ヌビアの神にインドからの影響がある説を追ってみた。

「ヌビアのクシュ王国は、かつてインドと交易をしていた」という説がちょこちょこ出てきて、ちょい気になったので詳細を確認してみた。調べてみると、ヌビアというのはどうもメロエ王国のことを指して言っているらしい。

ナイル上流、現在エジプトと国境を接するスーダン北部のヌビア地方では、エジプトの国力が衰えたのち、エジプトの支配下から抜け出して独自に作られたエジプトの影響を強く受けたクシュ王国が栄えた。のちに逆にエジプトに攻め入って第二十五王朝を建てることになるヌビア人王朝である。

そのクシュ王国が、首都をナパタからさらにアフリカ内陸のメロエに移したものがメロエ王国。エジプトから離れるに従い、次第にエジプト的な要素は消えてゆき、独自文化の比率が高まったいくのだが、その中で生まれた神の一柱がライオン神アパデマクだ。その神の表現形態が「インドっぽい」というのが、メロエ王国がインド文化の影響をうけた説の根拠になっているようだった。


・顔が三つ、腕が四本で表現される姿 ワディ・バン・ナカのメロエ時代の浮き彫り

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・ナガー神殿のヘビから飛び出す姿 メロエ時代の浮き彫り

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・象に乗ったナタクアマニ王 ムサラワット・エル・スフラの神殿 メロエ時代の浮き彫り

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メロエへの遷都は紀元前300年頃とされ、紀元後350年頃まで栄えた。
これらはいずれも、メロエに首都があった期間に作られたものとされている。


「埋もれた古代都市 第6巻 アフリカ古王国の秘密」の「鉄の都・メロエ」の章にて

クシュの研究では世界的に知られているフランスのベルクッテールは「クシュ文化は全体がインド的である」という表現さえしています。


という一文があることから、フランスの学者、ジャン・ヴェルクテール(Jean Vercoutter)が確実な出所の一つだということも分かった。が…そこから先が調べられない。

http://en.wikipedia.org/wiki/Jean_Vercoutter

Vercoutterがヌビアで多くの発掘を行っていることは分かるが、50年近く前の話なので、検索してすぐ見つかるような範囲には詳細な報告書などは見つからなかった。それかフランス語で検索しないと出てこないのかも。

メロエのピラミッドからの出土品の中にインドの影響がうかがえるとする記述もあったが、その出所がどこか分からない。発掘調査記録を掘り出せば出てくるかもしれない。

いずれにせよ、最近の本には出てこないことから、この説は否定されたか、根拠が薄いとして否定された可能性がある。メロエは交易国家のひとつだった。おもな輸出品は金、そして黒檀や象牙などである。ローマと交易をしていたことについては証拠があり、その交易は陸路ではなく紅海の港が使われていたようだが、紅海からメソポタミア、あるいはインド方面と繋がっていた可能性については言及が薄い。おそらく仮説どまりで明確な証拠がないのだろう。

自分も、インドについては、直接交易はおそらくしていなかっただろうと思う。やっていたとしてもアラビア半島の中継都市を経て間接交易だ。そしてメロエに王国が築かれていた時代はインダス文明は既に衰退期も終了して離散してしまっていてる。ヴェーダ神話は既に作られてはいるが、海上交易にはあまり力を入れていなかった時期だ。

というわけでまとめると

・ヌビアにインドからの影響があったとする説の根拠は、メロエ時代に作られた芸術にインドっぽく見えるものがあるから

・しかし物的証拠が乏しく証明が難しい

・この説は50年近く前に流行ったようだが、今では言及されることが少なく、その後廃れた説と思われる
(廃れた=否定された ではない。明確な証拠が出ないまま棚上げされて忘れ去られた説ともいえる)

こんな感じかな。

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