建造物から考える文明のありかた~権威や余剰作物なくても文明は築けるんじゃないかという話
ここ最近の思考の流れ。
[>スタート地点 インダス文明についてあれこれやっているうちに、インダス文明が、いわゆる「文明」の定義にあてはまらないことに気がつく。
↓
じゃあ文明の定義ってのがそもそもおかしいんだろう、と自分なりの文明の定義を考えてみる
↓
「文明」は世の中に色々あり、形態は多種多様。
都市や巨大なモニュメントを持つ文明もあれば、持たない文明もある。
それどころか王のような強力な権威がいないまま文明を築いているところがある。
↓
権威がいないのに、それなりの規模のモニュメントが存在する文明がある。
↓
もしかして、条件次第では、町内会レベルでも巨大な建造物は作れるんじゃないか・・・・?<<今ココ>>
今までは意識の前提にメソポタミアやエジプトがあったので、「権威」と「余剰作物」が「文明」の前提だと無意識に思い込んでいた。でも、どちらか一方もしくは両方が欠けてる状態から「文明」を成立させて、都市なり墓なり幹線道路なり、それなりのものを作ってしまってる文明が一つや二つではないことに気がついてきた。
そこで、「文明」を構成する要素は沢山あるが、その中でも「神殿」や「王墓」、あるいは「都市」そのものといった、建造物で考えてみることにした。
まず一つおそらくポイントだなと思ったのは、見た目の"デカさ"と、実際に作る難易度は違うということだ。
大きなピラミッドを作るのは、とても大変だ。
作り方はある程度わかっているが、建造技術そのものより人間の管理が大変。
だが、ピラミッドより小さいからといって、ストーンヘンジを作るのがピラミッドより楽かというと、そうではない。
ストーンヘンジを形成するサーセン石は何十キロも先から人力で運んできているうえに、柱1本の重さは、大ピラミッドを形成する石をはるかに凌駕する。当時のブリテン島の人口はエジプトのそれよりはるかに規模が小さいし、エジプトが青銅器時代だったのに対しストーンヘンジを作っていた時代のブリテン島はまだ石器時代。石のみで巨石を組み立てていく労力を考えると、かなり大変だっただろうと思う。
それに対し、見た目は巨大なのに意外と作るのが楽だったと思われるのがアメリカ先住民の土盛り(マウンド)だ。なにしろ材料は土なので、遠くまで取りにいかなくていいし、組み立て技術もいらない。工程管理もさほど複雑では無い。
・材料が近くにあるか
・材料の加工に技術が必要か
・専門技術者を必要とするか
・必要な動員人数と建設にかかる期間がどのくらいか
このあたりの条件を考えて比較しないと、作られたものの難易度を単純な「見た目」だけで判断してしまうことになる。巨大であっても、人口が多く、材料が簡単に手に入るようなものは、難易度が低い。難易度が低くて片手間に作れるようなものであれば、まとめ役も技術者も、余剰作物も要らない。
だからインダス文明は、王や神官といった「権威」なくして大都市を築けているんじゃないかと。
ハラッパーやモヘンジョ・ダロなどは、巨大ではあるが、もともと人口の多い地域で、しかも建物の材料はそのへんの泥だ。一人一人が自分の家や職場を建てていけば、それらが集まって自然に都市になったはずだ。ピラミッドやストーンヘンジみたいに遠くから巨大な石を運んでくるわけじゃないから、暮らしの片手間でも作ることは不可能ではない。
全体の都市計画を建てるまとめ役は必要かもしれないが、別に王の号令や組織管理は必要ない。
そう思ったとき、アンデス文明が「はじめに神殿ありき」で成立したというのも可能性としてアリなんじゃないかと思えてきた。
アンデス文明では、農耕を本格的に開始する以前から神殿が作られていた痕跡があるという。余剰作物は、自らは食料を生産しない権威や専門の技術者を養うために必要なものだ。しかし、一人一人が農作業の合間にそこらへんの石を積み上げて作る神殿は、特にそうしたものを必要としない。村長や町内会長レベルの弱い権威しか持たないまとめ役でも、「ちょっと村の神さんのために祠さ作んべー」と声かければ神殿出来ちゃう。
権威や余剰作物が必須とされるのは、より高度な技術を要する建造物をつくるときだけ。
原材料を遠くから運ばなくてはならなくて、かつ、作るのに高度な技術と人間管理を要求されるような建造物を作る段階になってから、なんだ。
おそらくだが、建造物の難易度が低いのは、「文明」の発達段階の序盤だと思う。
エジプトで考えるなら、泥れんがこねて積み上げた墓を作っていた時代は、たぶん農耕の合間や休耕期に農民が片手間で参加できたはずで、その時代には実は余剰作物は無くても構わなかったし、それほど強力な権威も必要なかった。遠くで切り出した石を運んできて、重労働で決められた角度に積み上げなきゃならないような建造物を作り始めると、強力な権威や専門の労働者を養うための余剰作物が必要になっていく。
作れる建造物の難易度が上がるということは、芸術や学問などもより複雑に発達するということ。
いままで「文明」の発生条件だといわれていた「権威」や「余剰作物」は、実際は「文明」の一定方向への発達に必要なものであって、発生そのものには必須ではないんじゃないか。つまりは「文明」が発生することによって生まれるもの、因果関係が逆なんじゃないか。なんとなくそんな気がしてきた。
[>スタート地点 インダス文明についてあれこれやっているうちに、インダス文明が、いわゆる「文明」の定義にあてはまらないことに気がつく。
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じゃあ文明の定義ってのがそもそもおかしいんだろう、と自分なりの文明の定義を考えてみる
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「文明」は世の中に色々あり、形態は多種多様。
都市や巨大なモニュメントを持つ文明もあれば、持たない文明もある。
それどころか王のような強力な権威がいないまま文明を築いているところがある。
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権威がいないのに、それなりの規模のモニュメントが存在する文明がある。
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もしかして、条件次第では、町内会レベルでも巨大な建造物は作れるんじゃないか・・・・?<<今ココ>>
今までは意識の前提にメソポタミアやエジプトがあったので、「権威」と「余剰作物」が「文明」の前提だと無意識に思い込んでいた。でも、どちらか一方もしくは両方が欠けてる状態から「文明」を成立させて、都市なり墓なり幹線道路なり、それなりのものを作ってしまってる文明が一つや二つではないことに気がついてきた。
そこで、「文明」を構成する要素は沢山あるが、その中でも「神殿」や「王墓」、あるいは「都市」そのものといった、建造物で考えてみることにした。
まず一つおそらくポイントだなと思ったのは、見た目の"デカさ"と、実際に作る難易度は違うということだ。
大きなピラミッドを作るのは、とても大変だ。
作り方はある程度わかっているが、建造技術そのものより人間の管理が大変。
だが、ピラミッドより小さいからといって、ストーンヘンジを作るのがピラミッドより楽かというと、そうではない。
ストーンヘンジを形成するサーセン石は何十キロも先から人力で運んできているうえに、柱1本の重さは、大ピラミッドを形成する石をはるかに凌駕する。当時のブリテン島の人口はエジプトのそれよりはるかに規模が小さいし、エジプトが青銅器時代だったのに対しストーンヘンジを作っていた時代のブリテン島はまだ石器時代。石のみで巨石を組み立てていく労力を考えると、かなり大変だっただろうと思う。
それに対し、見た目は巨大なのに意外と作るのが楽だったと思われるのがアメリカ先住民の土盛り(マウンド)だ。なにしろ材料は土なので、遠くまで取りにいかなくていいし、組み立て技術もいらない。工程管理もさほど複雑では無い。
・材料が近くにあるか
・材料の加工に技術が必要か
・専門技術者を必要とするか
・必要な動員人数と建設にかかる期間がどのくらいか
このあたりの条件を考えて比較しないと、作られたものの難易度を単純な「見た目」だけで判断してしまうことになる。巨大であっても、人口が多く、材料が簡単に手に入るようなものは、難易度が低い。難易度が低くて片手間に作れるようなものであれば、まとめ役も技術者も、余剰作物も要らない。
だからインダス文明は、王や神官といった「権威」なくして大都市を築けているんじゃないかと。
ハラッパーやモヘンジョ・ダロなどは、巨大ではあるが、もともと人口の多い地域で、しかも建物の材料はそのへんの泥だ。一人一人が自分の家や職場を建てていけば、それらが集まって自然に都市になったはずだ。ピラミッドやストーンヘンジみたいに遠くから巨大な石を運んでくるわけじゃないから、暮らしの片手間でも作ることは不可能ではない。
全体の都市計画を建てるまとめ役は必要かもしれないが、別に王の号令や組織管理は必要ない。
そう思ったとき、アンデス文明が「はじめに神殿ありき」で成立したというのも可能性としてアリなんじゃないかと思えてきた。
アンデス文明では、農耕を本格的に開始する以前から神殿が作られていた痕跡があるという。余剰作物は、自らは食料を生産しない権威や専門の技術者を養うために必要なものだ。しかし、一人一人が農作業の合間にそこらへんの石を積み上げて作る神殿は、特にそうしたものを必要としない。村長や町内会長レベルの弱い権威しか持たないまとめ役でも、「ちょっと村の神さんのために祠さ作んべー」と声かければ神殿出来ちゃう。
権威や余剰作物が必須とされるのは、より高度な技術を要する建造物をつくるときだけ。
原材料を遠くから運ばなくてはならなくて、かつ、作るのに高度な技術と人間管理を要求されるような建造物を作る段階になってから、なんだ。
おそらくだが、建造物の難易度が低いのは、「文明」の発達段階の序盤だと思う。
エジプトで考えるなら、泥れんがこねて積み上げた墓を作っていた時代は、たぶん農耕の合間や休耕期に農民が片手間で参加できたはずで、その時代には実は余剰作物は無くても構わなかったし、それほど強力な権威も必要なかった。遠くで切り出した石を運んできて、重労働で決められた角度に積み上げなきゃならないような建造物を作り始めると、強力な権威や専門の労働者を養うための余剰作物が必要になっていく。
作れる建造物の難易度が上がるということは、芸術や学問などもより複雑に発達するということ。
いままで「文明」の発生条件だといわれていた「権威」や「余剰作物」は、実際は「文明」の一定方向への発達に必要なものであって、発生そのものには必須ではないんじゃないか。つまりは「文明」が発生することによって生まれるもの、因果関係が逆なんじゃないか。なんとなくそんな気がしてきた。