神鳥の運命 <メソポタミア>イナンナの樹と<北欧神話>ユグドラシルの描写比較
移動中になんとなく読み返していたシュメルの神話で、アンズー鳥の時代による立場変化についての記述があった。
ルガルバンダ叙事詩で、まだ王子だった頃のルガルバンダがアンズー鳥の雛の世話をして、アンズー鳥から贈り物を受け取るという場面が出てくる。
アンズー鳥は、頭が獅子の巨大な鷲と伝えられる。ゲームやマンガでは怪物の扱いをされていて、なぜか暴風攻撃をしてきて雷属性に弱いとかいうステータスまで脳裏に浮かぶものだが(笑)、もともとは「神鳥」、神の使いとされる存在だった。メソポタミアの神話で最高神の位置づけになるエンリル神の化身または御使いとして登場する神話もある。
にもかかわらず時代が下ると地位が下がってゆき、ギルガメシュ叙事詩だと、イナンナ女神の植えたハルブ樹に巣くう悪霊たちの仲間になってしまう。
その悪霊と化したアンズーの出てくるシーンが、北欧神話の、ユグドラシルの描写にそっくりなのだ。
北欧神話のユグドラシルの描写シーンはこう。
メソポタミアの「ハルブ樹」は、ハルブが何を指しているのか分からないので、木の種別は不明。
だがイナンナはこの木を切り倒して家具にしようとしているので、おそらくイトスギやアカシアなどの木材として利用できる木を指していたのだろう。だがその木は、切り倒す前に様々な望まれざる住人が棲みついてしまい、ギルガメシュの助力なくして切り倒すことができなくなってしまう。
北欧神話のユグドラシルのほうは、トネリコと種類が分かっていて、世界を支える柱に比類される巨木であることが分かっている。その上には神々の住まう世界が、根の下には死者の住まう地下世界がある。
さて、この両者の共通点は以下のとおり。
・梢の上には鷲が住んでいる。
・幹にも何か住んでいる。
・根の下には蛇が住んでいる。
箇条書きにするととても少なく、「だから?」というカンジなのだが、ここで言いたいのは「木」そのものではなく、梢の上に住むという「鷲」の部分なのだ。特別な大木の上に住むという特別な力をもつ鷲。ここがポイントで、アンズー鳥がかつて神であったように、ユグドラシルにすむ鷲も、かつては神に近い何かだったのではないかと思うのだ。
なぜなら、神話の中の特別な大木(ハルブ/ユグドラシル)は、天と地をつなぐもの、だからだ。
どこの神話も大抵そうで、実際メソポタミア神話も北欧神話もそうだが、「地」には死者の世界があり、亡者や化け物がうごめく。木の根元にいる蛇は、その象徴である。
逆に「天」にあるのは神々の世界なのだから、梢の上にいる鷲は、神に近い存在でなくてはおかしい。
ユグドラシルの上に住む鷲が「なんでもよく知っている」のは、かつてのアンズー鳥と同じく、神の知恵を身につけているからに他ならない。
だから、アンズー鳥が古い時代には崇拝の対象だったように、ユグドラシルの上の鷲も、古い時代には神か、神の使いとして崇められていたのではないかと思うのだ。
微妙なのは、両者の中間に存在する、木の幹に住む悪霊リルラや栗鼠ラタトスク。これらは、「生と死の中間にある存在」あるいは「神と魔物の中間」という存在なのかもしれない。だが描写的には、どちらも「悪寄り」というか神には見えない。
****
おまけ
ムシュフシュたんの変遷。
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世界には、大樹信仰が行われる文化圏は多数ある。
しかし日本の場合、大樹に神が宿る信仰はあれど、大樹の「上」と「下」で別々の存在、それも正反対に近いような存在が分かれて住むという信仰は、存在しないように思う。この違いは何なのだろうか。生と死、天と地が神話時代の早々にしてキッチリ分かたれてしまったからなのか、あるいは怨霊も悪霊も全て「あらぶる神」として神の一員に迎え入れてしまったがゆえなのか。
…というより日本ってあんま鷲を神聖視する風習ないよね、とか思ったり。神鳥といえばカラスかニワトリだもんなあ。ニワトリは鳥居の上には住むけど… 日本における「上に神鳥が住む」大木は、鳥居なのかな…。
ルガルバンダ叙事詩で、まだ王子だった頃のルガルバンダがアンズー鳥の雛の世話をして、アンズー鳥から贈り物を受け取るという場面が出てくる。
アンズー鳥は、頭が獅子の巨大な鷲と伝えられる。ゲームやマンガでは怪物の扱いをされていて、なぜか暴風攻撃をしてきて雷属性に弱いとかいうステータスまで脳裏に浮かぶものだが(笑)、もともとは「神鳥」、神の使いとされる存在だった。メソポタミアの神話で最高神の位置づけになるエンリル神の化身または御使いとして登場する神話もある。
にもかかわらず時代が下ると地位が下がってゆき、ギルガメシュ叙事詩だと、イナンナ女神の植えたハルブ樹に巣くう悪霊たちの仲間になってしまう。
その悪霊と化したアンズーの出てくるシーンが、北欧神話の、ユグドラシルの描写にそっくりなのだ。
五年経ち、十年経ちするうちに木は大きくなった。ところが、その根元には蛇が巣くい、梢ではアンズー鳥が雛をかえし、幹には悪霊リルラが棲みついてしまった。
「ビルガメシュ神 エンキドゥと冥界」/出典元 「シュメル神話の世界 粘土板に刻まれた最古のロマン」中央広書
北欧神話のユグドラシルの描写シーンはこう。
梣(とねりこ)の枝には一羽の鷲がとまっていて、これが何でもよく知っているのだ。そしてその両目の間には、ヴェズルフェルニルという鷹がとまっている。ラタトスクという栗鼠が梣をかけ上がったり、かけおりたりして、鷲とニーズヘグの間を、悪口を運んで上下する。梣の枝の間には、四頭の牡鹿が走り廻り、葉を喰いちぎるのだが<中略>また、フヴェルゲルミルには、誰も数え上げることができないほどたくさんの蛇が、ニーズヘグと一緒にいる。
「ギュルヴィたぶらかし」 /出典元 「エッダ -古代北欧歌謡集」新潮出版
メソポタミアの「ハルブ樹」は、ハルブが何を指しているのか分からないので、木の種別は不明。
だがイナンナはこの木を切り倒して家具にしようとしているので、おそらくイトスギやアカシアなどの木材として利用できる木を指していたのだろう。だがその木は、切り倒す前に様々な望まれざる住人が棲みついてしまい、ギルガメシュの助力なくして切り倒すことができなくなってしまう。
北欧神話のユグドラシルのほうは、トネリコと種類が分かっていて、世界を支える柱に比類される巨木であることが分かっている。その上には神々の住まう世界が、根の下には死者の住まう地下世界がある。
さて、この両者の共通点は以下のとおり。
・梢の上には鷲が住んでいる。
・幹にも何か住んでいる。
・根の下には蛇が住んでいる。
箇条書きにするととても少なく、「だから?」というカンジなのだが、ここで言いたいのは「木」そのものではなく、梢の上に住むという「鷲」の部分なのだ。特別な大木の上に住むという特別な力をもつ鷲。ここがポイントで、アンズー鳥がかつて神であったように、ユグドラシルにすむ鷲も、かつては神に近い何かだったのではないかと思うのだ。
なぜなら、神話の中の特別な大木(ハルブ/ユグドラシル)は、天と地をつなぐもの、だからだ。
どこの神話も大抵そうで、実際メソポタミア神話も北欧神話もそうだが、「地」には死者の世界があり、亡者や化け物がうごめく。木の根元にいる蛇は、その象徴である。
逆に「天」にあるのは神々の世界なのだから、梢の上にいる鷲は、神に近い存在でなくてはおかしい。
ユグドラシルの上に住む鷲が「なんでもよく知っている」のは、かつてのアンズー鳥と同じく、神の知恵を身につけているからに他ならない。
だから、アンズー鳥が古い時代には崇拝の対象だったように、ユグドラシルの上の鷲も、古い時代には神か、神の使いとして崇められていたのではないかと思うのだ。
微妙なのは、両者の中間に存在する、木の幹に住む悪霊リルラや栗鼠ラタトスク。これらは、「生と死の中間にある存在」あるいは「神と魔物の中間」という存在なのかもしれない。だが描写的には、どちらも「悪寄り」というか神には見えない。
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おまけ
ムシュフシュたんの変遷。
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世界には、大樹信仰が行われる文化圏は多数ある。
しかし日本の場合、大樹に神が宿る信仰はあれど、大樹の「上」と「下」で別々の存在、それも正反対に近いような存在が分かれて住むという信仰は、存在しないように思う。この違いは何なのだろうか。生と死、天と地が神話時代の早々にしてキッチリ分かたれてしまったからなのか、あるいは怨霊も悪霊も全て「あらぶる神」として神の一員に迎え入れてしまったがゆえなのか。
…というより日本ってあんま鷲を神聖視する風習ないよね、とか思ったり。神鳥といえばカラスかニワトリだもんなあ。ニワトリは鳥居の上には住むけど… 日本における「上に神鳥が住む」大木は、鳥居なのかな…。