【新王国時代/王家の谷】古代エジプト人の出勤簿/ディル・エル=メディーナ出土のオストラカ
(2016/10/29追記)
この記事は、ピラミッド建設労働者の出勤簿の話ではありません。
「ピラミッド労働者が二日酔いで休んでいた」という話のソースを検証した結果、現存する出勤簿は王家の谷の労働者のもので、中身も全然ホワイトじゃなかった という内容の記事です。なぜか本文が全く読まれないまま拡散されてますが…。
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[>ここまでの流れ
「古代エジプトのピラミッド労働者は二日酔いで休めたのに現代の社蓄は休めない」みたいな感じの意見がどこかの掲示板かツイッターで流行っていたらしく、ドヤ顔で言われる
↓
中の人、古代エジプト人は現代人以上に苦労してたのに、なんでもかんでも自分らを卑下するのやめろ! と暴れる
↓
よく話を調べてみると、そもそも二日酔いで休んでたのは新王国時代のディル・アル・メディーナの労働者で、ピラミッド労働者じゃなかった。
↓
話の前提が間違っているようなので原典を探しにいこう!<<今ココ>>
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というわけで、わりとあっさり元のブツ見つかりました。安定の大英博物館。
てっきりパピルス文書なんだと思ってたら、オストラカに書いたものだったようだ。
大英博物館所蔵、ライムストーンのオストラカ
http://www.britishmuseum.org/explore/highlights/highlight_objects/aes/l/limestone_ostrakon_register.aspx
★基本データ
「オストラカ」とは?
言葉自体はギリシア語。文字や絵の描かれた岩の破片や陶器のかけらなどをさす考古学用語。エジプトでは、パピルスが高価だったため多くの私的なメモや一時的な書類などがオストラカに記された。
今回紹介する「出勤簿」の材質は建材としても使われていたライムストーン。おそらく建設現場で出た石材のきれっぱしを再利用している。
「ディル エル=メディーナ(Deir el-Medina)」または「デイル・アル・メディーナ」とは?
ナイル西側、ルクソールの対岸にある新王国時代の労働者の町。「王家の谷」の墓の造営に関わった職人たちが住んでいた。多くの労働者たちの家とともに、彼らの残した生活の痕跡が発見されている。この村が使用されたのは、第18王朝のはじめ頃から、ラメセス王朝(第20王朝)の後期までの約500年間と考えられている。
今回のオストラカは19王朝ラメセス2世の「治世40年 280日」(紀元前1250年ごろ)のもの。
★出勤簿の内容
記録の書かれた280日のうち、70日が「フル出勤日」だったように見える。ただ、これは休みが多かったというより、治世40年目なのでもう墓の造営がほとんど終わっていただろうこと、他の現場に移ったためこの出勤簿上には労働日が載っていないのではないかという推測が成されている。名簿に載っているのは40名で、欠勤理由は赤字で書かれている部分。
欠勤理由としては
・眼病の例が多い
・自分が医者にかかるため、あるいは医者に行く人の付き添い
・親類の不幸
・子供が生まれた
など。
上司のために働いたという記録もあり、欠勤理由に「上司のために家を建てにいった」とか、「上司の誕生日だから一緒に酒を飲んだ」とかも記録されているそうな…
…あれ。
本人が二日酔いで休んだんじゃなくて、接待(仕事)じゃんそれ。
ていうか上司の休日ゴルフに付き合わされるようなもんだよね。エジプト人も苦労してたんだコレ。
というわけで、元のブツを見たら、やっぱ「古代人は現代の社会人よりマシ」とか言えないです。
医療の発達してない、おまけに救急車なんてもんもない時代、医者にかかるために村を後にするとか大変ですよコレ。目の病も、下手したら失明コースですし。
ここから分かることは、「古代人も現代人と同じような苦労をしていた」ということ、「労働の管理がキチンとされていた」ということじゃないのかな。
そして紀元前1250年のエジプトには、現代のような保険とか社会福祉とかは無いので、圧倒的に現代人のほうが恵まれた生活をしている。ていうか腹いっぱいメシ食えてるのとクーラーあるのだけで感謝していいくらい人生イージーモード。エジプト人は現代ですら電力不足でクーラーかけられへんのやで。日本なんて恵まれた環境に生まれといて不満とかねーわ。
幸せとか楽しいとかは、自分でそう思った瞬間に手に入るものであって、他人に与えられるものでも、時代が与えてくれるものでもない。人類の歴史は前に進んでて、自分らは過去のどんな時代より恵まれているのに、それを自覚しない子は、たとえ仕事が楽だったって他に不満を見つけて愚痴るだけなんで、永遠に幸せになれないと思います。
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余談。
今回の話の発端は、この出勤簿がピラミッド建造の労働者のものとして流れてきたところから始まる。中の人あんま深く考えず、そういうものがあるんだと思って反応してましたが… 調べてみた結果はご覧のとおり。ピラミッド労働者の話じゃねーじゃん。
もともと新王国時代のディル・エル=メディーナの出勤簿だったものが、なぜ古王国時代のピラミッド建造の労働者の出勤簿として広まってしまったのかというと、「過去にNHKの番組がそのように放送してしまったから」らしい。その番組を見た覚えがない(見たけど忘れてる?)ので、どの番組だったのか分からない。
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おまけ
ピラミッドが公共事業のために作られた、失業対策であったという説も間違いです…
「ピラミッドは、何のために作られた?」
http://www.moonover.jp/bekkan/chorono/first_page.htm
この記事は、ピラミッド建設労働者の出勤簿の話ではありません。
「ピラミッド労働者が二日酔いで休んでいた」という話のソースを検証した結果、現存する出勤簿は王家の谷の労働者のもので、中身も全然ホワイトじゃなかった という内容の記事です。なぜか本文が全く読まれないまま拡散されてますが…。
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[>ここまでの流れ
「古代エジプトのピラミッド労働者は二日酔いで休めたのに現代の社蓄は休めない」みたいな感じの意見がどこかの掲示板かツイッターで流行っていたらしく、ドヤ顔で言われる
↓
中の人、古代エジプト人は現代人以上に苦労してたのに、なんでもかんでも自分らを卑下するのやめろ! と暴れる
↓
よく話を調べてみると、そもそも二日酔いで休んでたのは新王国時代のディル・アル・メディーナの労働者で、ピラミッド労働者じゃなかった。
↓
話の前提が間違っているようなので原典を探しにいこう!<<今ココ>>
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というわけで、わりとあっさり元のブツ見つかりました。安定の大英博物館。
てっきりパピルス文書なんだと思ってたら、オストラカに書いたものだったようだ。
またディール・アル=マディーナ出土のオストラコンには詳細な出勤簿もあり、その1つには、王家の谷にあるラメセス2世の王墓建設を休んだ理由が記されている。欠勤理由はさまざまで、個人的な祭日や体調不良などのほか、病気の同僚の看護のためというものさえある。
図説 「大英博物館 古代エジプト誌」第五章「言語と文学」より
大英博物館所蔵、ライムストーンのオストラカ
http://www.britishmuseum.org/explore/highlights/highlight_objects/aes/l/limestone_ostrakon_register.aspx
★基本データ
「オストラカ」とは?
言葉自体はギリシア語。文字や絵の描かれた岩の破片や陶器のかけらなどをさす考古学用語。エジプトでは、パピルスが高価だったため多くの私的なメモや一時的な書類などがオストラカに記された。
今回紹介する「出勤簿」の材質は建材としても使われていたライムストーン。おそらく建設現場で出た石材のきれっぱしを再利用している。
「ディル エル=メディーナ(Deir el-Medina)」または「デイル・アル・メディーナ」とは?
ナイル西側、ルクソールの対岸にある新王国時代の労働者の町。「王家の谷」の墓の造営に関わった職人たちが住んでいた。多くの労働者たちの家とともに、彼らの残した生活の痕跡が発見されている。この村が使用されたのは、第18王朝のはじめ頃から、ラメセス王朝(第20王朝)の後期までの約500年間と考えられている。
今回のオストラカは19王朝ラメセス2世の「治世40年 280日」(紀元前1250年ごろ)のもの。
★出勤簿の内容
記録の書かれた280日のうち、70日が「フル出勤日」だったように見える。ただ、これは休みが多かったというより、治世40年目なのでもう墓の造営がほとんど終わっていただろうこと、他の現場に移ったためこの出勤簿上には労働日が載っていないのではないかという推測が成されている。名簿に載っているのは40名で、欠勤理由は赤字で書かれている部分。
欠勤理由としては
・眼病の例が多い
・自分が医者にかかるため、あるいは医者に行く人の付き添い
・親類の不幸
・子供が生まれた
など。
上司のために働いたという記録もあり、欠勤理由に「上司のために家を建てにいった」とか、「上司の誕生日だから一緒に酒を飲んだ」とかも記録されているそうな…
…あれ。
本人が二日酔いで休んだんじゃなくて、接待(仕事)じゃんそれ。
ていうか上司の休日ゴルフに付き合わされるようなもんだよね。エジプト人も苦労してたんだコレ。
というわけで、元のブツを見たら、やっぱ「古代人は現代の社会人よりマシ」とか言えないです。
医療の発達してない、おまけに救急車なんてもんもない時代、医者にかかるために村を後にするとか大変ですよコレ。目の病も、下手したら失明コースですし。
ここから分かることは、「古代人も現代人と同じような苦労をしていた」ということ、「労働の管理がキチンとされていた」ということじゃないのかな。
そして紀元前1250年のエジプトには、現代のような保険とか社会福祉とかは無いので、圧倒的に現代人のほうが恵まれた生活をしている。ていうか腹いっぱいメシ食えてるのとクーラーあるのだけで感謝していいくらい人生イージーモード。エジプト人は現代ですら電力不足でクーラーかけられへんのやで。日本なんて恵まれた環境に生まれといて不満とかねーわ。
幸せとか楽しいとかは、自分でそう思った瞬間に手に入るものであって、他人に与えられるものでも、時代が与えてくれるものでもない。人類の歴史は前に進んでて、自分らは過去のどんな時代より恵まれているのに、それを自覚しない子は、たとえ仕事が楽だったって他に不満を見つけて愚痴るだけなんで、永遠に幸せになれないと思います。
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余談。
今回の話の発端は、この出勤簿がピラミッド建造の労働者のものとして流れてきたところから始まる。中の人あんま深く考えず、そういうものがあるんだと思って反応してましたが… 調べてみた結果はご覧のとおり。ピラミッド労働者の話じゃねーじゃん。
もともと新王国時代のディル・エル=メディーナの出勤簿だったものが、なぜ古王国時代のピラミッド建造の労働者の出勤簿として広まってしまったのかというと、「過去にNHKの番組がそのように放送してしまったから」らしい。その番組を見た覚えがない(見たけど忘れてる?)ので、どの番組だったのか分からない。
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おまけ
ピラミッドが公共事業のために作られた、失業対策であったという説も間違いです…
「ピラミッドは、何のために作られた?」
http://www.moonover.jp/bekkan/chorono/first_page.htm