先端技術で探る古代「アル=ザヤーン神殿遺跡の調査」講演会に行ってきた

週末のうちに客先提出用の資料を作れと言われていたのを無視して行ってきました(`・ω・´)
エジプトは最優先だからね仕方ないね。

というのは置いといて、このプロジェクトについて。「なるほど! 古代エジプト」の時に紹介されていたプロジェクトの一つで東京工業大学、首都大学東京がやってるやつ。


アル=ザヤーン神殿というのはエジプトの西方にあるオアシス群のひとつ、ハルガ・オアシスに存在する神殿である。近くにはアメン神に捧げられたヒビス神殿もあったりする。神殿そのものが作られたのはたぶんプトレマイオス朝以降。ローマの支配時代にここに街道があったらしい。ただ後述するように、集落跡は紀元前1500年あたりのものから見つかっている。また、オアシス周辺は先王朝時代には資源確保のため開発されているので、実はかなり昔から人が住んでいた場所である。ナイル峡谷だけが"古代エジプト"ではなく、砂漠の民もいたことについては、最近は日本語の書物でも言及されるようになってきている。


遺跡自体の詳細データは適当にググると出てくる。
http://www.touregypt.net/featurestories/al-zayyan.htm

あとようつべに遺跡の動画上げてる人がいる。
https://www.youtube.com/watch?v=zM5ntdEfMrk


で、この神殿の周囲にほかに遺構はないかと調べはじめたところから、遺跡本体とは別なところで色々分かったぜっていうのが講演会の内容。

遺跡の発掘のまとまった内容が国会図書館行かないと借りられなくて流れがよく分かってなかったので、講演会で東工大とエジプトの馴れ初め(?)から知れて面白かった。


●そもそも、エジプト全然関係なかった東工大がここを調査しようとしたのは何故?

トシュカ計画によって水没の危険があり、遺跡周辺を調査する必要があったため。
トシュカ計画については過去のブログ記事参照。

緑の夢、砂漠の幻想 ―エジプト・トシュカ計画の破綻
https://55096962.seesaa.net/article/201302article_2.html

ざっくり言うと、故ムバーラク大統領の肝いりで始められ、新ムバラクだのムバラク2.0だの言われている現大統領シーシによって再開された砂漠の緑化計画である。どうやったのか知らないけど裕福な湾岸諸国からたっぷり資金を貰ってきて、かなりムチャな開発をしている。(ここ数年、グーグルアースで見たエジプトの砂漠に緑がぽつぽつ増えているのはそういうこと…。)

ナイルの上流にあたるエチオピアやスーダンで次々とダム開発計画が持ち上がっており、ナイル川の水量は年々へる一方。その状態で地下水をアテにして行われているこの開発計画が長続きするものと信じられる人はそう多くはないと思う。が、その話は今は置いておくとしよう。


トシュカ計画が始まったのは1997年。東工大に依頼が来たのは1999年で、遺跡の調査開始は2001年。
ナイルから水を引き込んだトシュカから先、地面がくぼんでいるラインの先にハルガ・オアシスは存在する。

画像


神殿のある場所は海抜-18m。水が入ってくれば真っ先に水没する地域なわけで、ここに遺跡があると大変なので前もって調査しよう、ただし面積が広いので実際にほるのではなく電磁レーダーなどを使って地面の上から調査しよう! というのが、元々の計画だったようだ。


●見つかったものは?

あんまり当時の記事が残っていないのだが、とりあえずこのへんとか。

 3500年以上前の大規模集落跡 エジプトで発見
 http://www.nikkei.com/article/DGXNSSXKD0864_V20C10A8000000/

とまぁ、神殿みたいな観光資源ではなかったけれど、集落とか行政施設のようなものは見つかったらしい。

これには笑い話があって、大きな遺構を探すために最初は2m四方で探査していたので集落を巨大なひとつの神殿の遺構だと思ってしまったらしい。掘ってみたら民家の集合体だったので0.5m間隔で調査しなおしたんだとか。


●そのあとは…?

ここで終わらないのが流石だと思った。
もともと東工大のチームは地中探査とかがメインで、エジプトとか考古学とか全然関係ない。そもそも第一次調査には最初はエジプト畑の人がいなかったとかいう裏話もあった。

エジプトの人とか考古学の人とかだと、遺跡しか注目しないだろうところ、ここのチームは周辺の地理を探ることで、かつての遺跡周辺の情景を蘇らせようとした。今はただの砂漠だが、集落があり神殿があったからには人が住める水のある土地だったはずなのである。ちなみに中王国時代とかだとワインが作れた(ぶどう栽培ができた)という記録もある。

調査内容を全部はメモれなかったのだが、遺跡の西側にある遺跡ゲベル・シークという山のあたりに断層があり、その西側(断層が盛り上がる境界線)に地下水の溜まる場所があるらしい。ただ、地表に近い粘土層の中は電気のとおりがやたらと良い。(電磁誘導の調査?)

真水はあまり電気を通さない。電気を通しやすいということは塩水なのではないか、つまり長年利用している間に塩害が発生して地表の水が利用できなくなってしまったのではないかと考えられるそうだ。
ちなみに現在は機械ポンプを使って、数百メートル下の真水層から水をくみ上げているという。その水は温泉なのだそうだ。エジプトには火山は無いはずだが、地下には火山活動の層もあるのだろうか。


●まとめると

数千年の間に、オアシス周辺の風景はおそらく大きく変わっている。

アル=ザヤーン付近に人が住み始めた頃は、わりと緑地で川などもあった。たぶん古王国時代くらいには農地もあった。その後、砂漠化して人が減る。
いつの時代のものかは不明だが、地上からレーダー探査する限りため池っぽい構造もあるとか。

これは雨が降ったかどうかといった気候の話よりは、地下水の枯渇が関係していそうだ。地表近くの水が塩害化したこと、ゲベル・シーワ山から引いた水が枯れてしまったこと。しかしそれでも人が住み続け、ローマの時代には街道沿いの宿場町として機能していたと言うのだから人間侮れない。

2011年の騒乱以降、オアシス周辺の治安もあまりよくないので調査にはなかなか入れないという。しかし今も調査は続いているそうなので、今後でてくるものにも期待したい。


最後に講演者が力説していたのは、「エジプト専門じゃないからこそ見えてくるものがある」ということだ。
エジプトの墓や神殿を装飾する染料は、砂漠で取れる。エジプト学者は墓は見るけどそんなところに行かない、という話もしていた。

(もっとも、西方砂漠に足を踏み入れるエジプト学者もいるのだが…。西方砂漠を「最後のフロンティア」と呼んだあの先生とか。笑)

墓や神殿や碑文やパピルス文書だけがエジプトの魅力じゃない。黄金も立派な石像も無くても、泥臭いけれどリアルな古代の生活だって面白い。セトの領域とされた赤い砂漠の中にも古代エジプトの歴史がある。
こういうスキマ的な歴史の一ページはけっこう好きです。


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おまけ

ダクラ・オアシスの話だけど関連としてこれも。


古代エジプト人の通った道・西方砂漠と「ジェドエフラーの水の山」
https://55096962.seesaa.net/article/201403article_18.html

ハルガ・オアシスのすぐ隣、ダクラ・オアシスに古代の隊商路があったという話。またダクラ・オアシスも現在は砂漠化しているが、残されているヒエログリフから、かつては水源があったことが判っている。古代エジプトにはラクダはいないので、このルートは、ロバを連れてぽっくりぽっくり行く道だった。

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