かつてハトシェプスト女王とされていた老婦人のミイラ

スルーするつもりだったけど、ちょっと5分だけ…と思って入った古本屋で思いがけず面白い本に出合えると、「これぞ運命」って思うよね。そんなかんじ。

というわけで、古本屋で見つけてきた、アンジュ=ピエール・ルカという人の「ミイラ 考古学入門」(1978年)。
内容的に古いところもあるけれど、さいきん出た本なんかよりよっぽど詳しくて、面白い本でした。このくらいの本をもうちょっと出して欲しいんだけどな…。

で、この本の中でハトショプスト女王のミイラとして紹介されていたのがこちらの写真。

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でもこれハトシェプスト女王じゃない


ハトシェプスト女王のミイラが特定されたのはつい最近で、2007年6月のこと。候補となるミイラのCTスキャンや血縁者として確定されているミイラとの遺伝子比較などとともに、副葬品(内臓壷)に混入されていた抜けた奥歯との照合によって女王のミイラが確定されました。

それがこちら。
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ハトシェプストとして紹介されているミイラは、KV35で発見された「年配の女性」と呼ばれるミイラでした…。
当時はこのミイラがハトシェプスト女王のミイラとされていたんですね。

本の中で言及されている箇所を確認してみると以下のようになっていた。

彼女は1482年に死ぬまで22年間にわたってエジプトを統治した。彼女のミイラはまだ正式に確認されていないが、アメノフィス2世の墳墓で他のファラオたちと一緒に発掘された40歳前後の女性がそれである可能性がきわめて高い。胸の前で折り曲げられた左手にはたぶん王笏が握られていたのだろう。ハリスとウィークスによれば、この女性の顔はトトメスたちの顔とよく似ているという。


本には参考文献や論文のリストがついていなかったため、ここで言われている「ハリスとウィークス」の詳細が不明。翻訳前の原本には参照論文があったんだと思う。たぶんこの本が出た当時は、「年配の女性」ミイラがハトシェプスト女王だとするのが有力説だったんだろうな。


古い本だと現在は分かっていることでも違っていたりする部分もある、それは当たり前。
古い本を探してくると、昔の定説なんかを知ることができるのが実は私にとっては面白かったりする。
昔はこう考えられていた、というのが分かると、それが現在までにどう修正されていったかが分かり、現在の説が妥当なのかどうか自分で考えてみるのに役に立つですよ。


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ちなみにツタンカーメンのミイラは、この本の時点で既に「暗殺された形跡はミイラにはない」「骨折の跡らしきものがある」と書かれてました(´・ω・`) あと他の王様たちのミイラに供えられた花の話も出てきたよ…、某早稲田のYさんは、一般人むけの本すら読まずにテレビに出てたのか。なんだかな。

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