古代エジプトは「いつからいつまで」? ローマもビザンツも一緒くたなのが解せぬ
ついこないだ流れたニュースを二本。
【古代エジプト】宮殿の踊り子はオネエだった!? 最新テクノロジーが解き明かすミイラの謎
http://topics.jp.msn.com/wadai/chumoku/article.aspx?articleid=4617673
古代エジプト第11王朝期の墓地発見、ルクソール
http://www.afpbb.com/articles/-/3017238?ctm_campaign=latest_pickup
両方ともタイトルは「古代エジプト」。しかしこれ、実は片方 古代エジプト時代のものじゃない。 内容を見ればわかるとおり、オネェのミイラと言われてるほうは紀元後200年、ローマ属州時代の遺物。
この手の釈然としない表現は、ニュースサイトを見ていると頻繁に出てくる。
「古代エジプト」の定義の問題なのだが、「古代エジプト」という言葉を「古代エジプト文化」に対して使うのか、「古代エジプト王朝の時代」に対して使うのか、記事を書いてる人もいまいちわかってないんじゃないかという気がしている。
記者って自分の仕事内容の勉強しなくていいのかなぁとか、一人くらい考古学に強い記者がいてもいいんじゃねーの大手なら、とか、文句言うのは簡単なので、せめて定義の基準を書いてみる。
古代エジプト王朝(独立した王国としての歴史)は、紀元前30年、最後のエジプト王だったクレオパトラの自害によって終焉を迎える。「古代エジプト王朝」という意味で使うなら、これ以前の遺物でなくてはならない。自分的には、「古代エジプト」は古代エジプト王朝という意味で使うのが一般的だと思っているので、紀元後30年以降の遺物は、エジプト風のミイラだろうがヒエラティックの巻物だろうが「古代エジプト」とつけちゃだめだろと思う。
一方、「古代エジプト文化」という意味では、ローマ属州となってすぐ途絶えるわけではない。
属州となって以降のエジプトはローマ属州として存在する。しかしそのローマは4世紀末に分裂し、5世紀以降、西側ローマについてはなくなってしまう。4世紀末から5世紀初頭以降、エジプトは西側ローマではなく東側ローマ(=ビザンツ)の影響下に入る。ビザンツの支配はエジプトがイスラム化するまで続くことになる。
ローマは征服した国の文化にそれなりに寛容だったので、キリスト教が国教となってからも古来のエジプトの文化はそれなりに残っていたが、イスラム化すると偶像崇拝や多神教が徹底的に潰され、ヒエログリフも使えなくなってしまい、古代エジプトの文化は完全に消滅する。
「古代エジプト王朝時代から引き継がれてきた継承文化」としての歴史は、エジプト征服が終了する646年、もしくはその前後をもって線引きするのが妥当だと思う。
これをまとめると↓こんな感じ。
なので、「オネェダンサーのミイラ」のニュースにつけるべきタイトルは、本当だったら「古代エジプト」ではなく「ローマ属州エジプト」、なんである。そうでなければ、「古代エジプト風」とつけてくれれば分かりやすかった。
ただちょっとだけややこしいのは、「古代」エジプト終了後も「古代」ローマは継続していたということ。
ヨーロッパにおける「中世」と「古代」の分水嶺は、慣例的にローマ分裂に設定されているようで、ローマ的にはビザンツ時代開始後が「中世」(=古代を脱却)ということになる。よって上記の表の中で「ローマ属州時代」と書いているところは、ローマ側からすると「古代」ローマ時代という分類になる。
エジプトではもう「古代」は終わってるのに、ローマではもうちょっとだけ古代が続くんじゃよ状態で数百年後まで「古代」ローマ名乗ってるという感じ。まあ文化圏違うと「古代」の定義も変わるんで。ヨーロッパが中世とか言ってる時代でも極東の日本はまだ古代ですし。
というわけで、「古代エジプト」と言われてるけど実は古代じゃなくてローマ時代のものは結構あるんだぜ、っていう話。
【古代エジプト】宮殿の踊り子はオネエだった!? 最新テクノロジーが解き明かすミイラの謎
http://topics.jp.msn.com/wadai/chumoku/article.aspx?articleid=4617673
古代エジプト第11王朝期の墓地発見、ルクソール
http://www.afpbb.com/articles/-/3017238?ctm_campaign=latest_pickup
両方ともタイトルは「古代エジプト」。しかしこれ、実は片方 古代エジプト時代のものじゃない。 内容を見ればわかるとおり、オネェのミイラと言われてるほうは紀元後200年、ローマ属州時代の遺物。
この手の釈然としない表現は、ニュースサイトを見ていると頻繁に出てくる。
「古代エジプト」の定義の問題なのだが、「古代エジプト」という言葉を「古代エジプト文化」に対して使うのか、「古代エジプト王朝の時代」に対して使うのか、記事を書いてる人もいまいちわかってないんじゃないかという気がしている。
記者って自分の仕事内容の勉強しなくていいのかなぁとか、一人くらい考古学に強い記者がいてもいいんじゃねーの大手なら、とか、文句言うのは簡単なので、せめて定義の基準を書いてみる。
古代エジプト王朝(独立した王国としての歴史)は、紀元前30年、最後のエジプト王だったクレオパトラの自害によって終焉を迎える。「古代エジプト王朝」という意味で使うなら、これ以前の遺物でなくてはならない。自分的には、「古代エジプト」は古代エジプト王朝という意味で使うのが一般的だと思っているので、紀元後30年以降の遺物は、エジプト風のミイラだろうがヒエラティックの巻物だろうが「古代エジプト」とつけちゃだめだろと思う。
一方、「古代エジプト文化」という意味では、ローマ属州となってすぐ途絶えるわけではない。
属州となって以降のエジプトはローマ属州として存在する。しかしそのローマは4世紀末に分裂し、5世紀以降、西側ローマについてはなくなってしまう。4世紀末から5世紀初頭以降、エジプトは西側ローマではなく東側ローマ(=ビザンツ)の影響下に入る。ビザンツの支配はエジプトがイスラム化するまで続くことになる。
ローマは征服した国の文化にそれなりに寛容だったので、キリスト教が国教となってからも古来のエジプトの文化はそれなりに残っていたが、イスラム化すると偶像崇拝や多神教が徹底的に潰され、ヒエログリフも使えなくなってしまい、古代エジプトの文化は完全に消滅する。
「古代エジプト王朝時代から引き継がれてきた継承文化」としての歴史は、エジプト征服が終了する646年、もしくはその前後をもって線引きするのが妥当だと思う。
これをまとめると↓こんな感じ。
紀元前5000年あたり
「先王朝時代 王権の萌芽」
<古代エジプト王朝ここから>
~
<古代エジプト王朝ここまで>
紀元前30年
「独立国エジプト終了のお知らせ」
<ローマ属州時代ここから>
~
<ローマ属州時代ここまで>
紀元後395年
「ローマ分裂、東ローマ(ビザンツ)帝国傘下へ」
<ビザンツ属州時代ここから>
~
<ビザンツ属州時代ここまで>
紀元後646年
「イスラム帝国侵攻」
<イスラーム時代ここから>
なので、「オネェダンサーのミイラ」のニュースにつけるべきタイトルは、本当だったら「古代エジプト」ではなく「ローマ属州エジプト」、なんである。そうでなければ、「古代エジプト風」とつけてくれれば分かりやすかった。
ただちょっとだけややこしいのは、「古代」エジプト終了後も「古代」ローマは継続していたということ。
ヨーロッパにおける「中世」と「古代」の分水嶺は、慣例的にローマ分裂に設定されているようで、ローマ的にはビザンツ時代開始後が「中世」(=古代を脱却)ということになる。よって上記の表の中で「ローマ属州時代」と書いているところは、ローマ側からすると「古代」ローマ時代という分類になる。
エジプトではもう「古代」は終わってるのに、ローマではもうちょっとだけ古代が続くんじゃよ状態で数百年後まで「古代」ローマ名乗ってるという感じ。まあ文化圏違うと「古代」の定義も変わるんで。ヨーロッパが中世とか言ってる時代でも極東の日本はまだ古代ですし。
というわけで、「古代エジプト」と言われてるけど実は古代じゃなくてローマ時代のものは結構あるんだぜ、っていう話。