「世間一般はxxである」 ←こういう感じのフレーズを使うことに違和感を覚えないとOUT
まあ何でもいいんですが、例えば
「日本人の大半は英語が出来ない」
みたいなもんです。
前半部分に「世の中の大半は~」でも「この世界は~」でも「若者は~」でも「地方民は~」でもいい。とにかく範囲のザックリとした不特定多数が前に来るフレーズ全般について。
このフレーズ、自分が言いたいことの論拠として違和感を持たずに使っている自称評論家、コメンテーター、あるいは大学の先生方は、残念ながら自分が何を言ってるのかよく分かってない可能性が高い。というのも、それを使うのは、論拠はありませんと言っているのと同じことだからだ。これは理論を組み立てる上で、決して使ってはならないフレーズなのだ。
*統計学とかやった人は既に私なんかよりよくよく知っている話だろうからテケトーに飛ばしてください。
例としてあげた
「日本人の大半は英語が出来ない」
ということを根拠をもって「正」としたい場合には、2つのステップが必要だ。
(1) 英語が出来ない の基準を決める
(2) 日本人の大半がその基準に適合することを証明する
まず(1)について、たとえばTOEICの点数をもって「出来ない」と評することにしよう。ためしにTOEICの点数の目安を見てみると、"TOEICスコア 400~495で看板を見てどんな店か、どういったサービスを提供する店かを理解することができる"という。しかし上のグラフを見ると新入社員の平均点が514点もある。これは簡単な英会話が出来るレベルだ。「出来ない」=ロクに会話も出来ない だとすると、まず「日本人の大半は英語が出来ない」という結論が間違えているのではないかと思いたくもなる。
しかし、受験にくる人はたいてい英語に興味がある人たちなので、もともと世の中の平均より点数が高いのかもしれない。
というわけで、「英語が出来ない」の基準を、会話もロクに出来ないTOEIC500点以と線を引くことに決め、次に成すべきは、(2)のために、TOEICなんて受験しようとも思わないような一般人を網羅した結果の平均値を出すことである。その平均値が500点より低ければ、「日本人の大半は英語が出来ない」という根拠になる。
これはサンプリング調査というものになるが、「日本人の大半」というからには、老若男女にバランスよく偏りなくサンプルをとることが必要となる。(現役東大生20人の平均値と、定年退職したおじーちゃんおばーちゃんのゲートボールクラブ20人の平均値がだいぶ違うだろうなんてのは、まぁ誰だって思いつく話である。)
たとえ基準値(ここでいうTOEIC500点)が妥当だったとしても、サンプリングが偏っていては調査の意味は全くないのだ。そして数が少なすぎると「たまたま」突出した集団を選出してしまったという可能性を排除できないので、十分にサンプル数を多くする必要がある。「日本人の大半」という結論に信憑性を与えるには、最低1000人くらいはサンプル数が欲しいところだ。(*ここは本当は必要数を計算する式があるのだが、面倒なので省く)
というわけで、超ザックリだが方法を決めてみた。
(1) TOEIC 500点以下
(2) 20才~60才の日本人について、10才単位で男女100人ずつ各200人、合計1200人を対象とする
居住地は北海道から沖縄までランダムとし、同一の大学からは選ばない
職業もシャッフル
(2)の被験者に対してTOEICを受けてもらい、点数が(1)の基準値に満たない人数が全体の50パーセント以上(過半数)を越えていた場合、「日本人の大半は英語が出来ない」という仮説を正とする。
ここまでやらないと、 「日本人の大半は英語が出来ない」 とは言えないんです。
こんくらいやらないと根拠は出来ないんです。それ以外は"ふわっとした"根拠のない、ただの「俺の考えた世界」であって、↓このコに勝つことは出来ないのです!!
**********
以上、とっても長くなってしまったが、社会心理学(実体は統計学)なんかをやってる大学生なら一回生の必修講義でやってるような基礎の基礎をテケトーに書き流してみた。
世の中には、こうした根拠のない「世の中はみんなそう言ってる」的なフレーズが多数使われている。
「近頃の若者はつながりを知らない」
「日本は世界から孤立している」
「世の中の大半は…」
etc.
だけど、 それは、本当に根拠のある説ですか?
これまでに書いたような検証の前段を踏んで根拠をもって言ってるならよかろう。しかし実際は全然そうじゃない。
論説の前提条件あるいは必須条件として固定されているものに根拠がないとかいうのは、本当ならあり得ない。脳内にしかないものを前提として後の説を組み立てられても そんなもんに 意 味 は ね ぇ、という当たり前のお話である。
自分の言おうとしていることがハッキリわかっているのなら、こんな根拠のないフレーズは使わない。
そして人間は面白いもので、言いたいことの根拠が薄ければ薄いほど、確信を持った文言を使いたがるという傾向がある。根拠をたくさん持ってる学者ほど言説はあやふやで、イマイチよく分かってないか、ちょっと齧った程度のクソ生意気な一般人のほうが断定形を使いやすい。私もそうだが(笑
「世の中の常識はこれこれだ」「世界的にこうなのだ」のように、範囲のよく分からない言い方で言いくるめようとする言い方の裏側には、「言ってることに大した根拠なんてないけど根拠あるように見せちゃうぜ」という心理が隠れているものなのだ。
大学教授が「私が今までに担当してきた授業の生徒は、海外研修で自由に英会話が出来なかった」と言ったなら、根拠も範囲もハッキリしているので問題ない。
コメンテーターが「今まで私が海外旅行中に見てきた日本人たちは、いつも英語が喋れず四苦八苦していた」でも、だいぶ怪しい感じにはなるが、個人的な意見だなと分かるのでまぁOKだろう。
「日本人の大半は英語が出来ない」 ←根拠はないけど断定、これがOUT。
根拠がないか、あっても妥当性の低いものである場合には、「日本人の大半は英語が出来ないのではないかと思う」あるいは「日本人の大半は英語が出来ない可能性がある」というような言い方が妥当なのだ。根拠が薄いのだから断定してはいけない。また、薄い根拠の上に組み立てられた理論は、砂上の楼閣なので全く意味がない。
というわけで、よい子の学生諸君は、このテのフレーズを多用する先生の マネをしないようにねっ★
*******
ついでだが、このテの、不特定多数に向けられたフレーズは、たいてい後半がネガティヴな内容になっており、多くの場合、発言者は前半の不特定多数に含まれないという実に興味深い特徴がある。
「日本は世界から孤立している」
というとき、発言者だけは孤立していないことになっている。
「県民の大半が原発の恐ろしさを知らない」
というとき、発言者だけは知っているということになっている。
脳内の世界では自分が勇者になっていて、哀れな多くの人々をなんかこう救っちゃってるみたいなアレなんですかね。他人を下げて自分だけ上げようとしてるみたいなノリ? よくわかんないけど、たぶんそういうのが「脳内お花畑」とかバカにされる所以じゃねーのかな。花は現実に植えたほうがきれいだと思うよ。(はなほじ
「日本人の大半は英語が出来ない」
みたいなもんです。
前半部分に「世の中の大半は~」でも「この世界は~」でも「若者は~」でも「地方民は~」でもいい。とにかく範囲のザックリとした不特定多数が前に来るフレーズ全般について。
このフレーズ、自分が言いたいことの論拠として違和感を持たずに使っている自称評論家、コメンテーター、あるいは大学の先生方は、残念ながら自分が何を言ってるのかよく分かってない可能性が高い。というのも、それを使うのは、論拠はありませんと言っているのと同じことだからだ。これは理論を組み立てる上で、決して使ってはならないフレーズなのだ。
*統計学とかやった人は既に私なんかよりよくよく知っている話だろうからテケトーに飛ばしてください。
例としてあげた
「日本人の大半は英語が出来ない」
ということを根拠をもって「正」としたい場合には、2つのステップが必要だ。
(1) 英語が出来ない の基準を決める
(2) 日本人の大半がその基準に適合することを証明する
まず(1)について、たとえばTOEICの点数をもって「出来ない」と評することにしよう。ためしにTOEICの点数の目安を見てみると、"TOEICスコア 400~495で看板を見てどんな店か、どういったサービスを提供する店かを理解することができる"という。しかし上のグラフを見ると新入社員の平均点が514点もある。これは簡単な英会話が出来るレベルだ。「出来ない」=ロクに会話も出来ない だとすると、まず「日本人の大半は英語が出来ない」という結論が間違えているのではないかと思いたくもなる。
しかし、受験にくる人はたいてい英語に興味がある人たちなので、もともと世の中の平均より点数が高いのかもしれない。
というわけで、「英語が出来ない」の基準を、会話もロクに出来ないTOEIC500点以と線を引くことに決め、次に成すべきは、(2)のために、TOEICなんて受験しようとも思わないような一般人を網羅した結果の平均値を出すことである。その平均値が500点より低ければ、「日本人の大半は英語が出来ない」という根拠になる。
これはサンプリング調査というものになるが、「日本人の大半」というからには、老若男女にバランスよく偏りなくサンプルをとることが必要となる。(現役東大生20人の平均値と、定年退職したおじーちゃんおばーちゃんのゲートボールクラブ20人の平均値がだいぶ違うだろうなんてのは、まぁ誰だって思いつく話である。)
たとえ基準値(ここでいうTOEIC500点)が妥当だったとしても、サンプリングが偏っていては調査の意味は全くないのだ。そして数が少なすぎると「たまたま」突出した集団を選出してしまったという可能性を排除できないので、十分にサンプル数を多くする必要がある。「日本人の大半」という結論に信憑性を与えるには、最低1000人くらいはサンプル数が欲しいところだ。(*ここは本当は必要数を計算する式があるのだが、面倒なので省く)
というわけで、超ザックリだが方法を決めてみた。
(1) TOEIC 500点以下
(2) 20才~60才の日本人について、10才単位で男女100人ずつ各200人、合計1200人を対象とする
居住地は北海道から沖縄までランダムとし、同一の大学からは選ばない
職業もシャッフル
(2)の被験者に対してTOEICを受けてもらい、点数が(1)の基準値に満たない人数が全体の50パーセント以上(過半数)を越えていた場合、「日本人の大半は英語が出来ない」という仮説を正とする。
ここまでやらないと、 「日本人の大半は英語が出来ない」 とは言えないんです。
こんくらいやらないと根拠は出来ないんです。それ以外は"ふわっとした"根拠のない、ただの「俺の考えた世界」であって、↓このコに勝つことは出来ないのです!!
**********
以上、とっても長くなってしまったが、社会心理学(実体は統計学)なんかをやってる大学生なら一回生の必修講義でやってるような基礎の基礎をテケトーに書き流してみた。
世の中には、こうした根拠のない「世の中はみんなそう言ってる」的なフレーズが多数使われている。
「近頃の若者はつながりを知らない」
「日本は世界から孤立している」
「世の中の大半は…」
etc.
だけど、 それは、本当に根拠のある説ですか?
これまでに書いたような検証の前段を踏んで根拠をもって言ってるならよかろう。しかし実際は全然そうじゃない。
論説の前提条件あるいは必須条件として固定されているものに根拠がないとかいうのは、本当ならあり得ない。脳内にしかないものを前提として後の説を組み立てられても そんなもんに 意 味 は ね ぇ、という当たり前のお話である。
自分の言おうとしていることがハッキリわかっているのなら、こんな根拠のないフレーズは使わない。
そして人間は面白いもので、言いたいことの根拠が薄ければ薄いほど、確信を持った文言を使いたがるという傾向がある。根拠をたくさん持ってる学者ほど言説はあやふやで、イマイチよく分かってないか、ちょっと齧った程度のクソ生意気な一般人のほうが断定形を使いやすい。
「世の中の常識はこれこれだ」「世界的にこうなのだ」のように、範囲のよく分からない言い方で言いくるめようとする言い方の裏側には、「言ってることに大した根拠なんてないけど根拠あるように見せちゃうぜ」という心理が隠れているものなのだ。
大学教授が「私が今までに担当してきた授業の生徒は、海外研修で自由に英会話が出来なかった」と言ったなら、根拠も範囲もハッキリしているので問題ない。
コメンテーターが「今まで私が海外旅行中に見てきた日本人たちは、いつも英語が喋れず四苦八苦していた」でも、だいぶ怪しい感じにはなるが、個人的な意見だなと分かるのでまぁOKだろう。
「日本人の大半は英語が出来ない」 ←根拠はないけど断定、これがOUT。
根拠がないか、あっても妥当性の低いものである場合には、「日本人の大半は英語が出来ないのではないかと思う」あるいは「日本人の大半は英語が出来ない可能性がある」というような言い方が妥当なのだ。根拠が薄いのだから断定してはいけない。また、薄い根拠の上に組み立てられた理論は、砂上の楼閣なので全く意味がない。
というわけで、よい子の学生諸君は、このテのフレーズを多用する先生の マネをしないようにねっ★
*******
ついでだが、このテの、不特定多数に向けられたフレーズは、たいてい後半がネガティヴな内容になっており、多くの場合、発言者は前半の不特定多数に含まれないという実に興味深い特徴がある。
「日本は世界から孤立している」
というとき、発言者だけは孤立していないことになっている。
「県民の大半が原発の恐ろしさを知らない」
というとき、発言者だけは知っているということになっている。
脳内の世界では自分が勇者になっていて、哀れな多くの人々をなんかこう救っちゃってるみたいなアレなんですかね。他人を下げて自分だけ上げようとしてるみたいなノリ? よくわかんないけど、たぶんそういうのが「脳内お花畑」とかバカにされる所以じゃねーのかな。花は現実に植えたほうがきれいだと思うよ。(はなほじ
