今はもうない風景の断片的な記憶。「青ヶ島の神々」
青ヶ島でかつて行われていた独自の信仰に関する本。
夏に青が島に行ったときに探した石積みの神様がちょい気になったので読んで見た。
著者の肩書きは一応「民俗学者」になっているが、実体は一般人の好事家なので学術的な手法は望めない。本の内容はいわば、著者が青ヶ島に暮らした何年かの「体験談」「覚え書き」であり、考察は推論に推論を重ねてどこまでも飛躍してゆく、いかにも素人らしい語り口なのであまりよろしくはない。論理的、実証的な記述は少なく、根拠のない推測も多いので、まあ話半分、といったところか。
だが、昔を覚えている人が減り、過去の記録が少ない分野においては、それすらも貴重な記録となる。
全般、写真を見ていて言えることは、 この10年くらいでずいぶん荒れ果てたんだなー ということ。ちぅか、草に埋もれてて全く見えなかったところとかある。
たとえば、大里神社の本来の構造はこうなってたらしいんだけど、今回は「下の石場」と言われるところしか行っていない。
上の石場に通じる階段がある、と図で描かれている場所の写真が以下。近くまで行ったにも関わらず、道があるとは全く気が付かなかったほどの藪だ。茂みの向こうは崖っぽかったんだけど、その先に実は道があったんだとしたら、事前に知ってなければ見つけられない。隠しマップにもほどがある。
いくら夏草の勢いがすごいと言っても、頻繁にお参りしていればここまで生い茂ることはない。人が通っていれば、獣道だとしても道は消えてしまわない。道が見えなかったということは、事実上、この神社の「石場」信仰は既に途絶えているのではないかと思う。
地図にはあるのに探しても見つけられなかった渡海神社も、入り口が竹やぶに埋もれていた金比羅神社もそうだ。本の中では、かつては個人個人が守護神を持って祀っていたいたというが、果たして今の青ヶ島はどうだろうか。島の人口が減り、元から島に住んでいた人が減るにつれ、誰も守護していない、拝まれない神様が増えていって、山に埋もれつつあるのが現状のような気がする。
ちなみに本の中で紹介されている多くの「石場」=神様のいるところ は、「行ったけどそんなのみつからなかったよ…」という感じ。大根山の石場、と書かれているところなどは、石場どころかそもそも道がなかった。いや、見つけられなかったというべきか。誰も通らない山道は、あっというまに自然に還ってしまう。
中でも、東台所神社が元々は大里神社と並ぶ島の大鎮守だったというのはびっくりした。元々そこにはオオナムチノカミが祀られていて、嫉妬に狂って人を殺して祟り神になった島人をまつってる神社ではなかったらしい。新たに祀られるようになった祟り神は”新神様”と呼ばれ、元々の祭神オオナムチがその押さえ役だったとか。うーん、今やそんな面影は全然なく、島で聞いた話にもオオナムチは全然出てこなかった。というか、そもそも、元の祭神のいる場所が神社の位置と違うんである。
ここの奥の石積みの上に神様が載ってるんだっていうんだけど… 言われなきゃわかんねーよ!!!
本に載ってる2007年の写真だと、草や木が覆っていない祠堂が並んでいる。でも2014年の今、そこにあったのは藪の間から辛うじて覗く石積みだけだ。足元も草ぼうぼうで近づけなかった。島の大鎮守ですらこれだとすると、祭りの伝統が途絶えたどころの話じゃない気がする。
そしてもっと謎なのが、今は草に埋もれて消えてしまったと思われる神様を多数載せているわりに、私がなんとなくたどり着いた八天狗様がどこにも載っていないこと。どうやら、以下の記述が該当しそうなのだが…
なるほど、確かに展望台の真下だった。
八丈実記は、八丈島に流刑罪となった近藤富蔵という人物によって書かれた書物で、青ヶ島の民俗を記録したものとしてもたびたび引用されている。だが、宝神社とかウバ神社とかいう表記はその祠には書かれていなかった。鳥居に書かれてたのは「八天狗様」という名前だった…。ちなみに、回った中でここが一番手入れされてた(草の生えっぷりがまだマシなほうだった)ので、多分ここは今も誰かが参拝していると思う。
見つからなかった神様といえば、名主屋敷跡の神様も、池の沢の水源のどこかにあるという石場も見つけられなかった。何かありそうだなーと思いながらかなり時間を割いてくまなく歩き回った場所なので、あればきっと見つけられたと思う。もう廃れて自然に還ってしまったか、草に埋もれていて見えなかったのだと思う。
*****
かつて青ヶ島は、多くの神様が祀られた「神々の島」だったという。本土から遠く、廃仏毀釈の命令が届かず、神仏集合のまま残ったという遥かな離島。石積みの祠の上には神様も仏様も仲良く並び、独特の祭事が行われていたという。
しかし今、そこに棲む神々はほとんどが忘れ去られている。島にもテレビがあり、携帯電話があり、インターネットも出来る。現代ですら交通手段が限られている辺境の地ではあり続けるものの、時の波は着実に押し寄せているということだ。
いつかもういっぺん行くことがあったら、今度は草刈の用意でもして神様を探してみようか。それとも今回見つけた神様がまだ存在しているかどうか確かめてみようか。そんなことを思いながら、読み終わった本をソッと本棚に仕舞う。
夏に青が島に行ったときに探した石積みの神様がちょい気になったので読んで見た。
著者の肩書きは一応「民俗学者」になっているが、実体は一般人の好事家なので学術的な手法は望めない。本の内容はいわば、著者が青ヶ島に暮らした何年かの「体験談」「覚え書き」であり、考察は推論に推論を重ねてどこまでも飛躍してゆく、いかにも素人らしい語り口なのであまりよろしくはない。論理的、実証的な記述は少なく、根拠のない推測も多いので、まあ話半分、といったところか。
だが、昔を覚えている人が減り、過去の記録が少ない分野においては、それすらも貴重な記録となる。
全般、写真を見ていて言えることは、 この10年くらいでずいぶん荒れ果てたんだなー ということ。ちぅか、草に埋もれてて全く見えなかったところとかある。
たとえば、大里神社の本来の構造はこうなってたらしいんだけど、今回は「下の石場」と言われるところしか行っていない。
上の石場に通じる階段がある、と図で描かれている場所の写真が以下。近くまで行ったにも関わらず、道があるとは全く気が付かなかったほどの藪だ。茂みの向こうは崖っぽかったんだけど、その先に実は道があったんだとしたら、事前に知ってなければ見つけられない。隠しマップにもほどがある。
いくら夏草の勢いがすごいと言っても、頻繁にお参りしていればここまで生い茂ることはない。人が通っていれば、獣道だとしても道は消えてしまわない。道が見えなかったということは、事実上、この神社の「石場」信仰は既に途絶えているのではないかと思う。
地図にはあるのに探しても見つけられなかった渡海神社も、入り口が竹やぶに埋もれていた金比羅神社もそうだ。本の中では、かつては個人個人が守護神を持って祀っていたいたというが、果たして今の青ヶ島はどうだろうか。島の人口が減り、元から島に住んでいた人が減るにつれ、誰も守護していない、拝まれない神様が増えていって、山に埋もれつつあるのが現状のような気がする。
ちなみに本の中で紹介されている多くの「石場」=神様のいるところ は、「行ったけどそんなのみつからなかったよ…」という感じ。大根山の石場、と書かれているところなどは、石場どころかそもそも道がなかった。いや、見つけられなかったというべきか。誰も通らない山道は、あっというまに自然に還ってしまう。
中でも、東台所神社が元々は大里神社と並ぶ島の大鎮守だったというのはびっくりした。元々そこにはオオナムチノカミが祀られていて、嫉妬に狂って人を殺して祟り神になった島人をまつってる神社ではなかったらしい。新たに祀られるようになった祟り神は”新神様”と呼ばれ、元々の祭神オオナムチがその押さえ役だったとか。うーん、今やそんな面影は全然なく、島で聞いた話にもオオナムチは全然出てこなかった。というか、そもそも、元の祭神のいる場所が神社の位置と違うんである。
ここの奥の石積みの上に神様が載ってるんだっていうんだけど… 言われなきゃわかんねーよ!!!
本に載ってる2007年の写真だと、草や木が覆っていない祠堂が並んでいる。でも2014年の今、そこにあったのは藪の間から辛うじて覗く石積みだけだ。足元も草ぼうぼうで近づけなかった。島の大鎮守ですらこれだとすると、祭りの伝統が途絶えたどころの話じゃない気がする。
そしてもっと謎なのが、今は草に埋もれて消えてしまったと思われる神様を多数載せているわりに、私がなんとなくたどり着いた八天狗様がどこにも載っていないこと。どうやら、以下の記述が該当しそうなのだが…
現在、ミコノハマ(神子ノ浦)は断崖の崩落によって、浜(荒磯)へ降りる急勾配の道路(通称「神子道」)はほとんど消滅してしまっているが<中略>今は完全に失われているが、その神子ノ浦の磯のところにも数基の祠があった。現在、神子ノ浦を見下ろす場所には「神子の横原展望広場」があり、その真下の崖には、若干、崩れかけてはいるが、かなり立派なイシバがある。
なるほど、確かに展望台の真下だった。
そのイシバは八丈島と八丈小島を見据えるように鎮座している。それが「八丈實記」のいうミコマハマの宝神社、ウバ神社である。
八丈実記は、八丈島に流刑罪となった近藤富蔵という人物によって書かれた書物で、青ヶ島の民俗を記録したものとしてもたびたび引用されている。だが、宝神社とかウバ神社とかいう表記はその祠には書かれていなかった。鳥居に書かれてたのは「八天狗様」という名前だった…。ちなみに、回った中でここが一番手入れされてた(草の生えっぷりがまだマシなほうだった)ので、多分ここは今も誰かが参拝していると思う。
見つからなかった神様といえば、名主屋敷跡の神様も、池の沢の水源のどこかにあるという石場も見つけられなかった。何かありそうだなーと思いながらかなり時間を割いてくまなく歩き回った場所なので、あればきっと見つけられたと思う。もう廃れて自然に還ってしまったか、草に埋もれていて見えなかったのだと思う。
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かつて青ヶ島は、多くの神様が祀られた「神々の島」だったという。本土から遠く、廃仏毀釈の命令が届かず、神仏集合のまま残ったという遥かな離島。石積みの祠の上には神様も仏様も仲良く並び、独特の祭事が行われていたという。
しかし今、そこに棲む神々はほとんどが忘れ去られている。島にもテレビがあり、携帯電話があり、インターネットも出来る。現代ですら交通手段が限られている辺境の地ではあり続けるものの、時の波は着実に押し寄せているということだ。
いつかもういっぺん行くことがあったら、今度は草刈の用意でもして神様を探してみようか。それとも今回見つけた神様がまだ存在しているかどうか確かめてみようか。そんなことを思いながら、読み終わった本をソッと本棚に仕舞う。