ウマが飼育される前から戦車はあったのか。ロバ式荷車からチャリオットに至る紀元前の戦争風景

ウルのスタンダード、といえば、誰もが(?)よく知るコレのこと。
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以前これの見方についてちょっとした仮説をたててみたことがあるが、その時気が付いていなかったことに今さら気が付いてしまった。


これが作られたのは紀元前2600年ごろ。

西アジアでウマが家畜化されるのは紀元前2000年ごろ。


…ということは、
まだウマって飼われてなくね?
じゃあ「ウルのスタンダード」にいる、ウマっぽい動物って何なの? ていうか戦車もあるよね?

というわけで調べてみた。


答え:
ウマじゃありませんでした。


「ウルのスタンダード」の「戦争の場面」で、戦車を牽いていたのはろばという節もあるが、オナガー(学名エクウス・ヘミオヌス・オナガー。半ロバ、高足ロバともいう)が有力である。

一方で、エンメテナがウンマのウルルンマを敗走せしめた後に「彼(=ウルルンマ)のろば、戦車六十両がルンマギルヌン運河に残された」と「回顧碑文」に書かれている。このろばは戦車を牽いていたと考えられ、ウンマ市では戦車をろばに牽かせていたようだ。

五千年前の日常 シュメル人たちの物語/新潮選書


オナガー…。
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どう見てもロバ。(笑)
しかも道産子よりちっこいぞ、これに戦車牽かせても敵に突撃できんやろー。と思ったら、やっぱりそうだった。

ウルのスタンダードにある戦車の絵の一部を拡大する。車輪の部分に注目。

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車輪が、扇形の板2枚をくっつけただけの、鍋蓋と同じようなつくりになってるの分かりますかね。
比較対象として、こちらがエジプトの紀元前1600年~1500年ごろの、ウマに牽かせてていた戦車の壁画。

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エジプトのほうはちゃんと車輪の形になっている。
ツタンカーメン王墓から出てきた戦車のような物証も豊富にあり、ウマと一緒にエジプトに伝わった紀元前1500年時点の「戦車」は、ちゃんとした車輪がついた、スピードの出せる戦闘用の戦車だったのは間違いない。1000年の間に、ウマが軍用にも使えるよう飼育されるとともに、戦車は戦車らしく進化したようだ。

ウルのスタンダードにある戦車っぽいものは、スピードは出ない、小回りも利かない、混戦になったらロバが逃げちゃうので前線手前で降りるしかないシロモノ。

つまり、一見戦車に見えるけど、厳密には戦車ではなく、「荷車」の延長線上にある乗り物だったと言えそうだ。



まとめると、「ウルのスタンダード」の作られた紀元前2600年ごろの、メソポタミアでは

・ウマはまだ飼育されていなかった(飼育の試みはされていただろうが、家畜として実用化されていなかった)
・戦車はあったが、ロバに牽かせる荷車の類似品で、スピードの出せるような構造ではなかった


ここから戦車にたどり着くまでには、

・ウマを軍用に使えるまで飼いならす
・車輪を開発する

それと、

・ハミを発明する

この3ステップが必要だと思われる。ウマを飼いならし、戦争に使えるほど慣れ親しむには、ウルのスタンダードの時代からさらに500年以上を待たなければならない。

ロバに引かせた荷車で、ギコギコえっちら槍をかついで戦場に行ってたウルとウンマの戦争の時代は紀元前2000年ごろに終わる。
ウマに牽かせた小回りのきくチャリオットが戦場を駆け巡るようになると、古代の戦争は大きく様相を変えることになる。そしてその時代が長く続いたあとに、直接ウマに乗る騎兵の時代へと続いていくわけですね。


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