バベルの塔の本来の意味、現存するジッグラドの数とか
まずはジッグラトの話からしよう。バベルの塔の元ネタになったモノだからだ。
ジッグラトとは、メソポタミア周辺で作られた、上部に神殿を載せる人工の丘のこと。「古代オリエント事典」による説明では以下のようになっている。
※同タイトルの本が2冊あって分かりにくいが、今回使ったのはこっち。ちなみに「図説」ってあるけど図はほとんどなくてふつーの辞書(笑)
ちなみに上記のようにジッグラトは紀元前2200年頃から作られはじめており、最後のジッグラトが完成したのが紀元前550年頃で、長期にわたっている。もちろんその数は一つではなく、作られた場所は一箇所ではない。
最も保存状態が良く、ひんぱんに引き合いに出されるのが「ウルのジッグラト」(紀元前2110年頃)。現存する最大のものが「チョガ・ザンビルのジッグラト」(紀元前1200年代)。一つの都市に複数のジッグラトが建てられている場合もあり、その上部の神殿には基本的に各都市の主神が祀られていた。つまりジッグラトごとに祭神は異なる。
現在痕跡の残されているジッグラトは全部で40くらいとされている。
以上が前知識となる。
**************
さて、旧約聖書に出てくる「バベルの塔」といえば、日本でもよく知られている。創世記に出てくるエピソードに由来する言葉で、そのエピソードとは、人々が天に届く高い塔を作ろうとしたが、それを成し遂げられると困るというので神が人の言葉を乱し、互いに理解できないようにしてしまったというものである。
子が父に挑戦し乗り越えようとするのは人間社会ではごく当たり前の好ましいことなのに、力づくでそれをねじ伏せてくるとか、神はどうやら良き父でも良き教育者でもないらしい。もっとも、だからこそ人類がロクでもないドラ息子に育ったと責任転嫁することも可能である。嫌だと思っても子は親に似ちゃうんだと言うこともできる。
まぁそこは好きに解釈すればいいのでおいといて、このバベルの塔がバビロニアに築かれたジッグラトを元ネタにしているのではないかと言われることがある。その理由が書かれている本があんまり見つからないのが不思議な感じなのだが、バビロニアの元々の名「バーブ・イリ(神の門)」がバベルの語源だから、ということらしい。バーブが「門」、イリが「神」である。
バビロニアは元々シュメール人が築いた都で、シュメール語の名前は「カ・ディンギル・ラ」という。カが「門」、ディンギルが「神」、ラが「of」つまり「の」になる。つまりこちらも「神の門」だ。そのアッカド語による直訳が「バーブ・イリ」で、「バベル」はそれをさらにギリシャ語読みにしたものだ。
これを、音だけでヘブライ語で意味をとるとバーラル(balal)「乱れる」となることから、「バーブ・イリ(神の門)の塔」→「バーラル(乱れる)の塔」へと変換され、のちに旧約聖書に記録されることになる神話が作られたようだ。
バビロニアのジッグラトは現存はしていないが、発掘では一辺が90mの正方形の基壇が見つかっている。塔を建設したときの記録から、高さも90m。段は7段あったらしい。現存する最大のジッグラトは底面が100m四方、かつての高さは50mほどと考えられているので、バビロニアのものは最大級だったといえるだろう。
バビロニアのジッグラトは古くから何度も建て替えられていたようだが、最後の塔は前7世紀初頭にアッシリアが滅亡し、新バビロニアが「四方世界の王」とか名乗っていた頃に立てられたものとなる。
というわけで、何が言いたかったかというと
旧約聖書の中の神話は意外と古くない。
バビロニアはシュメールの時代から新バビロニアの時代まで永きに渡って宗教の中心地だったため、伝説の中の「塔」がいつの時点のジッグラトだったかは特定が難しい。が、ジッグラトの建設が始まったのが最大限遡っても紀元前2200年頃。またずいぶん最近になってから人類の言葉が分かれたってことになっちょるんだなーという感じ。たぶん語族違う人たちとの接触が増えてから作られた神話なんだろう。
ちなみにこの神話の元ネタとしてシュメール語の「エンメルカルとアラッタの主」というテキストが挙げられることがあり、エンキ神によって人々の言葉が散らされた、という文言があるそうなのだが、邦訳のダイジェストの中ではその箇所が見つからなかった。ストーリーの関係ない部分での言及なので省かれたか、破損箇所なのかもしれない。(ここは気が向いたら調べてみるつもり)
※この本にストーリーダイジェストあり。
ちなみにエンメルカルはウルクの王で紀元前2800年頃の王だから、エンメルカルの頃はまだジッグラトは築かれていなかったことになる。これが大本だったとしても、やっぱり伝説の成立はあまり時代を遡らないようである。
ジッグラトとは、メソポタミア周辺で作られた、上部に神殿を載せる人工の丘のこと。「古代オリエント事典」による説明では以下のようになっている。
頂上に一つないしそれ以上の神殿がついた階段状ピラミッド。ジッグラトという用語は、アッシリアおよびバビロニアで使用されたアッカド語の名称 Ziqqurratu の英語形。このような建造物が初めて建設されたのは前2200年頃のメソポタミア南部で、以後、北部におけるアッシリア人による模倣も含めて、前550年まで建造され続けた。
※同タイトルの本が2冊あって分かりにくいが、今回使ったのはこっち。ちなみに「図説」ってあるけど図はほとんどなくてふつーの辞書(笑)
ちなみに上記のようにジッグラトは紀元前2200年頃から作られはじめており、最後のジッグラトが完成したのが紀元前550年頃で、長期にわたっている。もちろんその数は一つではなく、作られた場所は一箇所ではない。
最も保存状態が良く、ひんぱんに引き合いに出されるのが「ウルのジッグラト」(紀元前2110年頃)。現存する最大のものが「チョガ・ザンビルのジッグラト」(紀元前1200年代)。一つの都市に複数のジッグラトが建てられている場合もあり、その上部の神殿には基本的に各都市の主神が祀られていた。つまりジッグラトごとに祭神は異なる。
現在痕跡の残されているジッグラトは全部で40くらいとされている。
以上が前知識となる。
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さて、旧約聖書に出てくる「バベルの塔」といえば、日本でもよく知られている。創世記に出てくるエピソードに由来する言葉で、そのエピソードとは、人々が天に届く高い塔を作ろうとしたが、それを成し遂げられると困るというので神が人の言葉を乱し、互いに理解できないようにしてしまったというものである。
子が父に挑戦し乗り越えようとするのは人間社会ではごく当たり前の好ましいことなのに、力づくでそれをねじ伏せてくるとか、神はどうやら良き父でも良き教育者でもないらしい。もっとも、だからこそ人類がロクでもないドラ息子に育ったと責任転嫁することも可能である。嫌だと思っても子は親に似ちゃうんだと言うこともできる。
まぁそこは好きに解釈すればいいのでおいといて、このバベルの塔がバビロニアに築かれたジッグラトを元ネタにしているのではないかと言われることがある。その理由が書かれている本があんまり見つからないのが不思議な感じなのだが、バビロニアの元々の名「バーブ・イリ(神の門)」がバベルの語源だから、ということらしい。バーブが「門」、イリが「神」である。
バビロニアは元々シュメール人が築いた都で、シュメール語の名前は「カ・ディンギル・ラ」という。カが「門」、ディンギルが「神」、ラが「of」つまり「の」になる。つまりこちらも「神の門」だ。そのアッカド語による直訳が「バーブ・イリ」で、「バベル」はそれをさらにギリシャ語読みにしたものだ。
これを、音だけでヘブライ語で意味をとるとバーラル(balal)「乱れる」となることから、「バーブ・イリ(神の門)の塔」→「バーラル(乱れる)の塔」へと変換され、のちに旧約聖書に記録されることになる神話が作られたようだ。
バビロニアのジッグラトは現存はしていないが、発掘では一辺が90mの正方形の基壇が見つかっている。塔を建設したときの記録から、高さも90m。段は7段あったらしい。現存する最大のジッグラトは底面が100m四方、かつての高さは50mほどと考えられているので、バビロニアのものは最大級だったといえるだろう。
バビロニアのジッグラトは古くから何度も建て替えられていたようだが、最後の塔は前7世紀初頭にアッシリアが滅亡し、新バビロニアが「四方世界の王」とか名乗っていた頃に立てられたものとなる。
というわけで、何が言いたかったかというと
旧約聖書の中の神話は意外と古くない。
バビロニアはシュメールの時代から新バビロニアの時代まで永きに渡って宗教の中心地だったため、伝説の中の「塔」がいつの時点のジッグラトだったかは特定が難しい。が、ジッグラトの建設が始まったのが最大限遡っても紀元前2200年頃。またずいぶん最近になってから人類の言葉が分かれたってことになっちょるんだなーという感じ。たぶん語族違う人たちとの接触が増えてから作られた神話なんだろう。
ちなみにこの神話の元ネタとしてシュメール語の「エンメルカルとアラッタの主」というテキストが挙げられることがあり、エンキ神によって人々の言葉が散らされた、という文言があるそうなのだが、邦訳のダイジェストの中ではその箇所が見つからなかった。ストーリーの関係ない部分での言及なので省かれたか、破損箇所なのかもしれない。(ここは気が向いたら調べてみるつもり)
※この本にストーリーダイジェストあり。
ちなみにエンメルカルはウルクの王で紀元前2800年頃の王だから、エンメルカルの頃はまだジッグラトは築かれていなかったことになる。これが大本だったとしても、やっぱり伝説の成立はあまり時代を遡らないようである。