五十年前のアフリカ・中東旅行記「ナイルとニジェールの間に」
百年前 僕らは、ここに無く、
百年後 僕らは、ここに居ない。
この旅行記を書いた人はもう、この世にはいない。
この人が見知らぬ世界に僕らは生きていて、歴史の答えを知っている。
**********
古本屋に超雑に積まれていた茶色い本を拾ってきたのは、タイトルに「ナイル」って言葉が見えたからだが、まあいつもの深く考えてないアレなのでお察しください。著者はA・J・トインビーという人。この本は、トインビー夫妻が1961年から64年にかけて、北アフリカを中心に旅した記録である。
旅行記の時点で既に70歳を越えていたと書かれているトインビー夫妻が、今も生きているはずはない。彼らの記録は、今から50年ほど前の世界。そして、この本の中で彼らが推測した「未来」の答えを、2014年に生きる我々は既に知っている。
答えあわせをしていこう。まずはエチオピア。
トインビーが旅した1961年、エチオピアはまだ帝政を失っておらず、皇帝ハイレ・セラシエの威光は健在だった。
その後エチオピアはクーデータによる帝政廃止、未曾有の大飢饉を経験し、かつてのアフリカでの優位性を失っていく。また古代エジプト時代に築かれた文明の遺跡も、メロウェ・ダムなどの大規模なダム計画によって多くが調査されないまま水没した。
トインビーの時代すでに内戦が危惧されていたナイジェリアは、その後、実際に部族間での内戦が起き、イボ族が独立を宣言したが、これは鎮圧される。しかしその後も内戦が続いている。
エジプトは、その後、アスワン・ハイ・ダムが出来たことによって耕作地は増えず、大規模な農耕地を生むはずだったトシュカ計画は事実上の失敗に終わった。ダムによる発電量も現在では足りていない。(夏季は頻繁に停電が発生する) またダムが出来たことにより自然灌漑の機能が働かなくなり、逆に塩害で農地の多くで生産量が落ちるという散々な結果に終わってしまった。
スーダンは、南北分裂の道をたどった。そして分裂後の今も激しく争い続けている。残念ながら平和だったスッド地帯はもう戻ってこない。ディンカ族の男たちの手にあるものは今や槍ではなく人殺しのためのライフルである。
中東のアラブ世界はイスラエルという棘とは無関係なところで争いを始め、「一つのアラブ圏」などという夢想は露と消え、逆に分裂路線へと突き進んでいる。
…残念ながら、旅行記の中で言及される国々に対して思い馳せられた未来の、ほぼ全てが「悪い」方向に希望から外れている。それを知ることがとても悲しかった。
五十年前に旅したトインビー夫妻が知らずにいた歴史の答えを、今に生きる我々は知っている。彼らが『アフリカで「争いを超越する」という高邁な態度をたもちつづける可能性のある唯一の国はエチオピアだ』と言っても、その後に起こるクーデターと内乱を知っていれば首を振るしかない。『アスワンの産業的発展によってカイロに対抗する中心地として、エジプトの偏った人口分布を平均化する役割を果たすだろう』と書かれていても、現在ますますカイロに人口集中していることを知っていればやはり否定するしかない。
特に紛争地帯が増えていることを実感した。
終わった戦いがある一方、五十年前には始まっていなかった紛争が沢山ある。ダルフール紛争などはまさにその一つだろう。半世紀前には、アフリカがこんな状態になることなど、誰も予測できなかったのかもしれない。
五十年後のことを考えてみよう。そしてその予測を書き残してみよう。
世界はどうなっているだろうか。自分の寿命の残りは、あとどのくらいあるのだろう。
自分で五十年後の世界を答え合わせすることはできるだろうか、あるいは他の誰かにやってもらわないといけないだろうか。
おそらく予想は外れるのだ。ただ、悪いほうには外れて欲しくない。
次の五十年が、前の五十年よりも良いものであることを願いたい。
百年後 僕らは、ここに居ない。
この旅行記を書いた人はもう、この世にはいない。
この人が見知らぬ世界に僕らは生きていて、歴史の答えを知っている。
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古本屋に超雑に積まれていた茶色い本を拾ってきたのは、タイトルに「ナイル」って言葉が見えたからだが、まあいつもの深く考えてないアレなのでお察しください。著者はA・J・トインビーという人。この本は、トインビー夫妻が1961年から64年にかけて、北アフリカを中心に旅した記録である。
旅行記の時点で既に70歳を越えていたと書かれているトインビー夫妻が、今も生きているはずはない。彼らの記録は、今から50年ほど前の世界。そして、この本の中で彼らが推測した「未来」の答えを、2014年に生きる我々は既に知っている。
答えあわせをしていこう。まずはエチオピア。
トインビーが旅した1961年、エチオピアはまだ帝政を失っておらず、皇帝ハイレ・セラシエの威光は健在だった。
その後エチオピアはクーデータによる帝政廃止、未曾有の大飢饉を経験し、かつてのアフリカでの優位性を失っていく。また古代エジプト時代に築かれた文明の遺跡も、メロウェ・ダムなどの大規模なダム計画によって多くが調査されないまま水没した。
トインビーの時代すでに内戦が危惧されていたナイジェリアは、その後、実際に部族間での内戦が起き、イボ族が独立を宣言したが、これは鎮圧される。しかしその後も内戦が続いている。
エジプトは、その後、アスワン・ハイ・ダムが出来たことによって耕作地は増えず、大規模な農耕地を生むはずだったトシュカ計画は事実上の失敗に終わった。ダムによる発電量も現在では足りていない。(夏季は頻繁に停電が発生する) またダムが出来たことにより自然灌漑の機能が働かなくなり、逆に塩害で農地の多くで生産量が落ちるという散々な結果に終わってしまった。
スーダンは、南北分裂の道をたどった。そして分裂後の今も激しく争い続けている。残念ながら平和だったスッド地帯はもう戻ってこない。ディンカ族の男たちの手にあるものは今や槍ではなく人殺しのためのライフルである。
中東のアラブ世界はイスラエルという棘とは無関係なところで争いを始め、「一つのアラブ圏」などという夢想は露と消え、逆に分裂路線へと突き進んでいる。
…残念ながら、旅行記の中で言及される国々に対して思い馳せられた未来の、ほぼ全てが「悪い」方向に希望から外れている。それを知ることがとても悲しかった。
五十年前に旅したトインビー夫妻が知らずにいた歴史の答えを、今に生きる我々は知っている。彼らが『アフリカで「争いを超越する」という高邁な態度をたもちつづける可能性のある唯一の国はエチオピアだ』と言っても、その後に起こるクーデターと内乱を知っていれば首を振るしかない。『アスワンの産業的発展によってカイロに対抗する中心地として、エジプトの偏った人口分布を平均化する役割を果たすだろう』と書かれていても、現在ますますカイロに人口集中していることを知っていればやはり否定するしかない。
特に紛争地帯が増えていることを実感した。
終わった戦いがある一方、五十年前には始まっていなかった紛争が沢山ある。ダルフール紛争などはまさにその一つだろう。半世紀前には、アフリカがこんな状態になることなど、誰も予測できなかったのかもしれない。
五十年後のことを考えてみよう。そしてその予測を書き残してみよう。
世界はどうなっているだろうか。自分の寿命の残りは、あとどのくらいあるのだろう。
自分で五十年後の世界を答え合わせすることはできるだろうか、あるいは他の誰かにやってもらわないといけないだろうか。
おそらく予想は外れるのだ。ただ、悪いほうには外れて欲しくない。
次の五十年が、前の五十年よりも良いものであることを願いたい。