セト神信仰の記念碑、ティニス出土「400年記念碑」

ぐぐってみたら日本語でひっかかってこなかったのでメモ代わりにページ作っときま。
「400年記念碑」とは、古代エジプト新王国時代、ラメセス2世の時代に作られたもので、ティニス(タニス)で出土したセト神を讃える記念碑。セト神(セト=バアル)への信仰が400周年を迎えたことを記念する碑となっている。

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セト神が完全な人間の姿で表されているのは、カナアン系の神バアルと習合しているため。バアル神の姿で描かれているが、碑文の文章は「セト」になっている。向かい合ってワインを捧げるラメセス2世の後ろの欠けている人物は、父セティ1世と見られる。

ラメセス2世の時代から400年遡ると第二中間期のヒクソス人がナイルデルタに王朝を打ちたてた時代にたどり着く。カナアンの神バアルの信仰がエジプトに持ち込まれたのもヒクソス人が移住してきた時代で、ヒクソス人の居住地では、彼らのもともとの神バアルと、エジプトにおける嵐の神セトが同一視された。ラメセス2世の家系の祖先はヒクソス系だったとみられているため、ここでセト神の姿をして崇められているのは彼らの祖神(バアル)でもある。

ラメセス2世の所属する第19王朝はセト神の名を持つ王族が多いが、その理由は彼らがセト神を守護神とする家系だったからなのだろうと思う。


本文の全訳は"400 Years stela"とか"seti"あたりでググると沢山出てくるんで適当に…
http://www.specialtyinterests.net/inscr400.html

しかしあれだな、王が「ラーの息子」で、セト神が「ヌトの息子」って書かれてると、家系図上はものすごい違和感(笑)
アトゥム・ラーが大地ゲブと天ヌトを生んで、大地と天の夫婦の子供たちの一人がセト神ってことになってるから、「ラーの息子」= ヌトの兄弟 ってことになっちゃわないのか…。そういうの気にしなかったんかな古代エジプト人…。

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