ハイビスカスの名前の由来の謎/存在しないエジプトの神「ヒビス」「イビス」の正体
結論から言おう。
ハイビスカスの学名「Hibiscus」はエジプトの神とは全く関係ない。本来の語源は不明。語源を推測しているうちに、推測がいつのまにか「伝言ゲーム」によって確定事項となっていった、日本国内での勘違いの最終形態だった。
この疑問を最初に抱いたのは2009年。
https://55096962.seesaa.net/article/200907article_5.html
日本語のウェブサイトで、たまたま「ハイビスカスの学名Hibiscosとはエジプトの美の女神Hibisに由来する」という珍妙な説を見つけたのが発端だ。
しかし、動かせない現実として、エジプトの女神に「ヒビス」という神は存在しない。
古代エジプト時代~ヘレニズム時代まで含め、エジプト語、ギリシャ語、ラテン語、さらに周辺諸国の言語まで含めても、類似する名称の神は男神でも女神でも全く居ないのである。人物名やー地名まで含めても無い。かろうじて似ているのが西方砂漠のヒビス神殿だが、ここはアメン神の神殿で、さらに沙漠の中のオアシスに寄り添うように建てられた比較的新しい神殿なので花の名前に使われるとは考えられない。
その時は、韓国語のサイトが軒並み「ヒビスというエジプトの女神」という話をしていたので、韓国系サイトから始まった誤解なのだと思っていたのだが、改めて調べてみると、日本の書籍でも勘違いしているものが見つかった。
そこで、そもそもこの勘違いは何処からどうやって、いつ始まったのかを調べなおしてみた。
●正解を載せていた本
以下の本では、名前の由来はゼニアオイ類のギリシャ語およびラテン語に由来する、と記載している。
色と咲く順でわかる花の名前事典
長岡求
永岡書店
(2007年出版)
書き方がアバウトじゃないのかと思われそうだが、実は後述するようにこれが正解。
元々古代ギリシャの学者がタチアオイに名づけた名前が、ラテン語に翻訳されて、18世紀にスウェーデンの植物学者リンネによってフヨウ属(ハイビスカスが属する)の名前に転用されたのが由来なのだ。
リンネが1753年に「Hibiscus rosa-sinensis」と名づけた元々の種は八重咲きのものだった、ともう少し経緯を詳しく書いているのがこちらの本。
NHK趣味の園芸 よくわかる栽培12か月 ハイビスカス
小川恭弘
NHK出版
(2014年出版)
最も詳しかったのがこちらの本だ。
講談社園芸大百科事典 フルール第五巻 夏の花Ⅰ
講談社
(1980年出版)
古い本が正解なのは勿論のこと、最近の本でも間違えていないものは多い。
というか、植物学系の本(図書館で持ち出し禁止になっているような専門書など)は、当たり前だが、正しい経緯を載せている。どうもこっち方面じゃないなということで、一般書店を探してみた。すると…
●間違いを載せていた本
一般人が手にとりそうな本を探してみたところ、「ハイビスカスの名前はエジプトの美の女神ヒビスに由来する」とドンピシャな勘違いを記載していた本が見つかった。以下の本だ。
花の名前 花ことば花データ由来がわかる
浜田豊
日東書院
(2003年出版)
なんと出所は花言葉系の本だったのだ。
ここから参考書を辿っていくと、予想外の人物にたどり着いた。「植物名の由来」などの著書を出している中村浩氏である。
園芸植物名の由来
中村浩
東京書籍
(1998年出版)
まさか名前の由来を細かく説明している学者の本が間違っているとは思わなかったのだろう。これをソースとして使った後の本は、軒並み間違うことになってしまった。
そして、この本では「このエジプトの神はおそらく美しい女神であろう。」と推測で書かれている部分が、後の本では何故か確定事項に、しかも「エジプトの美の女神であった」と変化してしまっているのである。なんでやねん。
●たねあかし 本当の「ハイビスカスの名前の由来」
では、順を追って種明かしをしていこう。
ハイビスカスという単語はもともと、古代ギリシャ語で「ibiscos」 ἱβίσκος と呼ばれていた。名付け親はペダニウス・ディオスコリデス、紀元後1世紀の植物学者である。
Pedanius Dioscorides
https://en.wikipedia.org/wiki/Pedanius_Dioscorides
そして、もともとこの名前は、タチアオイに与えられた名称だった。
ディオスコリデスの本はラテン語、アラビア語などに翻訳されて後世にも使われていく。
「ibiscos」がラテン語に翻訳されたものが「hibiscos」 hibískos 。
そして巡り廻って18世紀、大航海時代を経てヨーロッパに世界各地の珍しい動植物が持ち帰られるようになり、それらに新たに名称がつけられる時代になって、インドまたは中国から、八重咲きの、「Hibiscos」によく似た花が持ち込まれた。
中国から持ち込まれたものと考えて、植物学者リンネがつけた学名が「Hibiscus rosa-sinensis」。
ちなみにリンネが1753年に出版した命名の本というのがこれ。
https://books.google.co.jp/books?id=JlM9Etl1blgC&pg=PA981&lpg=PA981&dq=caroli+linnaei+species+plantarum+hibiscus&source=bl&ots=GfxFnhDW4f&sig=F5wFlc4QLBwg6qBJJDnMKPes7DI&hl=en&sa=X&oi=book_result&ct=result#v=onepage&q&f=false
何書いてんだかサッパリサッパリだが、…とりあえずハイビスカスに関する記述は975ページ以降だ。
ただし、この時の「Hibiscus」は、先に挙げた「講談社園芸大百科事典」で言われているように、八重咲きでバラのような形状をしたものである。「Hibiscus」の名前の元祖であるディオスコリデスの見ていたフヨウ属の花とは、同じ属ではあるが別物だ。
実際の花の形状や分布は以下のサイトに詳しい。Hibiscusの仲間は赤道沿いに世界各地に分布しており、どこが本来の原産地だったのかは既に分からなくなっている。長年に渡り人為的に交配され、人の移動とともに広められてしまったのも原産地が不明になっている原因のようだ。(ハワイのものだけは経路がある程度分かっているようだが…。)
http://www.hiddenvalleyhibiscus.com/history/earlyhistory.htm
まとめると、
ここから、ギリシャ語でイビスはトキのことだから、トキに関連する意味なのではないかと推測した人がいたのではないかと思う。(ここの部分は日本語文献では見つからなかった。出所は外国語文献なのかもしれない)
ibisイビス=トキがエジプトでは知恵の神トト(男性)の象徴であったのは事実ではあるが、おそらく名前の由来としては関係ないだろう。なんせ元がエジプトの花じゃないし。万が一本当にイビス=トキが名前の由来だったとしても、それをエジプトと結びつける要素はないし、そもそもイビスは神の名前ではなく神を象徴する動物の一般名だ。
で、ギリシャ語のibisが神ならば、ラテン語化したhibisの部分も神のはずだということで「hibis=エジプトの神(の象徴)」と飛躍した説を拾ってしまったのが、中村浩氏の「園芸植物名の由来」なのだと推測する。
あとはご覧のとおり、「花の名前になる神様なら美しい女神だろう」という推測が、いつのまにか「美の女神である(確定)」へと変化して、今に至るわけである。
ただし探した範囲の中で、誤った説を記載しているのは花言葉に関する書籍だけだった。
園芸本、植物学の本は、しっかり元ソースに当たっているのだろう、リンネが学名をつけたこと、元がギリシア語であることなど正しく記載している。調べた範囲では、民間の俗説ともいうべき「エジプトの神」に言及しているものは全く見つからず。
今回の調査があってれば、海外文献での勘違いは、あるとしても「トキはエジプトでは神として扱われる」という部分までで、「エジプトの美の女神」という勘違いは、花言葉の本という狭いジャンル内での、純粋な日本国内での伝言ゲーム失敗の結果のはずである。
なぜ韓国系のサイトまで軒並み日本と同じ間違いをしているのかは謎だが、…まあなんだ、調べるのめんどくさいからググってコピったのかもしれないね。(適当)
******
というわけで、繰り返しになるが
ハイビスカスの名前の由来はエジプトの神ではない。
名前の由来は不明だが、元々のソースにはどこにもエジプトとか神とか出てこない。
「ヒビス」または「イビス」などという美の女神は何処にもいないのでご了承下さい。
どうでもいいですが、これ調べるためにハイビスカスの本を読み漁っていたらハイビスカスの交配が難しいこととか越冬の仕方とか雑学が増えまくりました。なんでも追求すると面白いもんですね。
ハイビスカスの学名「Hibiscus」はエジプトの神とは全く関係ない。本来の語源は不明。語源を推測しているうちに、推測がいつのまにか「伝言ゲーム」によって確定事項となっていった、日本国内での勘違いの最終形態だった。
この疑問を最初に抱いたのは2009年。
https://55096962.seesaa.net/article/200907article_5.html
日本語のウェブサイトで、たまたま「ハイビスカスの学名Hibiscosとはエジプトの美の女神Hibisに由来する」という珍妙な説を見つけたのが発端だ。
しかし、動かせない現実として、エジプトの女神に「ヒビス」という神は存在しない。
古代エジプト時代~ヘレニズム時代まで含め、エジプト語、ギリシャ語、ラテン語、さらに周辺諸国の言語まで含めても、類似する名称の神は男神でも女神でも全く居ないのである。人物名やー地名まで含めても無い。かろうじて似ているのが西方砂漠のヒビス神殿だが、ここはアメン神の神殿で、さらに沙漠の中のオアシスに寄り添うように建てられた比較的新しい神殿なので花の名前に使われるとは考えられない。
その時は、韓国語のサイトが軒並み「ヒビスというエジプトの女神」という話をしていたので、韓国系サイトから始まった誤解なのだと思っていたのだが、改めて調べてみると、日本の書籍でも勘違いしているものが見つかった。
そこで、そもそもこの勘違いは何処からどうやって、いつ始まったのかを調べなおしてみた。
●正解を載せていた本
以下の本では、名前の由来はゼニアオイ類のギリシャ語およびラテン語に由来する、と記載している。
色と咲く順でわかる花の名前事典
長岡求
永岡書店
(2007年出版)
書き方がアバウトじゃないのかと思われそうだが、実は後述するようにこれが正解。
元々古代ギリシャの学者がタチアオイに名づけた名前が、ラテン語に翻訳されて、18世紀にスウェーデンの植物学者リンネによってフヨウ属(ハイビスカスが属する)の名前に転用されたのが由来なのだ。
リンネが1753年に「Hibiscus rosa-sinensis」と名づけた元々の種は八重咲きのものだった、ともう少し経緯を詳しく書いているのがこちらの本。
NHK趣味の園芸 よくわかる栽培12か月 ハイビスカス
小川恭弘
NHK出版
(2014年出版)
最も詳しかったのがこちらの本だ。
"1753年にリンネがH・ローザシネンシスとしたものは、八重の赤い花であったが、中国では1500年代に既に栽培されていたといわれ、インドにもブッソウゲを指す古い言葉が少なくないことから、古くから栽培されていたと推測されるが、原産地はまだ明らかではない。一説には中国南部を原産地とするが、それは名の種小名rosa-sinensis、即ち<中国のバラ>という言葉が、中国原産の印象を強めたためと思われる。
ローザシネンシスという言葉は、リンネが命名する以前に他の学者がフヨウにもブッソウゲにも、その名の一部に用いており、リンネはそれをブッソウゲの名に用いたようである。元来八重につけられた名が、いつごろから一重の花にあてられたのかはよくはわからないが、1972年にイギリスのカーチス。ボタニカル・マガジンの第158図に赤い一重の花が、チャイナ・ローズの名を添えて載せられている。"
講談社園芸大百科事典 フルール第五巻 夏の花Ⅰ
講談社
(1980年出版)
古い本が正解なのは勿論のこと、最近の本でも間違えていないものは多い。
というか、植物学系の本(図書館で持ち出し禁止になっているような専門書など)は、当たり前だが、正しい経緯を載せている。どうもこっち方面じゃないなということで、一般書店を探してみた。すると…
●間違いを載せていた本
一般人が手にとりそうな本を探してみたところ、「ハイビスカスの名前はエジプトの美の女神ヒビスに由来する」とドンピシャな勘違いを記載していた本が見つかった。以下の本だ。
花の名前 花ことば花データ由来がわかる
浜田豊
日東書院
(2003年出版)
なんと出所は花言葉系の本だったのだ。
ここから参考書を辿っていくと、予想外の人物にたどり着いた。「植物名の由来」などの著書を出している中村浩氏である。
"ふつうハイビスカスと呼ばれている花は中国原産で沖縄やハワイなどに多く見られるが、学名をヒビスクス・ローザ=シネンシス(Hibiscus rosa-sinensis)という。リンネの命名による。ヒビスクスという属名は、"エジプトの神イビスのような"という意味で、このエジプトの神はおそらく美しい女神であろう。種名のローザ=シネンシスは"中国のバラ"という意味である。"
園芸植物名の由来
中村浩
東京書籍
(1998年出版)
まさか名前の由来を細かく説明している学者の本が間違っているとは思わなかったのだろう。これをソースとして使った後の本は、軒並み間違うことになってしまった。
そして、この本では「このエジプトの神はおそらく美しい女神であろう。」と推測で書かれている部分が、後の本では何故か確定事項に、しかも「エジプトの美の女神であった」と変化してしまっているのである。なんでやねん。
●たねあかし 本当の「ハイビスカスの名前の由来」
では、順を追って種明かしをしていこう。
ハイビスカスという単語はもともと、古代ギリシャ語で「ibiscos」 ἱβίσκος と呼ばれていた。名付け親はペダニウス・ディオスコリデス、紀元後1世紀の植物学者である。
Pedanius Dioscorides
https://en.wikipedia.org/wiki/Pedanius_Dioscorides
そして、もともとこの名前は、タチアオイに与えられた名称だった。
ディオスコリデスの本はラテン語、アラビア語などに翻訳されて後世にも使われていく。
「ibiscos」がラテン語に翻訳されたものが「hibiscos」 hibískos 。
そして巡り廻って18世紀、大航海時代を経てヨーロッパに世界各地の珍しい動植物が持ち帰られるようになり、それらに新たに名称がつけられる時代になって、インドまたは中国から、八重咲きの、「Hibiscos」によく似た花が持ち込まれた。
中国から持ち込まれたものと考えて、植物学者リンネがつけた学名が「Hibiscus rosa-sinensis」。
ちなみにリンネが1753年に出版した命名の本というのがこれ。
https://books.google.co.jp/books?id=JlM9Etl1blgC&pg=PA981&lpg=PA981&dq=caroli+linnaei+species+plantarum+hibiscus&source=bl&ots=GfxFnhDW4f&sig=F5wFlc4QLBwg6qBJJDnMKPes7DI&hl=en&sa=X&oi=book_result&ct=result#v=onepage&q&f=false
何書いてんだかサッパリサッパリだが、…とりあえずハイビスカスに関する記述は975ページ以降だ。
ただし、この時の「Hibiscus」は、先に挙げた「講談社園芸大百科事典」で言われているように、八重咲きでバラのような形状をしたものである。「Hibiscus」の名前の元祖であるディオスコリデスの見ていたフヨウ属の花とは、同じ属ではあるが別物だ。
実際の花の形状や分布は以下のサイトに詳しい。Hibiscusの仲間は赤道沿いに世界各地に分布しており、どこが本来の原産地だったのかは既に分からなくなっている。長年に渡り人為的に交配され、人の移動とともに広められてしまったのも原産地が不明になっている原因のようだ。(ハワイのものだけは経路がある程度分かっているようだが…。)
http://www.hiddenvalleyhibiscus.com/history/earlyhistory.htm
まとめると、
「ibiscos」(古代ギリシャ語)
↓
「hibiskos」(ラテン語)
↓
「Hibiscus」(現在の学名)
そして大元の「ibiscos」の意味は不明。
ここから、ギリシャ語でイビスはトキのことだから、トキに関連する意味なのではないかと推測した人がいたのではないかと思う。(ここの部分は日本語文献では見つからなかった。出所は外国語文献なのかもしれない)
ibisイビス=トキがエジプトでは知恵の神トト(男性)の象徴であったのは事実ではあるが、おそらく名前の由来としては関係ないだろう。なんせ元がエジプトの花じゃないし。万が一本当にイビス=トキが名前の由来だったとしても、それをエジプトと結びつける要素はないし、そもそもイビスは神の名前ではなく神を象徴する動物の一般名だ。
で、ギリシャ語のibisが神ならば、ラテン語化したhibisの部分も神のはずだということで「hibis=エジプトの神(の象徴)」と飛躍した説を拾ってしまったのが、中村浩氏の「園芸植物名の由来」なのだと推測する。
あとはご覧のとおり、「花の名前になる神様なら美しい女神だろう」という推測が、いつのまにか「美の女神である(確定)」へと変化して、今に至るわけである。
ただし探した範囲の中で、誤った説を記載しているのは花言葉に関する書籍だけだった。
園芸本、植物学の本は、しっかり元ソースに当たっているのだろう、リンネが学名をつけたこと、元がギリシア語であることなど正しく記載している。調べた範囲では、民間の俗説ともいうべき「エジプトの神」に言及しているものは全く見つからず。
今回の調査があってれば、海外文献での勘違いは、あるとしても「トキはエジプトでは神として扱われる」という部分までで、「エジプトの美の女神」という勘違いは、花言葉の本という狭いジャンル内での、純粋な日本国内での伝言ゲーム失敗の結果のはずである。
なぜ韓国系のサイトまで軒並み日本と同じ間違いをしているのかは謎だが、…まあなんだ、調べるのめんどくさいからググってコピったのかもしれないね。(適当)
******
というわけで、繰り返しになるが
ハイビスカスの名前の由来はエジプトの神ではない。
名前の由来は不明だが、元々のソースにはどこにもエジプトとか神とか出てこない。
「ヒビス」または「イビス」などという美の女神は何処にもいないのでご了承下さい。
どうでもいいですが、これ調べるためにハイビスカスの本を読み漁っていたらハイビスカスの交配が難しいこととか越冬の仕方とか雑学が増えまくりました。なんでも追求すると面白いもんですね。