういう君らだって古代エジプトに生きてたら金の腕輪よりパンの山を取るんじゃないの? と内心思っている。

黄金と聞いてなんとなく有り難いような気がしているけれど、ダイヤモンドは「高い」から意味があると思っているようなレベルでしかなくて、心の底から「すごい」とは思っていない気がするんだよ。

我々庶民にとっては、食い物に勝る誘惑なし。それはエジプト展を見終わったあと、見たもののことは忘れてソッコーで「んじゃ焼き肉でもいこーぜ!」って流れることからも立証済みである。黄金は見飽きるが、美味しい焼きたてお肉とお酒なら、何回でも大歓迎。


だからこれからのエジプト展は、黄金の副葬品なんかより、古代人が壁画にまで描いた牛のモモ肉やカモロースト、はちみつ入りのパンなどを展示し、干しイチジクとワイン壷を食器とともに並べてみてはいかがだろうか。カイロの考古学博物館の二階だか三階だかでほこりを被っている、ツタンカーメンの墓から出てきた香辛料セットあたりこそが我々に必要なものなのではないか、とかなんとか。

この記事へのトラックバック