宦官のいた文明、いない文明
いま読んでる本↓これの中に「宦官 皇帝の奴隷」という章があって、ちょっと「んー?」と思ったのでメモの代わりに書いておく。
大きくページをとって、ビザンツ(東ローマ)は宦官の多い政体であったこと、宦官の役割などを述べている章だ。
宦官という文化は、この本で言われるとおり、確かにオリエントで生まれた。ただし同じオリエントでもエジプトには宦官はいなかった。こが重要ポイント。(この本の中では、「オリエント」という言い方はされてもメソポタミアとエジプトには分けられていないし、エジプトは意識されていない。)
著者は、何が宦官のいる文明といない文明を分けたのかについて章の中で、既存の説について様々な考察を行っている。
まず中国を例に挙げ、「他部族、多民族を去勢した」という説。シュメール語の宦官が去勢された家畜を意味するところから「牧畜の盛んだった地域では宦官文化が発達した」という説。キリスト教に着目して「西洋ではキリスト教が禁じたために宦官は流行らなかった」という説。それらの説の問題点を挙げて否定した上で、「宦官は専制君主国家というあり方と結びついているのではないか」と推測している。
だが、いわずもがな、その理論では、典型的な専制君主国家であったオリエントの一部、エジプトが当てはまらないのである。
メソポタミアで宦官文化が発達し、エジプトでは採用されなかった理由。それは 君主の立場が家臣におびやかされうるものかどうか という部分ではないだろうか。
エジプトの王家は血筋至上主義。王は政治と宗教の代表者で、王家出身じゃなければそもそも王権争いのレースに参加すら出来ないので、去勢なんかしなくても別に構わない。
中国皇帝もビザンツ皇帝もメソポタミアの都市国家も、専制君主制だけど「皇帝(王)には誰でもなれる」「下克上おっけー」な世界だったから、腹心は権力を狙いに来られない宦官にしておく必要があったんじゃないの。
つまり「専制君主国家」かつ「王権の基盤が弱い」という2つが必要条件なんじゃないのかなあ、ってなことを私は思うわけですよ。
どーっすかねこの案。
大きくページをとって、ビザンツ(東ローマ)は宦官の多い政体であったこと、宦官の役割などを述べている章だ。
宦官という文化は、この本で言われるとおり、確かにオリエントで生まれた。ただし同じオリエントでもエジプトには宦官はいなかった。こが重要ポイント。(この本の中では、「オリエント」という言い方はされてもメソポタミアとエジプトには分けられていないし、エジプトは意識されていない。)
著者は、何が宦官のいる文明といない文明を分けたのかについて章の中で、既存の説について様々な考察を行っている。
まず中国を例に挙げ、「他部族、多民族を去勢した」という説。シュメール語の宦官が去勢された家畜を意味するところから「牧畜の盛んだった地域では宦官文化が発達した」という説。キリスト教に着目して「西洋ではキリスト教が禁じたために宦官は流行らなかった」という説。それらの説の問題点を挙げて否定した上で、「宦官は専制君主国家というあり方と結びついているのではないか」と推測している。
だが、いわずもがな、その理論では、典型的な専制君主国家であったオリエントの一部、エジプトが当てはまらないのである。
メソポタミアで宦官文化が発達し、エジプトでは採用されなかった理由。それは 君主の立場が家臣におびやかされうるものかどうか という部分ではないだろうか。
エジプトの王家は血筋至上主義。王は政治と宗教の代表者で、王家出身じゃなければそもそも王権争いのレースに参加すら出来ないので、去勢なんかしなくても別に構わない。
中国皇帝もビザンツ皇帝もメソポタミアの都市国家も、専制君主制だけど「皇帝(王)には誰でもなれる」「下克上おっけー」な世界だったから、腹心は権力を狙いに来られない宦官にしておく必要があったんじゃないの。
つまり「専制君主国家」かつ「王権の基盤が弱い」という2つが必要条件なんじゃないのかなあ、ってなことを私は思うわけですよ。
どーっすかねこの案。