一般講座「エジプト・ルクソールの最新調査」コンスウエムヘブ墓の発見についての報告内容サマリー

今年の西アジア考古学会の調査報告会で発表されていた「ウセルハト墓 TT47」の発掘に伴い、横から偶然発見された新たな貴族墓(コンスウエムヘブ墓)についての内容報告。朝日カルチャーセンタースクールでの一般人むけの有料講演会。なんかDMが来てたので、あーじゃあまあ行くかーという感じで紛れ込んでみますた。

調査報告会では「TT47」の番号の振られたウセルハト墓についての話がメインで、その隣から偶然見つかった墓の内容はさらりと触れられるだけだったのですが、その際、近藤先生は「調査の期間が2日しかなく測量も出来なかった」ということを仰ってました。なので報告できることは大してないのだ、と。

にもかかわらず今回、敢えて一般むけの講座を開いて、しかも二時間枠の講座とは、一体なにで話を膨らませるのだろう…と、ある意味そこが気になって出向いたようなものなんですが、

結論: 早稲田大学のエジプトでの発掘の歴史 でした。(´・ω・`)




いや…
はい…。

興味ないわけじゃないんですけど…

ごめんなさい何度も聞いたのでもう飽き(ry
あとそういうの有料講座ではちょっと(ry



ビール醸造長の墓っていう講座タイトルなのにビールの話も全く出てこなかったしね。
前座は早稲田発掘隊の歴史とかよりエジプトビールについての概要のほうが良かったんじゃないすかね。

そして前座が一時間近くに及び話が前後したせいで肝心の本筋がいまいち聴衆に理解されていない(笑)
講座終わったあとの質問タイムで飛んでた質問からして、たぶん聞いてた人は流れがよく分かっていないのではないかと思われ…

しょうがないので余計な話は省いて代わりに勝手にサマっときます。

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公式: 早稲田大研究室サイト「エジプト・ルクソールで発見されたコンスウエムヘブ墓」
http://www.waseda.jp/rps/information/result/press/20140107khonsuemheb.html


●発見の発端

そもそもの近藤先生の発掘隊は、ハワード・カーターが発見したと記録しているがその後埋もれてしまい、100年以上行方がわからなくなっていた「TT47」、ウセルハトという人の墓を再発見し、中をきちんと調査しなおすことにあった。しかし調査が始まった当時、エジプトでは「外国隊による新規の発掘はみとめない」という方針を持っており、行方不明の墓を探すために手当たりしだいに発掘することは許されなかった。

そこで、周辺の測量などである程度アタリをつけたうえで、「埋もれてしまった墓のクリーニングをする」という内容で調査申請を出していた。


●「TT47」について

アクエンアテンの前の代の王、アメンホテプ3世時代の末に生きた高官、ウセルハトの墓。
この時代の特徴として、墓の入り口は東に向けて作られている。発見後、中のレリーフの一部(ティイ王妃の上半身)が切り出され、現在はベルギーのブリュッセルにある博物館に収められている。

発見されたもののその後だれも維持しなかったので再び砂に埋もれてしまっていたものを2007年から再調査のため発掘していた。なお、カーターはTT47を墓の側面から掘っていたらしく、本来の入り口からは入っていなかった。


●今回あらたに見つかった2つの墓について

その「TT47」の、カーターが過去に掘らなかった本来の入り口を見つけ、そこに繋がる前庭の部分の砂をどけていたところ、前庭の南側に新たに未完成の墓の入り口を見つけた。未完成墓の奥には、さらに別の墓が繋がっており、これが今回の講座のメインとなったコンスウエムヘブさんの墓。

おそらく未完成の墓は、掘っている最中にコンスウエムハブの墓にぶつかったため途中で放棄されたものと思われる。部屋は一室しかなく、内装も全くなされていない。


●コンスウエムハブについて

生きた時代は第19王朝~20王朝と推定されている。名前の「コンス」はコンス神、「ハブ」は祭りを意味する。持っている称号は「ムト神殿のビール醸造長」「ムトの工房の長」。新王国時代の最高神、アメン神の息子と妻の名前が出てきている。
妻ムウトエムハブは「ムト女神の歌い手」の称号を持ち、家族ともにアメン神殿の祭事に関わっていたらしい。

墓の北側、未完成の墓とぶつかっている部分の壁面には妻、娘とコンスウエムハブの家族三人の彫像が作られているが、娘アセトカーは妻の連れ子だった説が出ている。

また、息子アシャアケトの墓はTT47の北に並ぶ墓のうちの一つTT174だが、この墓は他人のものを再利用した墓であることがわかっており、コンスウエムハブの墓も再利用なのではないかというのが現在のところの近藤説となっている。


●コンスウエムハブ墓について

墓の内部は美しい彩色で覆われているが、一部、しっくいの上に下書きをしただけの未完成の部分がある。天井部分には18王朝でよく使われる葡萄、渦巻きなどの模様が使われているため、近藤先生は18王朝の墓を再利用したのではないかと考えているようだ。向きもアメンホテプ3世時代のウセルハト墓と同じ東向きではある。


●コンスウエムハブ墓の調査について

セキュリティ上の問題があるとのことで調査期間を二日だけ与えられて、すぐに閉め出されてしまったため内部の写真はあるが正確な測量図などはないらしい。(ビデオ回せば後から資料に出来たと思うんですけどねー 測量も実際メジャー当てなくても映像からいけませんかね)

なので墓本体についての説明は賞味30分。

墓の本来の入り口はTT47と同じく南側を向いているが、現在は瓦礫で埋もれている。また、墓の奥に深いシャフトがあるが、そこについても未発掘となっている。今年の冬の発掘調査で掘りだされる予定。

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*まだきちんと測量が行われていないので、大雑把な位置関係の図。
おそらくこの位置関係が、聴講者には分かりづらかったのだと思われる。


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というわけで、以下は恒例のツッコミ。


○ローゼット文様が「パピルスの巻きものの断面」という説明は違う

いやさすがにコレ、どうみてもパピルスに見えませんって。花でしょう。

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マルカタ王宮の天井にあったコレ↓なら辛うじてパピルスに見えなくもないですが、寝室の天井に書くなら巻物の断面よりお花じゃないっすか?(笑)

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ピラミッド内部の天井の星は実はヒトデだ説といい、近藤先生ときどきヘンなものを天井に貼り付けたがりますよね。



○ビール醸造長という肩書きなのにビール醸造シーンの壁画がない件

少なくとも今回提示された写真の中にはなかったです。
墓が他人のものの転用だという説が正しければそれも納得できますが、他の貴族墓では自分の職業に応じたシーンの日常絵が描かれているケースが多いことを考えれば、最初に注目しそうな場所なのに…その説明飛ばされたのが解せないです。

いやまあ質問すりゃよかったんですけどね、手ぇあげて質問すると顔バレするので(略)



○天井の形とフリーズへの言及がなかった

第十八王朝と第十九王朝の間の断絶について述べられてましたが、墓の形式でいうなら、第十九王朝の墓は「天井が丸い(ドーム型)」ってのを言わないといけなかったんじゃないかなあ。センネジェムの墓とかそうだよね。天井がドーム型になっていくので、天井と壁との間に描かれる「フリーズ」という帯状の模様が使われなくなる。

今回ウセルハト墓は、天井はややドーム型になっているけどフリーズがキッチリ描かれているので、天井部分の様式からいうと確かに18王朝なのかなって思いましたが、そもそも19王朝の墓は天井を連続模様で埋めないので、葡萄の模様やローゼット模様の話よりそっちに言及したほうが、墓の転用説の説得力が出た気がしますよ。

* 他の19王朝の貴族墓

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というわけで、なんか可も無く不可もなく、ふーんってかんじで終わりました。

近藤先生はそのむかし「最新エジプト学 蘇る王家の谷」っていう本を出されたことがあって、そんときも最新の内容なんて全然入ってねーじゃんって文句垂れたことがあるんですが、その時と話の構成の仕方は変わっておられない感じでした…。端的に言うと話のパーツが一緒やん、ていう。
今回の講演で「引き出しが空っぽになった」と言われてましたが、ほんとに昔から話のレパートリーが同じなんです、引き出しの中身があまり追加されてない。ていうか更新されてる気配がない。
あーうん、そのお話もう何度も聞きましたし、って思っちゃうのがなー。


あと、どうでもいい話ですが…


西アジア考古学会の発表会のときより髪の毛黒くなってたのにビビりました。染めてたんっすね。(笑)

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