エジプト王は馬に乗ったか? セネブカイのニュースを検証してみる

2014年に見つかり、今年追加情報が出てきたエジプトの第二中間期のファラオ様、セネブカイに関するニュース。


第二中間期の王「セネブカイ」、その壮絶なる死に様が判明
https://55096962.seesaa.net/article/201502article_25.html

骨盤と大たい骨の検証から、「馬に長時間騎乗していた可能性がある」と元ソースに書かれていたのが引っ掛かっていました。第二中間期のエジプトには、少数ながら馬は入ってきていたようですが、騎乗は一般的ではありません。 そしてエジプトで騎乗が行われていた証拠がありません…

考古学者は骨の鑑定の専門知識は持たないので、おそらく形質人類学者が鑑定したんだと思いますが、その艦隊の詳細や馬に乗ってたとする根拠は見つかりませんでした。まだ正式に論文とかで発表されていないのかも。
というわけで、周辺情報から、「このニュースなんかおかしくね」というのをツッコんでみようと思います。


●エジプトには、騎乗可能な動物が複数いた

上記のような理由から、骨盤や大たい骨に見られたという、馬に乗っていたかもしれない痕跡、というのがどのようなものかが良く分からなかったのですが、不安定な乗り物に長時間またがっていたことを示す軟骨の磨り減りや損傷の跡を指しているのなら、それは馬に限定されません。

というのもエジプトからすると馬は後から入ってきた生き物で、元々ロバを使っていたからです。
そしてウマとロバは同じような用途で使われていました。

こちら大英博物館所蔵の第18王朝末期の墓内部の壁画ですが…

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上段はしっぽフサフサなのでウマと分かりますが、下段はしっぽが途中までまとまっていてウマじゃないのです。似ているのはアジアノロバ。なので下段はロバもしくはロバとウマの混血(ケッテイなど)ではないかとされています。よく見ると肩のところに模様と思われる黒いラインが入っているのも、ロバ説を裏付けています。

もし乗るんであれば、ウマより扱いやすく小型のロバのほうが乗りやすかったんじゃないか。

ちなみにギルガメッシュ叙事詩には、ロバ騎兵と思われる記述が出てきます。むしろウマの輸入前にまずロバの騎乗で練習してたと考えるほうが自然じゃないのか。ロバに乗っても骨盤は圧迫されますね、たぶん。



●エジプト最古の"騎乗"証拠

探してみたところ、第18王朝末のこの壁画が最古のようです。しかしこの壁画は乗り方が「ロバ式騎乗」と呼ばれるもので、馬の乗り方ではありませんでした。ロバは、背中のあたりがあんまり丈夫じゃないので、騎乗する場合はおしりのあたりに乗るのです。

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*サッカラ ホルエムヘブ墓 ボローニャ考古学博物館 No.1889


馬を飼育しはじめた初期は、メソポタミアでも同じ乗り方をしてます。

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馬の乗り方は、こう。背中のあたりに乗る。さすがヒッタイトは馬の扱いに慣れていた。
ただし鞍が発明されるのは紀元前後とかなり遅いため、鞍なしの状態で背中の部分に長時間乗ると出っ張った背骨が股間を圧迫して男性は大変なことに…(笑)

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この壁画から、古代エジプトでは使うならロバのほうが一般的で、ウマに乗る場合でもロバと同じように乗っていたのでは? という仮説が立てられます。



●馬具の発明されていない時代なので乗り方が違う可能性


ついでなので、現代では一般的な馬具について、それぞれの発明年代を記載しておきます。

・あぶみ 紀元後なのは間違いないがいつ頃かははっきりしない。

・鞍 紀元前1000年以降、紀元前後

・ハミ 発明年代は不明だが、紀元前1350年頃にはエジプトに伝わっている

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これらの馬具が存在しない状態で、しかもウマに対してもロバ式騎乗をしていたなら、果たして現代の騎乗で残るのと同じ痕跡が骨盤や大たい骨に残るでしょうか? つーか鞍もないのに長時間、裸馬に乗ってたら、股間がだいぶヤバいことになると思いますが… 皮製の股間サポーターとか出土したならともかくね。
そもそもの形質人類学者の鑑定が正しかったのかどうか、根拠がわからんので疑問が残ります。


(ちなみに骨から古代エジプト人の職業を鑑定しようとして思い込みで失敗してしまう…というネタは、推理小説でもうネタにされていたりします。↓以下。)

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以上を持って、私的に、セネブカイが「馬に乗っていた」とするのは推測・願望の域で、今の段階では可能性としては低いと考えます。

・動物に騎乗していたとする証拠が骨の鑑定だけだとちょっと薄い
・乗ってたとしても馬かロバか混血動物かわかんない(そして馬よりロバのほうが乗りやすい)
・馬具のない時代なので乗り方は現代と違うはずで、現代人の騎乗の痕跡と比較するのは妥当ではない

そして、セネブカイ王のくるぶしに傷があったことをもって「馬に乗っているときに攻撃されたのでは」とする考え方も、そりゃもうちょっとプロットの足りない小説だと思うんですよ。もし仮に馬に乗ってたとしても、第二中間期時点の世界にはまだサラブレッドのような大型の馬はいないので、くるぶしの位置はかなり低いとこにくるはずです。(エジプトの壁画参照) 腰を屈めないとくるぶしは狙えません。そんなトリッキーなことを考えなくても、捕虜が逃げないように腱を切ったと考えるほうが妥当ではないかと思います。

つーてもまあ、外に出てきてる情報だけからの考察なんで、今後発掘が進んで馬の骨とか馬具とか出てくればまた話は変わるんですけども。「今の段階では」ってことですね。


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ここで使った参考文献は以下の2つ

・馬の参考書は「考古美術に見る馬と人間の歴史」(馬事文化財団)

・「馬とワイン」というイベントのレジュメ
http://www.museum.pref.yamanashi.jp/3nd_event_nishiajia.htm


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追加 「古代エジプトのスポーツ」(ベースボール・マガジン社)より

ルクソール、アメン神殿西の外壁レリーフ
ラムセス2世時代(紀元前1250年ごろ)、馬に横乗りしている図

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ルーブル美術館所蔵 E25486
第25王朝のものと推定される石灰岩レリーフ、ここでようやくマトモに馬に乗っている

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