アステカ神話と冥界への随伴者―犬だけの墓
ちょっと前に流れていた、こちらの発見。
アステカの犬だけの墓を発見、メキシコ
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20140219006
アステカ神話に関する日本語の資料は、非常に少ない。その中で包括的な良本、初心者にこれがオススメ、と言える本となると、残念ながら一冊も無い。どれも古いか偏っているか内容に誤りがあるか、である。一般人はアステカとインカの区別さえつかない。
そんな状況なので、この発見のウラを取ろうにも取れない。
なんとか探してきた資料は全然違うジャンルからだ…
気になっていたのはここで、冥界ミクトランへの「案内人」が犬だとする神話は本当にあったのか? ということ。これがどうやら「神話」(=伝統として途絶え、固定化された状態で保存されたもの)ではなく、現代も行き続けている「風習」だと知ったのは、「メキシコ多文化 思索の旅」という本を読み返していたときだった。
以下は著者が、メキシコ市郊外のミスキックという村を訪れた時に聞いたという、臨死体験をした老女話。語り手は村の住人である。
ちなみにメキシコ市はかつてのアステカ首都、テノチティトランのことである。その郊外にあるミスキック村の住人がアステカの子孫であることは、今更言うまでもない。
「アステカ文明は滅びた」と表現されることが多いが、国としてなくなっただけで住人は今もそこにいて、西洋文化が流入してもなお、言葉や文化の一部は継承している。冥界のイメージは、キリスト教に言う「天国」ではなく、いまだ、死の神ミクトランテクトリの支配する「地の底ミクトラン」のようだ。
なお、マヤ・インカ・アステカ展で買ってきた図録の解説によると、アステカの冥界は3つあるという。
戦争で死んだ者は太陽神の治めるトナティウイチャン、水に関わる死に方(水疱もそこに入るらしい)は雨の神の支配するトラロカン。それ以外のふつうの死に方をした人間が、地下9層まである冥界ミクトランへ様々な試練を乗り越えながらたどり着かねばならない、という。
イヌが必要になるのは、第8層の最後に川を渡るところらしいのだが、残念ながら詳しい資料はない…。
なお、「メキシコ多文化 思索の旅」のほうでは、「川を渡るには朱色のイヌが必要で、埋葬のときイヌを殺した」という説明がされている。
だから、イヌだけの墓について議論になっているのは、そこに「主人である人間の姿がなかった」のが問題だからだ。昔から、アステカでは死者とともにイヌを埋葬してきた。人とイヌが近くに埋葬された墓は珍しくはない。イヌだけというのが謎なのだ。
イヌを食用にすることもあったから、冥界への随伴者ではなく食料として消費して埋めたのではないか。あるいは、ペットとして可愛がっていたものが飼い主より先に死んでしまったので別に埋めたのではないか。などという推測が成されている。
ショロトル(Xolotl)という神についての画像は適当に検索すれば見られる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Xolotl
確かにイヌの顔をした神だけどこれ、「太陽になる」とは「泣いたせいで目が無い」とか、空に関わるエピソードばかりで冥界とは関係なさそうだ。
ここらへんを調べていて、アステカのまとまった神話本がないのは、もしかして、今も生きていて変化し続けている信仰なので纏めるのが難しいのかな、とも思った。アステカの神話を研究するときは、遺跡として残された「死んだ」神話ではなく、今生きて神話を継承している人々から、「生きた」信仰として収集したほうが面白そうだ。というか遺跡に残ってる資料だけだと、全容はたぶん見えない。
アステカの犬だけの墓を発見、メキシコ
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20140219006
アステカ神話に関する日本語の資料は、非常に少ない。その中で包括的な良本、初心者にこれがオススメ、と言える本となると、残念ながら一冊も無い。どれも古いか偏っているか内容に誤りがあるか、である。一般人はアステカとインカの区別さえつかない。
そんな状況なので、この発見のウラを取ろうにも取れない。
なんとか探してきた資料は全然違うジャンルからだ…
アステカの神話で象徴的な役割を担っている犬は、死後も飼い主に仕えると信じられている。死者の魂を護衛 し、冥府の最下層であるミクトランへと誘うという。死後の世界と密接な関わりがあるショロトルという神も、 絵画などでは犬の頭を持っている。
気になっていたのはここで、冥界ミクトランへの「案内人」が犬だとする神話は本当にあったのか? ということ。これがどうやら「神話」(=伝統として途絶え、固定化された状態で保存されたもの)ではなく、現代も行き続けている「風習」だと知ったのは、「メキシコ多文化 思索の旅」という本を読み返していたときだった。
以下は著者が、メキシコ市郊外のミスキックという村を訪れた時に聞いたという、臨死体験をした老女話。語り手は村の住人である。
「母はもう年をとっていました。死んだとき七十歳くらいでした。わたしどもはあらゆる加持祈祷を行いましたりそして、母が息を吹き返し、鼻と口からあわをふいて目を覚ましたとき、母は棺箱に入っていました。コーヒーとタバコがほしいというのであげました。それから感じたことを話してくれました。どんなふうに肉体を離れたとか、おなじ姿をして波立つ泥まじりの大きな川のほうへ行ったとか。そこに腹をすかせたやせイヌがいましたが、それは母が家から何回も追っ払っていたイヌでした。イヌは軽蔑したように母をながめ、動きませんでした。『ねえ、死んだのだから、わたしをあの世へ連れて行っておくれ』、と母がイヌにいうと、イヌはばかにしたようにながめていいました。『あんたはわしに食物や水や菓子をくれたとでもいうのかね。わしをけとばさなかったかね。あんたはわしによごれた湯をぶっかけたね。生きているとき、わしを虐待したから、どうしようかね。連れていくことはできないよ。』
<中略>
あわだらけになって目を覚ましたのはそのときでした。それからわたしどもにいいました。『イヌを虐待しちゃいけないよ。なぜならイヌは必要なのだから。』それでミスキックにはたくさんイヌがいるのです。」
ちなみにメキシコ市はかつてのアステカ首都、テノチティトランのことである。その郊外にあるミスキック村の住人がアステカの子孫であることは、今更言うまでもない。
「アステカ文明は滅びた」と表現されることが多いが、国としてなくなっただけで住人は今もそこにいて、西洋文化が流入してもなお、言葉や文化の一部は継承している。冥界のイメージは、キリスト教に言う「天国」ではなく、いまだ、死の神ミクトランテクトリの支配する「地の底ミクトラン」のようだ。
なお、マヤ・インカ・アステカ展で買ってきた図録の解説によると、アステカの冥界は3つあるという。
戦争で死んだ者は太陽神の治めるトナティウイチャン、水に関わる死に方(水疱もそこに入るらしい)は雨の神の支配するトラロカン。それ以外のふつうの死に方をした人間が、地下9層まである冥界ミクトランへ様々な試練を乗り越えながらたどり着かねばならない、という。
イヌが必要になるのは、第8層の最後に川を渡るところらしいのだが、残念ながら詳しい資料はない…。
なお、「メキシコ多文化 思索の旅」のほうでは、「川を渡るには朱色のイヌが必要で、埋葬のときイヌを殺した」という説明がされている。
だから、イヌだけの墓について議論になっているのは、そこに「主人である人間の姿がなかった」のが問題だからだ。昔から、アステカでは死者とともにイヌを埋葬してきた。人とイヌが近くに埋葬された墓は珍しくはない。イヌだけというのが謎なのだ。
イヌを食用にすることもあったから、冥界への随伴者ではなく食料として消費して埋めたのではないか。あるいは、ペットとして可愛がっていたものが飼い主より先に死んでしまったので別に埋めたのではないか。などという推測が成されている。
ショロトル(Xolotl)という神についての画像は適当に検索すれば見られる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Xolotl
確かにイヌの顔をした神だけどこれ、「太陽になる」とは「泣いたせいで目が無い」とか、空に関わるエピソードばかりで冥界とは関係なさそうだ。
ここらへんを調べていて、アステカのまとまった神話本がないのは、もしかして、今も生きていて変化し続けている信仰なので纏めるのが難しいのかな、とも思った。アステカの神話を研究するときは、遺跡として残された「死んだ」神話ではなく、今生きて神話を継承している人々から、「生きた」信仰として収集したほうが面白そうだ。というか遺跡に残ってる資料だけだと、全容はたぶん見えない。