言葉の勘違い、「エジプトはナイルの賜物」

「エジプトはナイルの賜物」という言葉は、とても有名だ。
大抵の人は、「国土の大半が砂漠のエジプトはナイル川があるから人が普通に暮らしていけて文明も栄えたんだ。ナイルのお陰なんだ」というふうに解釈して覚えていると思う。

だが、ヘロドトスは、そんなことは言っていない。

――という話を、だいぶ前に本体のほうの記事で書いたことがある。



■「エジプトはナイルの賜物である」の真の意味は?(ページ下段)
http://www.moonover.jp/bekkan/mania/biginner5.htm


ヘロドトスが書いているのは、こうだ。

いやしくも物の分かる者ならば、たとえ予備知識を持たずとも一見すれば明らかなことであるが、今日ギリシア人が通行しているエジプトの地域は、いわば(ナイル)河の賜物とでもいうべきもので、エジプトにとっては新しく獲得した土地なのである。



読めば分かるとおり、ヘロドトスは「ギリシャ人が多く暮らしているナイル下流の三角州の部分は、ナイルの氾濫で堆積した土で出来ているのでナイルによった作られた土地(ナイルの賜物)だ」 と、言っているのである。

だが、この本来のヘロドトスの意図は何故か定着しない。これを実際に読んだことのある人でさえ、「国土の大半が砂漠のエジプトは<以下略>ナイルのお陰なんだ」という間違っているほうの解釈を好んで使う。
もっと言うと、

「ヘロドトスはこう書いているが、彼だってきっとエジプトはナイルのお陰でエジプトがあると言いたかったに違いない。」

とか、

「ヘロドトスの書いていることは確かにナイルデルタの形成に纏わる地理学上のことを指しているように読めるが、実際はナイルのお陰でエジプトがあるということが言いたいのだ。」

とか、

「ナイルデルタは当時としてはエジプトの中心なのだから、そのナイルデルタがナイルによって作られたのなら、エジプトそのものがナイルによって作られていると言っても過言では無い。よってナイルのお陰でエジプトがあるという解釈でいい」

とか、とにかく理由を付けて、誤解されているほうの解釈に近づけようと試みることすら多々ある。


いやいやいやそれは違うでしょうよと、ヘロドトスの言葉として「エジプトはナイルの賜物」を使うのならヘロドトスが本来言いたかった、書いてるままの受け取り方をしてあげようよと私は言いたいのである。

ていうか、ヘロドトスは、「エジプトの(ナイル下流の)地域はナイルの賜物とでもいうべきもの…」と言っているのであって、エジプト全体が、とか、エジプト文明が、とかは言ってない。

間違って広まってるほうの意味で使いたいなら、ヘロドトスの言った「エジプトはナイルの賜物」ではなく、新しい意味での「エジプトはナイルの賜物」だと一言断ればいいだろうと。


正↓

ヘロドトスは、ナイル下流地域はナイルの運んだ堆積物で出来ているという意味で「ナイルの賜物」という言葉を使ったが、現在では、エジプト文明自体がナイルに依存しているという意味で、この言葉が使われている。



これでええやん。
言ってないことを勝手に言った扱いしたら、ヘロドトスのおっちゃんかて困惑するやんな。
聞こえのいい言葉と解釈で誤魔化したらあかんのちゃうん。

なんかギリシャの有名人が言ったことにしたほうが箔がつくから、みたいな感じで使いまわされて今に至るんだろうなぁと、気持ちは分からんでもないがやっぱり言ってないことを言ったことにするのは「間違い」だと思います。

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