第二中間期 失われた王朝と忘れ去られた王 「アビドス王朝」セネブカイの墓発見ニュース
今年のはじめに流れたニュースで、第二中間期の未知の王墓が出てきたよ! というニュースがあった。
そん時忙しかったので放置していたのだが、なんとなく今さらまとめてみる。
エジプトの王名表についての概要は こちら を参照。なにせエジプト王朝の歴史は長く、3000年くらい続いているので、その中で造られている王名表が完全に歴史記録と成りえないのはまぁしょうがない。後世に都合よく書き換えられちゃったりしてるのは当たり前だし、途中で記録が失われてる部分もあったりする。
あと、第二中間期の王名リストはこちら。
http://www.moonover.jp/bekkan/chorono/index-tuu.htm
第13王朝でセベクホヘプ1世が抜けてて2世から始まっているのは、「セベクホテプて王様が2世の前にもう一人いたらしいことは分かってるんだけど、順番的に何処なのかわからない(´・ω・`)」状態で、学者さんがあーだこーだやってる最中だったからである…。
まあ王名リストは毎年書き換わってるので、追従できてないのもあるんですが。
ナンバーの振られていない王朝であるアビドス王朝も、ここには載せてないですね。載せときますね。載せ… はい、ヒマができたr
さて今回発見されたセネブカイ王は、そんな第13王朝の初代もしくは二代目あたりの王と推測されているようだ。発掘したのはペンシルバニア大学とエジプト隊の協力チーム。同じ13王朝のセベクホテプ1世の墓を発掘していたら、そのすぐ近くに見つかったとのこと。
大きめの写真がたくさんあるのは、こちら。
http://djeserdjeserou.blogs-de-voyage.fr/2014/01/15/decouverte-du-nom-dun-roi-inconnu/
王墓といっても、日干し煉瓦を積み上げて漆喰で塗り固めただけ、王のものにしては小さいといわれていたツタンカーメンの墓よりもさらに狭くて、お金なかったんだなーという感じ。中の装飾も言っちゃなんだけどショボい…(´・ω・`)
これはアカンやろ。。。
カルトゥーシュあるからいちおうファラオ扱いだったんだろうけど、実態としては地方領主くらいの権力だったんだろうなあ。
墓の中からは王様のミイラもとい骨が発見されているようで、写真も上がっている。だが、金箔の貼られた木棺の残骸など僅かなものを除き、副葬品などは全く見つからなかったという。
いくらお金なくても副葬品ナシということは在り得ないので、後世に流用されてしまったか、墓泥棒に荒らされた後と考えられる。ただ、墓のショボさを見るに、ツタンカーメンのような金銀財宝は元々なかったのだと思う。
王の遺骸から、身長は175cmくらい、死亡時年齢は40半ばくらいとのこと。当時の平均身長よりは長身かつ一般人からすると長生き(王家の人間としては平均的か)な感じ。
こちらの記事によると。「アビドス王朝には16人の王がいたと推測される」とあり、セネブカイはそのうちの初代 or 二代目あたりと推測されている模様。
ナイル下流のデルタ地帯に外来のヒクソス人王朝があった時代、ナイル上流にはエジプト人によるテーベ王朝があり、さらにデルタ西部にも別の王朝があり… というあたりまでは分かっている。今回のアビドス王朝の発見で、さらにナイル中部も別の王国だったことが判明した。この王朝のことが分かれば、当時の勢力分布図がより詳しく判明するだろう。
また、第二中間期が終了したあとの新王国時代(第18王朝)が、単純にナイルデルタの異民族を制服したのではなく、同じエジプト人の王朝を統合するという前段があったことにもなり、歴史の流れが書き換わることにもなる。
エジプトが政治的に落ち着くのはまだまだ先という感じだが、発掘隊の人には命だいじに頑張って欲しいものだ。
そん時忙しかったので放置していたのだが、なんとなく今さらまとめてみる。
【基本事項】
・「セネブカイ」は今まで実在が確認されていなかっただけで、トリノ王名表には該当する王の可能性がある記録がある。(ただしトリノ・パピルスは破損しており、破損箇所にあたるため今のところ仮説)
・セネブカイ王の属する「アビドス王朝」は、同時代の13~17のナンバリングされた王朝と異なり、最近まで忘れ去られていた
・第二間期と呼ばれる混乱期に該当し、王権が弱体化していた時代のため、そもそも、ほとんど記録がない。
・第二中間期とは、ナイル下流のデルタ地帯に侵入してきたヒクソス人王朝が平行して成立する時期で、それを追い返す力も無かった時代のこと。
エジプトの王名表についての概要は こちら を参照。なにせエジプト王朝の歴史は長く、3000年くらい続いているので、その中で造られている王名表が完全に歴史記録と成りえないのはまぁしょうがない。後世に都合よく書き換えられちゃったりしてるのは当たり前だし、途中で記録が失われてる部分もあったりする。
あと、第二中間期の王名リストはこちら。
http://www.moonover.jp/bekkan/chorono/index-tuu.htm
第13王朝でセベクホヘプ1世が抜けてて2世から始まっているのは、「セベクホテプて王様が2世の前にもう一人いたらしいことは分かってるんだけど、順番的に何処なのかわからない(´・ω・`)」状態で、学者さんがあーだこーだやってる最中だったからである…。
まあ王名リストは毎年書き換わってるので、追従できてないのもあるんですが。
ナンバーの振られていない王朝であるアビドス王朝も、ここには載せてないですね。載せときますね。載せ… はい、ヒマができたr
さて今回発見されたセネブカイ王は、そんな第13王朝の初代もしくは二代目あたりの王と推測されているようだ。発掘したのはペンシルバニア大学とエジプト隊の協力チーム。同じ13王朝のセベクホテプ1世の墓を発掘していたら、そのすぐ近くに見つかったとのこと。
大きめの写真がたくさんあるのは、こちら。
http://djeserdjeserou.blogs-de-voyage.fr/2014/01/15/decouverte-du-nom-dun-roi-inconnu/
王墓といっても、日干し煉瓦を積み上げて漆喰で塗り固めただけ、王のものにしては小さいといわれていたツタンカーメンの墓よりもさらに狭くて、お金なかったんだなーという感じ。中の装飾も言っちゃなんだけどショボい…(´・ω・`)
これはアカンやろ。。。
カルトゥーシュあるからいちおうファラオ扱いだったんだろうけど、実態としては地方領主くらいの権力だったんだろうなあ。
墓の中からは王様のミイラもとい骨が発見されているようで、写真も上がっている。だが、金箔の貼られた木棺の残骸など僅かなものを除き、副葬品などは全く見つからなかったという。
いくらお金なくても副葬品ナシということは在り得ないので、後世に流用されてしまったか、墓泥棒に荒らされた後と考えられる。ただ、墓のショボさを見るに、ツタンカーメンのような金銀財宝は元々なかったのだと思う。
王の遺骸から、身長は175cmくらい、死亡時年齢は40半ばくらいとのこと。当時の平均身長よりは長身かつ一般人からすると長生き(王家の人間としては平均的か)な感じ。
こちらの記事によると。「アビドス王朝には16人の王がいたと推測される」とあり、セネブカイはそのうちの初代 or 二代目あたりと推測されている模様。
ナイル下流のデルタ地帯に外来のヒクソス人王朝があった時代、ナイル上流にはエジプト人によるテーベ王朝があり、さらにデルタ西部にも別の王朝があり… というあたりまでは分かっている。今回のアビドス王朝の発見で、さらにナイル中部も別の王国だったことが判明した。この王朝のことが分かれば、当時の勢力分布図がより詳しく判明するだろう。
また、第二中間期が終了したあとの新王国時代(第18王朝)が、単純にナイルデルタの異民族を制服したのではなく、同じエジプト人の王朝を統合するという前段があったことにもなり、歴史の流れが書き換わることにもなる。
エジプトが政治的に落ち着くのはまだまだ先という感じだが、発掘隊の人には命だいじに頑張って欲しいものだ。


