The last pyramid エジプトで最後に作られたピラミッド、第18王朝
エジプトでたくさんピラミッドが作られていたのは、第四王朝~第六王朝あたりの「古王国時代」と呼ばれる時代。それ以降の時代には、ほとんどピラミッドは作られず、作られても小型化していた。「古王国時代」はいわばピラミッド時代とでも言うべき時代だった。
でも実は、エジプトで最後に作られたピラミッドは第十八王朝、つまり「新王国時代」に作られていたりする。
ちゅーわけで、たぶんマイナーであろう、この「最後のピラミッド」についてちょこっとまとめておく。
時代は紀元前1550年から1525年の間、場所は古よりの聖地アビュドス。作らせた王の名はアハメス、またはイアフメス1世と呼ばれ、ツタンカーメンから遡ること200年ほど前のご先祖様になる。第18王朝の1人目の王様。ちなみに第17王朝と第18王朝は血縁関係で繋がっていて、「ヒクソスによって分断されていたエジプトが再び統一されたから。」という理由で後世に王朝ナンバーが分けられただけである。
古代エジプトで作られたピラミッドは、通常、ピラミッドの周囲に葬祭殿を持つ「ピラミッド複合体(コンプレックス)」を形成する。
イアフメス1世の作ったピラミッドもその伝統に従い、ピラミッド+葬祭殿という構造になっている。(図にあるテティシェリ王妃のピラミッドは、イアフメスの祖母のもの。)
底辺50mちょっと、高さ40mちょっと、傾斜角度は60度なのでギザの大ピラミッドなんかよりはだいぶ緩め。とはいえヒクソス追放後にソッコーで石組みで50mの建造物を作れているので、さすがファラオ様というべきか、権力も財力もあったんだなというカンジ。
ただこのピラミッド面白いのが、中に部屋が無い。
川岸の葬祭殿からピラミッドに至るライン上にある「Osiris Grab」と呼ばれているものは、いわゆる「オシレイオン」のようなもので、冥界の神オシリスの住む世界を表現したかったらしい地下トンネルになっている。ここには埋葬の痕跡はなく、儀礼上の「オシリスの墓」のようだ。
作られた場所がオシリス神が埋葬されたと伝説に伝えられたアビュドスであるところからしても、このピラミッドは埋葬施設ではなく儀式用だったらしい。本当の墓は、第17王朝の王たちと同じ、テーベのカルナック神殿対岸付近、ドゥラ=アブ=エル・ナガに作られていたと予想されている。予想されている、というのは、本来の墓が盗掘されてしまい、後世に別の場所に再埋葬されて、元の墓の位置が分からなくなってしまったから。
ちなみに第17王朝の王たちのうち何人かは、小規模なピラミッドを築いていたことが分かっており、ドゥラ=アブ=エル・ナガのイアフメス1世の墓もおそらく小さなピラミッドだっただろうと推測されている。
つまり、予想が正しければこの王様は、一人で埋葬用と儀式用2つのピラミッドを造っていたことになる。
複合体を形成する、古王国時代からの伝統的な形態の「ピラミッド」と、墓の象徴でしかない埋葬用の「ピラミッド
」と。
そして次の世代からはそれらも作られなくなって、有名な「王家の谷」に洞窟のような墓を掘るようになっていく。
ピラミッドが作られ始めた時代に、様々な王たちの様々な試行錯誤の痕跡と発展の軌跡が見られるように、その後数百年をかけてピラミッドが放棄されていく過程にもまた、衰退の軌跡があると思う。ギザの大ピラミッドから、すぐさま「ピラミッドはいーらないっ」という時代になったわけではない。だんだんと小型化して、神殿や副葬品に凝るようになっていって、数百年をかけて王家の谷の新たな埋葬の形へ集約されていく。
そしてピラミッドは王家の谷において、墓の上部に「ちょこん」と置かれる墓石のような存在に変わっていくわけだ。
ちなみにイアフメス1世のピラミッドの遺構の写真は、たとえばWikipediaの英語ページにあったりするんだけど…
Pyramid of Ahmose
http://en.wikipedia.org/wiki/Pyramid_of_Ahmose
うむ、なんつーか、今やただの土盛りになっちゃってるなコレ…。
うちの田舎にある、ミカン畑にされた古墳 に似た雰囲気を感じる(笑)
発見当時は、一番下の2段くらいは残ってたらしいんですけどね…。近隣の人に石もってかれちゃったんかな。まなんつーか、時を嗤えるほどのピラミッドはファラオ様でもそうそう簡単には作れなかったってことですね。
でも実は、エジプトで最後に作られたピラミッドは第十八王朝、つまり「新王国時代」に作られていたりする。
ちゅーわけで、たぶんマイナーであろう、この「最後のピラミッド」についてちょこっとまとめておく。
時代は紀元前1550年から1525年の間、場所は古よりの聖地アビュドス。作らせた王の名はアハメス、またはイアフメス1世と呼ばれ、ツタンカーメンから遡ること200年ほど前のご先祖様になる。第18王朝の1人目の王様。ちなみに第17王朝と第18王朝は血縁関係で繋がっていて、「ヒクソスによって分断されていたエジプトが再び統一されたから。」という理由で後世に王朝ナンバーが分けられただけである。
古代エジプトで作られたピラミッドは、通常、ピラミッドの周囲に葬祭殿を持つ「ピラミッド複合体(コンプレックス)」を形成する。
イアフメス1世の作ったピラミッドもその伝統に従い、ピラミッド+葬祭殿という構造になっている。(図にあるテティシェリ王妃のピラミッドは、イアフメスの祖母のもの。)
底辺50mちょっと、高さ40mちょっと、傾斜角度は60度なのでギザの大ピラミッドなんかよりはだいぶ緩め。とはいえヒクソス追放後にソッコーで石組みで50mの建造物を作れているので、さすがファラオ様というべきか、権力も財力もあったんだなというカンジ。
ただこのピラミッド面白いのが、中に部屋が無い。
川岸の葬祭殿からピラミッドに至るライン上にある「Osiris Grab」と呼ばれているものは、いわゆる「オシレイオン」のようなもので、冥界の神オシリスの住む世界を表現したかったらしい地下トンネルになっている。ここには埋葬の痕跡はなく、儀礼上の「オシリスの墓」のようだ。
作られた場所がオシリス神が埋葬されたと伝説に伝えられたアビュドスであるところからしても、このピラミッドは埋葬施設ではなく儀式用だったらしい。本当の墓は、第17王朝の王たちと同じ、テーベのカルナック神殿対岸付近、ドゥラ=アブ=エル・ナガに作られていたと予想されている。予想されている、というのは、本来の墓が盗掘されてしまい、後世に別の場所に再埋葬されて、元の墓の位置が分からなくなってしまったから。
ちなみに第17王朝の王たちのうち何人かは、小規模なピラミッドを築いていたことが分かっており、ドゥラ=アブ=エル・ナガのイアフメス1世の墓もおそらく小さなピラミッドだっただろうと推測されている。
つまり、予想が正しければこの王様は、一人で埋葬用と儀式用2つのピラミッドを造っていたことになる。
複合体を形成する、古王国時代からの伝統的な形態の「ピラミッド」と、墓の象徴でしかない埋葬用の「ピラミッド
」と。
そして次の世代からはそれらも作られなくなって、有名な「王家の谷」に洞窟のような墓を掘るようになっていく。
ピラミッドが作られ始めた時代に、様々な王たちの様々な試行錯誤の痕跡と発展の軌跡が見られるように、その後数百年をかけてピラミッドが放棄されていく過程にもまた、衰退の軌跡があると思う。ギザの大ピラミッドから、すぐさま「ピラミッドはいーらないっ」という時代になったわけではない。だんだんと小型化して、神殿や副葬品に凝るようになっていって、数百年をかけて王家の谷の新たな埋葬の形へ集約されていく。
そしてピラミッドは王家の谷において、墓の上部に「ちょこん」と置かれる墓石のような存在に変わっていくわけだ。
ちなみにイアフメス1世のピラミッドの遺構の写真は、たとえばWikipediaの英語ページにあったりするんだけど…
Pyramid of Ahmose
http://en.wikipedia.org/wiki/Pyramid_of_Ahmose
うむ、なんつーか、今やただの土盛りになっちゃってるなコレ…。
うちの田舎にある、ミカン畑にされた古墳 に似た雰囲気を感じる(笑)
発見当時は、一番下の2段くらいは残ってたらしいんですけどね…。近隣の人に石もってかれちゃったんかな。まなんつーか、時を嗤えるほどのピラミッドはファラオ様でもそうそう簡単には作れなかったってことですね。