エジプト王のミイラの名前は実はあってるかどうか分からんという話
現存するエジプト王&その家族のミイラの大半は、いわゆる「ロイヤル・カシェ」と呼ばれる、再埋葬された隠し場所から出てきたものが大半だ。以下にそれぞれの隠し場所から出てきたリストを挙げる。(名前が分からないミイラや、体の一部だけしか残っていないものは省いている)
これらの名前は、既に確定しているもののように本などに書かれていることが多い。カイロ博物館でも、ミイラと名前のラベルはしっかり紐付けられており、それを疑う者はきっと少ないだろう。
――だが実はコレ、名前間違えてる可能性があるものが少なくないんである。
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●第一の隠し場(TT320)
1881年にオーギュスト・マリエットの助手だったブルクシュによって報告された。
盗掘者ラスール一家が隠していた墓で、盗掘ファミリー内の内輪もめが原因で日の目を見ることになった。
<<発見されたミイラのうち名前がついているもの>>
・イアフメス・ヘヌテミペト王女
・イアフメス・ヘヌトタメフ王妃
・イアフメス・メリトアメン王妃
・イアフメス・スィパイリ王子
・セケエンラー・タア王
・テティシェリ王妃(?)
・イアフメス1世
・イアフメス・シトアメン王女
・アメンホテプ1世
・バケト王女(?)
・イセト王妃
・ライ(家臣)
・シアメン王子
・トトメス1世
・トトメス2世
・トトメス3世
・ラメセス1世
・ラメセス2世
・セティ1世
・ラメセス3世
・ラメセス9世
・ジェドプタハイウフアンク(神官)
・ドゥアトハトホル・ヘヌタウィ(王妃)
・イセトエムカヘブ(家臣)
・マートカレ(神官)
・ネシタネベトイシェルウ(神官)
・ネスコンス王子
・ノジュメト王妃
・ピネジェム1世(テーベ神官国家)
・ピネジェム2世(テーベ神官国家)
・タユヘレト(神官)
●第二の隠し場(KV35)
1898年2月にヴィクトール・ロレが発見した、元々はアメンホテプ2世のものだった墓。
<<発見されたミイラのうち名前がついているもの>>
・サプタハ
・セティ2世
・トトメス4世
・アメンホテプ3世
・メルエンプタハ
・ラメセス4世
・ラメセス5世
・ラメセス6世
・ティイ王妃
・ウェベンセヌウ王子
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そもそも、名前をどうやって判別したかというと、棺や包帯に書かれていた名前かららしい。
だが、包帯に巻き込まれていた護符を奪うため体をバラバラにされているミイラのパーツをかき集めて包帯を巻きなおすような作業、しかも後世の再埋葬で、果たしてどこまで名前が合っているのかの保障はほとんど無い。
そもそも、再埋葬が行われたのは第21王朝のことだ。隠し場所にあったミイラは第17王朝~19王朝あたりのもので、最古のミイラの時代からすると500年近くが経過している。何度も埋葬し直されるうちに名前が取り違えられたままになってしまったミイラ、あるいは元の文字が薄れて読み違えられてしまったミイラもあるかもしれない。
ツタンカーメンのように、自分の墓から発見されたミイラの名前は確かだが、それ以外の名前は確定ではない。
調べてみると、かなりの数のミイラについて、名前があっているかの疑惑があった。いくつか挙げてみると、こんな感じである。
・トトメス1世とされたミイラ
死亡年齢が若すぎる
腕が胸の前で組まれていない(王のポーズをとっていない)
ただしミイラは丁寧に作られているため、王族の一人ではないかと推測されている
・セティ2世とされたミイラ
トトメス1世と神官文字で書いた時の誕生名が似ているため、トトメス1世ではないかという説あり
顔がトトメス2世、3世に近い
・アメンホテプ3世とされたミイラ
息子のアクエンアテンではないかとの説あり
ちなみに、セオドア・デイヴィスが見つけたKV55のミイラがアクエンアテンとされているが、それにしては「若すぎる」との疑惑から、彼の後継者スメンクカーラーではないかとする説もある。アメンホテプ3世とされているものがアクエンアテンだとすると、年齢のつじつまは合う。
・トトメス3世とされたミイラ
王のポーズで埋葬されていたことから、王であることには間違いないが、トトメス3世ではないのでは? との説あり
最初にこれを調べたときは、少なからずショックだった。というか、名前のラベルがついてたんだから間違いないだろと単純に思っていたので、再埋葬のどさくさで取り違えられてるかもしれないとは思わなかったものだ。
他のミイラについても、疑いの余地がないのかというとそういうわけではなく、単に「あまりよく調査されていないからあってんのか間違ってんのか分からん。」というのが現状のようだ。隠し場からミイラが持ち出された際の記録が少なく、元の状態が良く分からないとか、状態が悪すぎて検証が出来ないとかいう問題もある。
この状態で家系図が正しく書けるわけもなく、遺伝子解析をしたからといって正しい答えが出るわけもない。(何しろ近親婚が当たり前の世界なので…)
カイロ博物館に眠る王たちは、もしかしたら、自分の名前ではない名札を付けられて内心ツッコミたくて仕方ないのを我慢しているかもしれないのだ。
いっそナイトミュージアムで全員復活させられたら分かりやすくていいのにね、ってほんと思います。つか黄金の石版はまずカイロにもっていくべきだったろ、なぁラリー?
#ホンモノのエジプト王復活したら
#全世界のエジプト学者が集結して徹夜でインタビューですよ間違いない
#デクスターの役はマアトカレの抱いてた狒々のミイラにやってもらおう
これらの名前は、既に確定しているもののように本などに書かれていることが多い。カイロ博物館でも、ミイラと名前のラベルはしっかり紐付けられており、それを疑う者はきっと少ないだろう。
――だが実はコレ、名前間違えてる可能性があるものが少なくないんである。
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●第一の隠し場(TT320)
1881年にオーギュスト・マリエットの助手だったブルクシュによって報告された。
盗掘者ラスール一家が隠していた墓で、盗掘ファミリー内の内輪もめが原因で日の目を見ることになった。
<<発見されたミイラのうち名前がついているもの>>
・イアフメス・ヘヌテミペト王女
・イアフメス・ヘヌトタメフ王妃
・イアフメス・メリトアメン王妃
・イアフメス・スィパイリ王子
・セケエンラー・タア王
・テティシェリ王妃(?)
・イアフメス1世
・イアフメス・シトアメン王女
・アメンホテプ1世
・バケト王女(?)
・イセト王妃
・ライ(家臣)
・シアメン王子
・トトメス1世
・トトメス2世
・トトメス3世
・ラメセス1世
・ラメセス2世
・セティ1世
・ラメセス3世
・ラメセス9世
・ジェドプタハイウフアンク(神官)
・ドゥアトハトホル・ヘヌタウィ(王妃)
・イセトエムカヘブ(家臣)
・マートカレ(神官)
・ネシタネベトイシェルウ(神官)
・ネスコンス王子
・ノジュメト王妃
・ピネジェム1世(テーベ神官国家)
・ピネジェム2世(テーベ神官国家)
・タユヘレト(神官)
●第二の隠し場(KV35)
1898年2月にヴィクトール・ロレが発見した、元々はアメンホテプ2世のものだった墓。
<<発見されたミイラのうち名前がついているもの>>
・サプタハ
・セティ2世
・トトメス4世
・アメンホテプ3世
・メルエンプタハ
・ラメセス4世
・ラメセス5世
・ラメセス6世
・ティイ王妃
・ウェベンセヌウ王子
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そもそも、名前をどうやって判別したかというと、棺や包帯に書かれていた名前かららしい。
だが、包帯に巻き込まれていた護符を奪うため体をバラバラにされているミイラのパーツをかき集めて包帯を巻きなおすような作業、しかも後世の再埋葬で、果たしてどこまで名前が合っているのかの保障はほとんど無い。
そもそも、再埋葬が行われたのは第21王朝のことだ。隠し場所にあったミイラは第17王朝~19王朝あたりのもので、最古のミイラの時代からすると500年近くが経過している。何度も埋葬し直されるうちに名前が取り違えられたままになってしまったミイラ、あるいは元の文字が薄れて読み違えられてしまったミイラもあるかもしれない。
ツタンカーメンのように、自分の墓から発見されたミイラの名前は確かだが、それ以外の名前は確定ではない。
調べてみると、かなりの数のミイラについて、名前があっているかの疑惑があった。いくつか挙げてみると、こんな感じである。
・トトメス1世とされたミイラ
死亡年齢が若すぎる
腕が胸の前で組まれていない(王のポーズをとっていない)
ただしミイラは丁寧に作られているため、王族の一人ではないかと推測されている
・セティ2世とされたミイラ
トトメス1世と神官文字で書いた時の誕生名が似ているため、トトメス1世ではないかという説あり
顔がトトメス2世、3世に近い
・アメンホテプ3世とされたミイラ
息子のアクエンアテンではないかとの説あり
ちなみに、セオドア・デイヴィスが見つけたKV55のミイラがアクエンアテンとされているが、それにしては「若すぎる」との疑惑から、彼の後継者スメンクカーラーではないかとする説もある。アメンホテプ3世とされているものがアクエンアテンだとすると、年齢のつじつまは合う。
・トトメス3世とされたミイラ
王のポーズで埋葬されていたことから、王であることには間違いないが、トトメス3世ではないのでは? との説あり
最初にこれを調べたときは、少なからずショックだった。というか、名前のラベルがついてたんだから間違いないだろと単純に思っていたので、再埋葬のどさくさで取り違えられてるかもしれないとは思わなかったものだ。
他のミイラについても、疑いの余地がないのかというとそういうわけではなく、単に「あまりよく調査されていないからあってんのか間違ってんのか分からん。」というのが現状のようだ。隠し場からミイラが持ち出された際の記録が少なく、元の状態が良く分からないとか、状態が悪すぎて検証が出来ないとかいう問題もある。
この状態で家系図が正しく書けるわけもなく、遺伝子解析をしたからといって正しい答えが出るわけもない。(何しろ近親婚が当たり前の世界なので…)
カイロ博物館に眠る王たちは、もしかしたら、自分の名前ではない名札を付けられて内心ツッコミたくて仕方ないのを我慢しているかもしれないのだ。
いっそナイトミュージアムで全員復活させられたら分かりやすくていいのにね、ってほんと思います。つか黄金の石版はまずカイロにもっていくべきだったろ、なぁラリー?
#ホンモノのエジプト王復活したら
#全世界のエジプト学者が集結して徹夜でインタビューですよ間違いない
#デクスターの役はマアトカレの抱いてた狒々のミイラにやってもらおう