[遠征]夏の南海島巡り~ 青ヶ島の植生と「青い謎」の正体
というわけで、夏休みはちょっとした思い付きで青ヶ島まで行ってきました。
この島について知った時から、ずっと疑問だったことがある。
火山島としてのこの島のデータは多いけど、植生はどうなってんの?
島の二重カルデラの内側の山は、1785年の大噴火で出来ている。その時に、島に住んでた人たちの家や畑は全滅したと言われる。島民が脱出して、以後半世紀近く島を離れて暮らさねばならなかったほどの大噴火だったのだ。――なのに観光パンフレットを見ると、こんなアピールがされている。
樹齢230年のスギの木。
あーうん、噴火が収まった直後に木が生えてれば、今年でちょうど230年くらいですかね…。
でも…ジャングル??
産業技術総合研究所の火山データを見ると、山の内側、「池の沢」と呼ばれてる部分は、確実に溶岩が流れている。つまり木も草も全滅している。にもかかわらず、「青ヶ島」の名前のとおり、島は今、全体が緑の森に覆われ、大木も少なくない…。
どういうことなの
写真を見る限り、人工的に植林されている箇所は限定的で、ほとんどが原生林に見えた。全滅した植生が回復するのってそんなに早いのか? ていうか、航空写真で見えてる緑の部分って、実際は何が生えてるの?
中の人のポリシー: ググッて書いてないことは、自分で行って確認してくる。
イースター島に続く「離島植生調査」第二段。これが本編だ、行ってきました!
島は確かに緑で一杯だった。
ここまでの島巡り(神社さがし)記事でお分かりいただけたように、島は隙間なく緑だらけ。
ていうか自然が豊か過ぎて、もはや道が消えてるようなところすらある。「青ヶ島」の名に恥じない青々とした草木の茂りっぷりだ。
しかしよーく見ていくと、ある特徴に気がつく…。
海側(海風のキツいあたり)は背の高い草
風の当たらない島の内側に大木が多い
大凸部展望台から見るとわかりやすいです。右側が外輪山の内側(丸山に近いあたり)、左側が海。
大凸部もそうですが、海風をモロに受ける突き出した部分には背の高い木はほとんどなく、低木か草ばかりです。
島に多いのは細い竹のほか、黒潮ライン名物のアシタバ、イタドリなど。島の外側、海際の斜面を埋めている緑はこんなかんじ。オオバコやヒースのような荒地に生える草ではなく、水分豊富な土地に生える植生です。これは、島が飲料水の確保に苦労していることとは対照的。
というか、水源が雨と霧なんですよ多分。朝起きたとき、晴れにも関わらず宿の周囲の敷石がしっとり濡れていたり、朝夕に山に雲がひっかかっているのを見たので。湿気が岩の間に保たれているらしく、コケもたくさん生えています。
これは大千代港の断崖絶壁、ここも隙間なく緑が埋めているが、大きな木は見かけない。
そこから外輪山を越えて島の内側に入っていくと、とつぜん風が弱まり、大きな木が増え始めます。島の中心にある丸山をぐるりととりまく道を歩きながら見上げた外輪山はこんなかんじ、本州の山に似ている。
とちゅう木の伐採をしてる場所があったので、年輪をチェック。けっこう間隔が広い…。
このペースで成長するなら、樹齢200年くらいの木はそりゃ大木にもなるよなあと納得。
村の近くで見つけた木は、両腕でも抱えられないくらいの太さでした。
なお、200年ちょっと前に噴火を起こした丸山のてっぺんも、今や鬱蒼たる緑の中です。
これ一応、お鉢の中の噴火口なんすけどね…。なんも見えないっすね…。落ち葉がいい感じに積もって腐葉土になってます。ここでカブトムシの幼虫っぽいの見つけました。(笑)
「お鉢」のてっぺん、ぐるりと噴火口を取り巻く道はこんなかんじ。左側が噴火口側、右側が山の斜面。
さすがにここは島のメインスポットだけあって道の周囲の草は処理されてますが、鬱蒼としだれかかる草から元々の背丈はお察しください。たぶんこまめに草刈をしないと跡形もなく道が消えます・・・。
丸山から望む「恋が奥」付近。パンフレットで樹齢230年のスギが生えていると書かれていたあたり。
確かにここは島の中で最も巨木が多かったです。島で唯一の水源がある場所だそうで、「恋が奥」という名前も、水汲みに来た男女が恋に落ちることからついた名前なのだとか。今も水源があるようですが、ここの水は今では島の内側の農地で使う農業用水として使われている模様。消毒設備とかが無いからですかね…。村で生活に使われている水のほうは、島の外側にある浄水場経由で来てる水のようです。
青ヶ島は、名物の「あおちゅう」で知られるように農業が盛んで、島の内側では今も多くの畑が作られています。というのも、山の内側に水源があり、外輪山でキツい海風が阻まれて台風などの被害が少ないから。今回歩いてみての植生観察で、島の内側のほうが大木が多かったことからもそれは確かなようです。
島で最も大きな木がある場所「恋が奥」は、島の内側で水源に近い。噴火で全滅した植生が最初に再生した場所がそこだというのも、なるほど行ってみれば納得でした。
まとめると、青ヶ島の植生が早く回復された理由は、おそらく以下のようなものじゃないかなーと推測。
・黒潮ライン上にあって気候が温暖
・雲や霧によって水分が満遍なく島に補給されている
・八丈島など最寄の島から遠すぎないため、鳥や風に運ばれて、植物の種が届きやすい
それと歩き回ってもう一つ気がついたこと。この島、スキマが少ない。
同じ火山島でイースター島に行ったときには、島のあちこちに穴が開いてて、足元の地面がスッカスカだったんですよ。モアイ像作ってる石も思ってたより脆かった。
でもこの青ヶ島は、地面が堅い。「ひんぎゃ」と呼ばれる、熱蒸気の噴出す岩の割れ目を除くと、溶岩にスキマがないです。村の周囲で何箇所か地面の層を確認できるとこがあるんですが、黒いとこはガッツリしてて堅いです。
イースター島の土は軽くて風ですぐ飛んでしまう感じだったのに対し、この島の土は重たい感じなのって、元の溶岩の質の違いなのかな?
工事現場で掘り起こされている石。赤っぽいのと黒っぽいのがあるのはイースター島と一緒なんですが、これも密度が高い。専門的なことはわかんないけど、このへん火山の性質によるのかなーこんど調べてみよう。
噴火の跡と思われるスコリアの堆積している場所も多数ありましたが、その上に落ち葉がみっしりと積み重なっており、土が厚いです。ちょっと掘るとすぐスカスカの石に突き当たってたイースター島とは土壌が全然ちゃいまますね。
と、いうわけで、「木が無くなっただけなのに植生変わっちゃって元に戻らなかったよ…」なイースター島と、「植生全滅したけど勝手に再生したよ!」な青ヶ島の差は、土壌にもあるのでは? という予想。同じ孤島でもいろいろ条件が違うかんじ。
まあぶっちゃけ、青ヶ島、行ってみたら全然孤島じゃなかったんですけどね…。
晴れてるとうっすら八丈島見えてるし、アカコッコ、メジロ、ウグイス、スズメなど鳥がわんさといました。鳥、虫、風などが媒介して植物の種を運んでくれる島は、いったん植物が全滅しても回復早い。近くに島がないと、全滅した植物も再生のしようがないはず。
なお、島で最もデンジャラスな原生林は、パンフレットにある「恋が奥」ではなく大人ヶ凸部に行く道だったと私は言いたい。自分の背より高い草に前後左右を阻まれ視界0にされ、引き返そうにも自分が歩いてきた道すら消えているという恐怖は、なかなかのものだったと言っておこう。
------------------
まとめ読みはこちら
この島について知った時から、ずっと疑問だったことがある。
火山島としてのこの島のデータは多いけど、植生はどうなってんの?
島の二重カルデラの内側の山は、1785年の大噴火で出来ている。その時に、島に住んでた人たちの家や畑は全滅したと言われる。島民が脱出して、以後半世紀近く島を離れて暮らさねばならなかったほどの大噴火だったのだ。――なのに観光パンフレットを見ると、こんなアピールがされている。
樹齢230年のスギの木。
あーうん、噴火が収まった直後に木が生えてれば、今年でちょうど230年くらいですかね…。
でも…ジャングル??
産業技術総合研究所の火山データを見ると、山の内側、「池の沢」と呼ばれてる部分は、確実に溶岩が流れている。つまり木も草も全滅している。にもかかわらず、「青ヶ島」の名前のとおり、島は今、全体が緑の森に覆われ、大木も少なくない…。
どういうことなの
写真を見る限り、人工的に植林されている箇所は限定的で、ほとんどが原生林に見えた。全滅した植生が回復するのってそんなに早いのか? ていうか、航空写真で見えてる緑の部分って、実際は何が生えてるの?
中の人のポリシー: ググッて書いてないことは、自分で行って確認してくる。
イースター島に続く「離島植生調査」第二段。これが本編だ、行ってきました!
島は確かに緑で一杯だった。
ここまでの島巡り(神社さがし)記事でお分かりいただけたように、島は隙間なく緑だらけ。
ていうか自然が豊か過ぎて、もはや道が消えてるようなところすらある。「青ヶ島」の名に恥じない青々とした草木の茂りっぷりだ。
しかしよーく見ていくと、ある特徴に気がつく…。
海側(海風のキツいあたり)は背の高い草
風の当たらない島の内側に大木が多い
大凸部展望台から見るとわかりやすいです。右側が外輪山の内側(丸山に近いあたり)、左側が海。
大凸部もそうですが、海風をモロに受ける突き出した部分には背の高い木はほとんどなく、低木か草ばかりです。
島に多いのは細い竹のほか、黒潮ライン名物のアシタバ、イタドリなど。島の外側、海際の斜面を埋めている緑はこんなかんじ。オオバコやヒースのような荒地に生える草ではなく、水分豊富な土地に生える植生です。これは、島が飲料水の確保に苦労していることとは対照的。
というか、水源が雨と霧なんですよ多分。朝起きたとき、晴れにも関わらず宿の周囲の敷石がしっとり濡れていたり、朝夕に山に雲がひっかかっているのを見たので。湿気が岩の間に保たれているらしく、コケもたくさん生えています。
これは大千代港の断崖絶壁、ここも隙間なく緑が埋めているが、大きな木は見かけない。
そこから外輪山を越えて島の内側に入っていくと、とつぜん風が弱まり、大きな木が増え始めます。島の中心にある丸山をぐるりととりまく道を歩きながら見上げた外輪山はこんなかんじ、本州の山に似ている。
とちゅう木の伐採をしてる場所があったので、年輪をチェック。けっこう間隔が広い…。
このペースで成長するなら、樹齢200年くらいの木はそりゃ大木にもなるよなあと納得。
村の近くで見つけた木は、両腕でも抱えられないくらいの太さでした。
なお、200年ちょっと前に噴火を起こした丸山のてっぺんも、今や鬱蒼たる緑の中です。
これ一応、お鉢の中の噴火口なんすけどね…。なんも見えないっすね…。落ち葉がいい感じに積もって腐葉土になってます。ここでカブトムシの幼虫っぽいの見つけました。(笑)
「お鉢」のてっぺん、ぐるりと噴火口を取り巻く道はこんなかんじ。左側が噴火口側、右側が山の斜面。
さすがにここは島のメインスポットだけあって道の周囲の草は処理されてますが、鬱蒼としだれかかる草から元々の背丈はお察しください。たぶんこまめに草刈をしないと跡形もなく道が消えます・・・。
丸山から望む「恋が奥」付近。パンフレットで樹齢230年のスギが生えていると書かれていたあたり。
確かにここは島の中で最も巨木が多かったです。島で唯一の水源がある場所だそうで、「恋が奥」という名前も、水汲みに来た男女が恋に落ちることからついた名前なのだとか。今も水源があるようですが、ここの水は今では島の内側の農地で使う農業用水として使われている模様。消毒設備とかが無いからですかね…。村で生活に使われている水のほうは、島の外側にある浄水場経由で来てる水のようです。
青ヶ島は、名物の「あおちゅう」で知られるように農業が盛んで、島の内側では今も多くの畑が作られています。というのも、山の内側に水源があり、外輪山でキツい海風が阻まれて台風などの被害が少ないから。今回歩いてみての植生観察で、島の内側のほうが大木が多かったことからもそれは確かなようです。
島で最も大きな木がある場所「恋が奥」は、島の内側で水源に近い。噴火で全滅した植生が最初に再生した場所がそこだというのも、なるほど行ってみれば納得でした。
まとめると、青ヶ島の植生が早く回復された理由は、おそらく以下のようなものじゃないかなーと推測。
・黒潮ライン上にあって気候が温暖
・雲や霧によって水分が満遍なく島に補給されている
・八丈島など最寄の島から遠すぎないため、鳥や風に運ばれて、植物の種が届きやすい
それと歩き回ってもう一つ気がついたこと。この島、スキマが少ない。
同じ火山島でイースター島に行ったときには、島のあちこちに穴が開いてて、足元の地面がスッカスカだったんですよ。モアイ像作ってる石も思ってたより脆かった。
でもこの青ヶ島は、地面が堅い。「ひんぎゃ」と呼ばれる、熱蒸気の噴出す岩の割れ目を除くと、溶岩にスキマがないです。村の周囲で何箇所か地面の層を確認できるとこがあるんですが、黒いとこはガッツリしてて堅いです。
イースター島の土は軽くて風ですぐ飛んでしまう感じだったのに対し、この島の土は重たい感じなのって、元の溶岩の質の違いなのかな?
工事現場で掘り起こされている石。赤っぽいのと黒っぽいのがあるのはイースター島と一緒なんですが、これも密度が高い。専門的なことはわかんないけど、このへん火山の性質によるのかなーこんど調べてみよう。
噴火の跡と思われるスコリアの堆積している場所も多数ありましたが、その上に落ち葉がみっしりと積み重なっており、土が厚いです。ちょっと掘るとすぐスカスカの石に突き当たってたイースター島とは土壌が全然ちゃいまますね。
と、いうわけで、「木が無くなっただけなのに植生変わっちゃって元に戻らなかったよ…」なイースター島と、「植生全滅したけど勝手に再生したよ!」な青ヶ島の差は、土壌にもあるのでは? という予想。同じ孤島でもいろいろ条件が違うかんじ。
まあぶっちゃけ、青ヶ島、行ってみたら全然孤島じゃなかったんですけどね…。
晴れてるとうっすら八丈島見えてるし、アカコッコ、メジロ、ウグイス、スズメなど鳥がわんさといました。鳥、虫、風などが媒介して植物の種を運んでくれる島は、いったん植物が全滅しても回復早い。近くに島がないと、全滅した植物も再生のしようがないはず。
なお、島で最もデンジャラスな原生林は、パンフレットにある「恋が奥」ではなく大人ヶ凸部に行く道だったと私は言いたい。自分の背より高い草に前後左右を阻まれ視界0にされ、引き返そうにも自分が歩いてきた道すら消えているという恐怖は、なかなかのものだったと言っておこう。
------------------
まとめ読みはこちら