「ナイルの増水する時期は農閑期。農民はピラミッドを作ってた」という説に異議を唱えてみる
よく言われる表題の説、これは本当に本当なの? って話を今日はしてみたい。
というか、いつの間にか世の中の常識みたいに言われるようになってるけど、これ実はピラミッド作ってた時代の一時ソースで確固たる証拠があるわけじゃないんだよ。期間限定のパートタイマーさんやアルバイターも多分いたんだろうけど、私が思うにそれは「輪番」とかであって、ナイルの増水シーズンに労働者が急激に増えるというイメージは間違っているんじゃないかと思う。
その理由を挙げてみたい。
●ナイルの増水は真夏に起こる
まずここ。古代のナイルの増水は、だいたい7月半ば頃から始まって9月末ごろまで続いた、とされている。
水位がじわじわ上がっていき、一定量まで達したあと、またじわじわと引いていく数ヶ月サイクルの増水だ。
最大水位に達するのは8月末から9月。古代エジプトの歴史は長く、果たしてピラミッドが作られていた4,500年前も全く同じサイクルだったかどうかは分からないが、ズレても1ヶ月くらいかなと思う。
問題は、この時期が一年で最も暑い季節だということだ。
確かに畑は水に浸かっていて、麦作自体はお休みとなる。しかしこの真夏の炎天下に、ピラミッド建設などという重労働をするために農民がバイトしに行くことがあり得るだろうか? 現代エジプト人は真夏の真昼間は道路工事をせず、夜中の涼しい時間帯に回していたりする。そもそも考古学者ですら、暑い時期は昼間に発掘をせず日の出とともに現場にいって昼には引き上げているくらいだ(笑)
人間の耐熱性なんて古代人だろうが現代人だろうが変わりはしない。夏場に日陰もない工事現場で石を積み上げるなんて、熱射病で死人が出るんじゃないか。非効率だ。あまりにも非効率だ。どうせやらねばならないのなら、重労働は涼しいときにやるに限る。
●最も忙しいシーズンは"作付け"と"収穫"
農業やってる人なら分かるだろう。穀物の栽培で一番忙しいのは作付けと収穫だ。
実家が農家の人は、ゴールデンウィークに実家で田植えを手伝い、秋はコンバインを運転しに行く。機械化された現代ですら一族総出の大作業である。古代エジプト人でも同じだったことは間違いない。農民が期間限定でピラミッド建設に従事していたというのなら、この2つのイベントは絶対に外さなければならない。
現代のエジプトの小麦作付けカレンダーを探してみた。
https://www.rakuten-sec.co.jp/ITS/village_report/commodity/20131010.pdf
現代は作付けが9-10月、収穫が4-6月となっている。まさにナイルの増水シーズンを外した冬小麦サイクルだ。古代の作付けもあまり変わらなかったと思う。幅があるのは、畑の場所によって作付けの時期がズレるからだろう。古代ならば、ナイルの水はじわじわひいていくので、引いた場所から種を撒いていたはずだ。すると収穫時期も少しずつズラせるようになる。
さて麦は収穫してもそのままでは使えない。刈り取ったものを乾燥させ、脱穀し、穀倉に収める必要がある。もちろん手作業だ。収穫の終了から、穀倉に収める作業の完了まで、一体どのくらいかかっただろう。最後の収穫から1ヶ月で全ての後始末が完了したとすれば7月である。ちなみに現代の日本の農業スケジュールだと麦穂の天然乾燥には二週間を要する。9月には次の種まきが始まり、その下準備もしなければならないのだから、「農閑期」は実質、8月の一ヶ月しかない。
こんな短い期間だけ「臨時雇い」の労働力としてピラミッド建造に関わったとして、いったいぜんたい意味があるのか。
いないよりはマシだろうが、出来るのは単純作業くらいではないのか。通年で動いている生産ラインに突然大量の"初心者"が入り込んできたら、ラインが乱れて生産力は逆に落ちる。
ナイルの増水シーズンに農民が手伝いに行った、という説は、実作業を考えずに机上だけで考えた空論のように思われてくる。
●「農閑期」が麦のサイクルしか考慮していない
もう一つ前から気になっているのが、「農閑期」という言葉の中に麦作しか含まれないことである。
古代エジプト人は他の作物だって当然作っていた。でなきゃ野菜が食べられない。
たとえばスイカ。夏野菜である。夏野菜ということは夏に収穫している。日本での栽培カレンダーでは、種まき3-4月、収穫は8-9月となっている。以下は日本での栽培サイクルなので古代エジプトでは違っていたかもしれないが、参考までに。
ソラマメ。11月に種まき、4-6月に収穫。
エンドウマメ。11月に種まき、5-6月に収穫。
レタス。3-4月に種まき、5月末-6月に収穫。
キュウリ。4-6月に種まき、6-8月に収穫。
タマネギ。11-12月に種まき、4-6月に収穫。
ナツメヤシは8-9月あたりが収穫期。
これを見ると分かるとおり、麦の栽培サイクルの前後でほかの作物の手入れもしなくてはならない。古代エジプトに果たして農閑期はあったのか。まるっきり手のあいてる、完全なoffなんてないんじゃないの? と、私なら言う。めちゃくちゃ忙しい時期と、比較的手のすいてる時期があるだけではないのか。
そもそも、ナイルの増水中に畑が水に浸かるのは、天然灌漑として使っていたからである。ナイルの増水のシーズンが農閑期で完全にヒマだというのなら、同じように灌漑農法をしていた地域は、どこだって「灌漑中はめっちゃヒマだよ! 手空きまくってるよ!」ということになるではないか。天然だろうが人工だろうが、灌漑は灌漑だ。メソポタミアの農民が灌漑シーズンにヒマを持て余してたとか聞いたためしがない。
●結論 というわけで
「ナイルの増水中は農閑期」という前提がそもそもおかしいと思うので、「その時期の農民がピラミッド建設に参加していた」という説は間違っていると思う。農民が期間限定で参加してたとすれば、真夏の炎天下かつ夏野菜の収穫時であるナイルの増水期ではなく、麦踏みも終わり気候も涼しい冬季ではないかと推測する。
また、その規模も過剰に大きく見積もられるべきではない。「農閑期」に農民をかりだすのであれば、期間限定の「期間」は長くても数ヶ月であり、その期間に期間工が参加できた建設工程はかなり限定的な単純作業だったと思われるからだ。
もちろんこれは、そのへんのエジプトスキーが適当に言ってることなので、納得できなければ笑っていてくれて構わない。
ただし、専門家も学者も間違うことはあるが、農業カレンダーは嘘はつかない、ということだけは言っておく。
というか、いつの間にか世の中の常識みたいに言われるようになってるけど、これ実はピラミッド作ってた時代の一時ソースで確固たる証拠があるわけじゃないんだよ。期間限定のパートタイマーさんやアルバイターも多分いたんだろうけど、私が思うにそれは「輪番」とかであって、ナイルの増水シーズンに労働者が急激に増えるというイメージは間違っているんじゃないかと思う。
その理由を挙げてみたい。
●ナイルの増水は真夏に起こる
まずここ。古代のナイルの増水は、だいたい7月半ば頃から始まって9月末ごろまで続いた、とされている。
水位がじわじわ上がっていき、一定量まで達したあと、またじわじわと引いていく数ヶ月サイクルの増水だ。
最大水位に達するのは8月末から9月。古代エジプトの歴史は長く、果たしてピラミッドが作られていた4,500年前も全く同じサイクルだったかどうかは分からないが、ズレても1ヶ月くらいかなと思う。
問題は、この時期が一年で最も暑い季節だということだ。
確かに畑は水に浸かっていて、麦作自体はお休みとなる。しかしこの真夏の炎天下に、ピラミッド建設などという重労働をするために農民がバイトしに行くことがあり得るだろうか? 現代エジプト人は真夏の真昼間は道路工事をせず、夜中の涼しい時間帯に回していたりする。そもそも考古学者ですら、暑い時期は昼間に発掘をせず日の出とともに現場にいって昼には引き上げているくらいだ(笑)
人間の耐熱性なんて古代人だろうが現代人だろうが変わりはしない。夏場に日陰もない工事現場で石を積み上げるなんて、熱射病で死人が出るんじゃないか。非効率だ。あまりにも非効率だ。どうせやらねばならないのなら、重労働は涼しいときにやるに限る。
●最も忙しいシーズンは"作付け"と"収穫"
農業やってる人なら分かるだろう。穀物の栽培で一番忙しいのは作付けと収穫だ。
実家が農家の人は、ゴールデンウィークに実家で田植えを手伝い、秋はコンバインを運転しに行く。機械化された現代ですら一族総出の大作業である。古代エジプト人でも同じだったことは間違いない。農民が期間限定でピラミッド建設に従事していたというのなら、この2つのイベントは絶対に外さなければならない。
現代のエジプトの小麦作付けカレンダーを探してみた。
https://www.rakuten-sec.co.jp/ITS/village_report/commodity/20131010.pdf
現代は作付けが9-10月、収穫が4-6月となっている。まさにナイルの増水シーズンを外した冬小麦サイクルだ。古代の作付けもあまり変わらなかったと思う。幅があるのは、畑の場所によって作付けの時期がズレるからだろう。古代ならば、ナイルの水はじわじわひいていくので、引いた場所から種を撒いていたはずだ。すると収穫時期も少しずつズラせるようになる。
さて麦は収穫してもそのままでは使えない。刈り取ったものを乾燥させ、脱穀し、穀倉に収める必要がある。もちろん手作業だ。収穫の終了から、穀倉に収める作業の完了まで、一体どのくらいかかっただろう。最後の収穫から1ヶ月で全ての後始末が完了したとすれば7月である。ちなみに現代の日本の農業スケジュールだと麦穂の天然乾燥には二週間を要する。9月には次の種まきが始まり、その下準備もしなければならないのだから、「農閑期」は実質、8月の一ヶ月しかない。
こんな短い期間だけ「臨時雇い」の労働力としてピラミッド建造に関わったとして、いったいぜんたい意味があるのか。
いないよりはマシだろうが、出来るのは単純作業くらいではないのか。通年で動いている生産ラインに突然大量の"初心者"が入り込んできたら、ラインが乱れて生産力は逆に落ちる。
ナイルの増水シーズンに農民が手伝いに行った、という説は、実作業を考えずに机上だけで考えた空論のように思われてくる。
●「農閑期」が麦のサイクルしか考慮していない
もう一つ前から気になっているのが、「農閑期」という言葉の中に麦作しか含まれないことである。
古代エジプト人は他の作物だって当然作っていた。でなきゃ野菜が食べられない。
たとえばスイカ。夏野菜である。夏野菜ということは夏に収穫している。日本での栽培カレンダーでは、種まき3-4月、収穫は8-9月となっている。以下は日本での栽培サイクルなので古代エジプトでは違っていたかもしれないが、参考までに。
ソラマメ。11月に種まき、4-6月に収穫。
エンドウマメ。11月に種まき、5-6月に収穫。
レタス。3-4月に種まき、5月末-6月に収穫。
キュウリ。4-6月に種まき、6-8月に収穫。
タマネギ。11-12月に種まき、4-6月に収穫。
ナツメヤシは8-9月あたりが収穫期。
これを見ると分かるとおり、麦の栽培サイクルの前後でほかの作物の手入れもしなくてはならない。古代エジプトに果たして農閑期はあったのか。まるっきり手のあいてる、完全なoffなんてないんじゃないの? と、私なら言う。めちゃくちゃ忙しい時期と、比較的手のすいてる時期があるだけではないのか。
そもそも、ナイルの増水中に畑が水に浸かるのは、天然灌漑として使っていたからである。ナイルの増水のシーズンが農閑期で完全にヒマだというのなら、同じように灌漑農法をしていた地域は、どこだって「灌漑中はめっちゃヒマだよ! 手空きまくってるよ!」ということになるではないか。天然だろうが人工だろうが、灌漑は灌漑だ。メソポタミアの農民が灌漑シーズンにヒマを持て余してたとか聞いたためしがない。
●結論 というわけで
「ナイルの増水中は農閑期」という前提がそもそもおかしいと思うので、「その時期の農民がピラミッド建設に参加していた」という説は間違っていると思う。農民が期間限定で参加してたとすれば、真夏の炎天下かつ夏野菜の収穫時であるナイルの増水期ではなく、麦踏みも終わり気候も涼しい冬季ではないかと推測する。
また、その規模も過剰に大きく見積もられるべきではない。「農閑期」に農民をかりだすのであれば、期間限定の「期間」は長くても数ヶ月であり、その期間に期間工が参加できた建設工程はかなり限定的な単純作業だったと思われるからだ。
もちろんこれは、そのへんのエジプトスキーが適当に言ってることなので、納得できなければ笑っていてくれて構わない。
ただし、専門家も学者も間違うことはあるが、農業カレンダーは嘘はつかない、ということだけは言っておく。