ボスニア紛争を動かした写真/報道が決める善と悪

2015年9月、トルコ沿岸で水死したシリア難民の少年、アイラン君の遺体の写真が世界を駆け巡り、難民受け入れの世論を形作った。

写真自体は心に響くものはあり、確かに動かされなくもないものだったが、しかしその反応はいささかヒステリックであり、どこか「作られた」情動のニオイを感じさせた。案の定、その後、「遺体はもともと別の場所に流れついていたのだが、見栄えを気にして移動させた」…等の話が浮上してきている。

そして2016年の現在、難民受け入れの門戸を開いた国々は、想定外の人数の多さ、治安の悪化、さらには難民を偽装して入国したテロリストによるテロという現実的な問題に直面し、今更のように(当時から多くの人が予想していたように!)門を閉ざす方法を検討し始めている。

一枚の写真が世界を動かし、世論を形成し、その結果として現実を破綻させる。

この構図は、写真というメディアが台頭しはじめた時代から繰り返し発生してきたものである。
そのうちの一例である、ボスニア紛争の「強制収容所」の写真をメモしておこうと思う。

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発端は、ニューヨークのタブロイド誌「Newsday」に掲載されたロイ・ガットマン(Roy Gutman)の"ボスニアにセルビア人がモスレム人を強制収用している施設がある"という記事だったという。

それを確認するために現地に行ったイギリスITNのTVクルーが撮った写真がこれ、有刺鉄線の柵の向こうに立つガリガリにやせた男。1992年8月6日のニュースでこれが報道されると大反響が起き、セルビア=悪、の構図が決定付けられたという。

ボスニア紛争は1990年代に入ってから起きた、「20世紀を終わらせた内戦」だ。そしてつい最近、「アラブの春」が起きるまでは、「WWW2以降最も悲惨な戦争」と呼ばれていた。この内戦は、ボスニアがモスレム人、クロアチア人、セルビア人の三者に分かれ、互いの陣営を攻撃しあった。しかしメディアは主にセルビア人を悪と決めつけ、セルビアによる他の陣営への残虐行為を誇張した。

実際はモスレム人やクロアチア人による残虐行為も多かったのに、である。

同じように三つ巴でありながら、単純に「悪のアサド政権」と「立ち向かう反政府組織」という構図に当てはめようとしていた所期のシリア報道を見て居ても分かるとおり、メディアは、現時を分かりやすく善と悪とに塗り分けして報道するものである。写真は単に風景を写すだけのものである。しかし、その写真は、撮り方、意味づけ方によっては文章以上の凶器と化す。



最近になってボスニア紛争を調べ始めたキッカケは、シリア内戦との類似からだった。

ユーゴスラヴィアは、ややいびつとはいえ、長年、多民族の共生を行えていた。しかしある瞬間から突然火がつき、血みどろの内戦に突入していったように見える。何故なのか? ある日とつぜん隣人が敵になるという状況が、いまひとつ理解できなかった。

そして調べ始めてみて分かったことは、そもそも報道が現実とは一致していなかったという事実だ。特に日本の報道は欧米の翻訳(あるいは誤訳)であり、本質を理解していないようだ。いや、日本のメディアが悪いというより、そもそも欧米のメディア自体が、当事者として国内むけのプロパガンダを流していたに過ぎなかったのだろう。
シリアでアサドが悪、と言ったように、かつてのボスニアではミロシェヴィッチが悪、と言っていたのだ。

ボスニアにはISは台頭しなかったから、ミロシェヴィッチに圧力をかけるだけで戦争は比較的短期間に終わった。
しかしシリアはそうはいかないだろう。単純な善悪を設定して、一方を倒せば終わる戦争ではもはや無い。

20世紀を終わらせた戦い と言われるボスニア紛争から学べることは多い。21世紀の始まりを告げるこの混迷の時代こそ、メディアには、過去とは違う新しい報道のあり方を見出してほしいなと思ったりもする。

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