ハトシェプスト女王は戦争を行わず交易で平和的に統治した って言われて「は?」ってなってる
人を案内して上野のエジプト展二周目。
ハトシェプスト葬祭殿の説明をしているっぽかったので、前回すっ飛ばしていた途中の映像コーナーを通った時、「ハトシェプスト女王は戦争を行わず交易で平和的に統治した…」っていうナレーションが聞こえてきて耳を疑ったですよ。はい? え? 何?
ハトシェプスト女王の統治時代って戦争しなかったことになってんの?
分業制で、共同統治していたもう一人のファラオ(義理の息子)が遠征してましたけど?
なんだこの「女に政治任せれば平和になる」みたいな偏向したナレーションは(笑) 男よりくだらない理由で争いごとを引き起こし、つまらんプライドと一時の感情で突っ走って周囲ごと自滅するのが女だぞ! 逆に性差別じゃないのか。
とかいうのはおいといて、ハトシェプスト女王に関する誤解の元はというと、どうやらハトシェプスト女王がルクソール対岸の谷に作った葬祭殿の壁画に戦争のシーンが出てこないことのようだ。映像でもプントとの交易の業績が強調されていた。
以下がハトシェプスト女王の葬祭殿に描かれたプントとの交易シーン。
*上のページは、以下の本からの1ページ。前後読みたい人は元の本に当たってねということで
だが、葬祭殿の壁画に戦争シーンがないのは、単に女王が自ら遠征しなかったからに過ぎない。実際、ハトシェプスト女王がファラオとして即位していた時代に軍事遠征が何度もあったことは確実で、ハトシェプスト女王の時代には戦争が行われなかった、などという事実はない。
そうだと思っている人は、もう一人の本来のファラオ、トトメス3世を何だと思っているのか…。
ハトシェプスト女王が目立ってるあいだ、トトメス3世がどこで何してたと思ってるのか聞いてみたい。(笑)
そもそも、ハトシェプスト女王が単独で即位していた時期はない。
幼いトトメス3世(夫の側室の子で、自分の実の娘と結婚させていた)の摂政として政治を担当していたのが、やがてトトメス3世と同等の権力を持つ「もう一人のファラオ」として即位したのが始まりで、二人のファラオが存在することを「共同統治」と呼ぶ。なお共同統治システムは後継者問題でモメることの多かった中王国時代に開始されており、ハトシェプストの時代だけの特異な現象ではない。
ハトシェプストが首都テーベで政治をやってる間、トトメス3世は対アジアの前線にいたと考えられている。これはトトメス1世、2世と軍事遠征に力を入れていた王が即位してきた流れからと、共同統治が終わり単独のファラオとなった直後から領土拡大の戦争に積極的に乗り出していることからの推測である。
エジプトに限った話ではないが、古代世界においては、遠方の国家と交易するためには、権力地盤を固め、周囲の敵を排除しなくてはならない。
第五王朝頃には既に行われていたプントとの交易が、ハトシェプスト女王の時代まで途絶えていた原因は、
・南方のヌビアが力をつけてきたこと
・北方からヒクソスなどの異民族が侵入してきたこと
・パレスチナ、シリア方面の政情が安定しなかったこと
・国内も権力闘争や内乱で混乱していたこと
などである。
これらの問題を潰していって初めて、プントとの交易を再開することができた。つまりハトシェプストがプントと交易するには、軍事遠征による周囲の敵の排除が前提だったわけで、周囲の敵の排除はトトメス3世が担当し、内政と交易はハトシェプストが担当。二人は共同でエジプトの国力基盤を固めていたのではないかと思う。
というか、交易のためには交易路を軍事的に制圧して安全を確保することが必須だよ。あるいは、交易路にしっかりした権力が確立されていて、友好関係を結んでいないと高価な品を運ぶ商隊なんて送れないよ。歴史上、武装しなかった交易国家は無い。海洋貿易にしろ陸路にしろ、交易路の確保には武力が必須。それはタンカーを海賊から守るのに軍隊導入してる現代も同じこと。
プントとの交易はトトメス3世の治世9年目。
ハトシェプストの側近たちが排除されはじめるのが治世16年目頃、ハトシェプストが記録から消えるのが22年目ごろ。
かつてはハトシェプストは暗殺されたのでは? などと言われていたが、ハトシェプスト自身と見られるミイラが特定され、その後も老齢に達するまで生きて、病死していたことが明らかになっている。単独ファラオとしてやっていけるだけの実績と自信をつけたトトメス3世が、いつまでも権力の座に居座ろうとしていた義母を引退させた、というのが事実のようだ。
そしてハトシェプスト引退後、トトメス3世の軍事遠征によってエジプトは、エジプト上最大となる国土を獲得することになる。ついでに、トトメス3世は軍人王として名高いが、ハトシェプストと同じくプントへの交易も行っている。
というわけで、ハトシェプスト女王が特別に平和主義だったとか、特に交易に力を入れていたとかいうわけではないと思う。平和主義で語るなら、古代エジプト史上に燦然と輝く異端児、アクエンアテン王がいるじゃないかと。
真の意味で戦争を嫌い、愛と平和で世の中を治めようとしたこの王の消極外交の結果を知ってれば、あのナレーションは在り得なかった。
ハトシェプスト女王を前面に押し出しながら、あまり彼女に魅力を感じられる展示にはなっていないと思ったけど、結局、展示のコーディネイトをした人がハトシェプストのことを何もわかっていなかったっていうオチなのかな…。
ハトシェプスト葬祭殿の説明をしているっぽかったので、前回すっ飛ばしていた途中の映像コーナーを通った時、「ハトシェプスト女王は戦争を行わず交易で平和的に統治した…」っていうナレーションが聞こえてきて耳を疑ったですよ。はい? え? 何?
ハトシェプスト女王の統治時代って戦争しなかったことになってんの?
分業制で、共同統治していたもう一人のファラオ(義理の息子)が遠征してましたけど?
なんだこの「女に政治任せれば平和になる」みたいな偏向したナレーションは(笑) 男よりくだらない理由で争いごとを引き起こし、つまらんプライドと一時の感情で突っ走って周囲ごと自滅するのが女だぞ! 逆に性差別じゃないのか。
とかいうのはおいといて、ハトシェプスト女王に関する誤解の元はというと、どうやらハトシェプスト女王がルクソール対岸の谷に作った葬祭殿の壁画に戦争のシーンが出てこないことのようだ。映像でもプントとの交易の業績が強調されていた。
以下がハトシェプスト女王の葬祭殿に描かれたプントとの交易シーン。
*上のページは、以下の本からの1ページ。前後読みたい人は元の本に当たってねということで
だが、葬祭殿の壁画に戦争シーンがないのは、単に女王が自ら遠征しなかったからに過ぎない。実際、ハトシェプスト女王がファラオとして即位していた時代に軍事遠征が何度もあったことは確実で、ハトシェプスト女王の時代には戦争が行われなかった、などという事実はない。
そうだと思っている人は、もう一人の本来のファラオ、トトメス3世を何だと思っているのか…。
ハトシェプスト女王が目立ってるあいだ、トトメス3世がどこで何してたと思ってるのか聞いてみたい。(笑)
そもそも、ハトシェプスト女王が単独で即位していた時期はない。
幼いトトメス3世(夫の側室の子で、自分の実の娘と結婚させていた)の摂政として政治を担当していたのが、やがてトトメス3世と同等の権力を持つ「もう一人のファラオ」として即位したのが始まりで、二人のファラオが存在することを「共同統治」と呼ぶ。なお共同統治システムは後継者問題でモメることの多かった中王国時代に開始されており、ハトシェプストの時代だけの特異な現象ではない。
ハトシェプストが首都テーベで政治をやってる間、トトメス3世は対アジアの前線にいたと考えられている。これはトトメス1世、2世と軍事遠征に力を入れていた王が即位してきた流れからと、共同統治が終わり単独のファラオとなった直後から領土拡大の戦争に積極的に乗り出していることからの推測である。
エジプトに限った話ではないが、古代世界においては、遠方の国家と交易するためには、権力地盤を固め、周囲の敵を排除しなくてはならない。
第五王朝頃には既に行われていたプントとの交易が、ハトシェプスト女王の時代まで途絶えていた原因は、
・南方のヌビアが力をつけてきたこと
・北方からヒクソスなどの異民族が侵入してきたこと
・パレスチナ、シリア方面の政情が安定しなかったこと
・国内も権力闘争や内乱で混乱していたこと
などである。
これらの問題を潰していって初めて、プントとの交易を再開することができた。つまりハトシェプストがプントと交易するには、軍事遠征による周囲の敵の排除が前提だったわけで、周囲の敵の排除はトトメス3世が担当し、内政と交易はハトシェプストが担当。二人は共同でエジプトの国力基盤を固めていたのではないかと思う。
というか、交易のためには交易路を軍事的に制圧して安全を確保することが必須だよ。あるいは、交易路にしっかりした権力が確立されていて、友好関係を結んでいないと高価な品を運ぶ商隊なんて送れないよ。歴史上、武装しなかった交易国家は無い。海洋貿易にしろ陸路にしろ、交易路の確保には武力が必須。それはタンカーを海賊から守るのに軍隊導入してる現代も同じこと。
プントとの交易はトトメス3世の治世9年目。
ハトシェプストの側近たちが排除されはじめるのが治世16年目頃、ハトシェプストが記録から消えるのが22年目ごろ。
かつてはハトシェプストは暗殺されたのでは? などと言われていたが、ハトシェプスト自身と見られるミイラが特定され、その後も老齢に達するまで生きて、病死していたことが明らかになっている。単独ファラオとしてやっていけるだけの実績と自信をつけたトトメス3世が、いつまでも権力の座に居座ろうとしていた義母を引退させた、というのが事実のようだ。
そしてハトシェプスト引退後、トトメス3世の軍事遠征によってエジプトは、エジプト上最大となる国土を獲得することになる。ついでに、トトメス3世は軍人王として名高いが、ハトシェプストと同じくプントへの交易も行っている。
というわけで、ハトシェプスト女王が特別に平和主義だったとか、特に交易に力を入れていたとかいうわけではないと思う。平和主義で語るなら、古代エジプト史上に燦然と輝く異端児、アクエンアテン王がいるじゃないかと。
真の意味で戦争を嫌い、愛と平和で世の中を治めようとしたこの王の消極外交の結果を知ってれば、あのナレーションは在り得なかった。
ハトシェプスト女王を前面に押し出しながら、あまり彼女に魅力を感じられる展示にはなっていないと思ったけど、結局、展示のコーディネイトをした人がハトシェプストのことを何もわかっていなかったっていうオチなのかな…。



