シュリーマンの発掘記録と発見品にはどこまで嘘が含まれるのか。「黄金と偽りのトロイ」を読み返してみた

わりと最近…でもないが、シュリーマン本としては新しいめの本である。

シュリーマンの生涯と業績を丹念に追っていった伝記物。ある人間の人生を「検証」するのがどれだけ大変かわかる。特に、著作や手紙が山ほど残っている人物の場合には。

シュリーマン―黄金と偽りのトロイ
青木書店
デイヴィッド・A. トレイル

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この本を読むまでもなく、シュリーマンが子供の頃からトロイ発掘を夢見ていたという話は後付けの嘘である、なんていうことは既に広く知れ渡っているだろうし、シュリーマンの初期の発掘が滅茶苦茶で、遺跡も遺物も思いっきり破壊していたという批判も古くからある。

そもそも「トロイアの発見者」として知られてはいるものの、ヒサルルクの丘がトロイ戦争の舞台だという証拠はまだ見つかっていない
また、「アガメムノンのマスク」だって本当にアガメムノンのものかは疑わしい。というより、そう勝手に名前をつけただけで、実際は時代が合わないので、アガメムノンのものではないというのが通説だ。

ただし、それでも彼には業績がある、というのが多くの研究者の言い分である。
彼の偉大なる業績については、以前行った講演会で聞いた話にも出てきた。


・最初に掘ったのがヒサルルックという各時代ごとの遺跡が積み重なった「丘」であったことから、各層ごとに発掘するという考え方の大切さを知らしめた

・報告書を出しまくるスタイルによって、発掘時の状況を残す、発掘報告書を出す、というその後の流れを作った

・土器や石器のような美術品以外のものの重要性を発見した


そしてミケーネ時代という名前を定着させたことなど。

彼は多くの講演会を行い、本を書き、死の直前まで精力的に活動し続けた。その点については、確かに評価されてしかるべきと思う。
ただ、その「精力的」な活動の中に、多くの虚構が混じっていたことが問題となっている。彼は筆まめであり、報告書のみならず日記や手紙で多くの文章を残した。しかしそれらが相互に食い違う。中には明らかに嘘と分かる体験談を日記に書き記していたりもする。パクりもやった。旅行ガイドブックの内容を、あたかも自分の体験のように書き直して著作としている。(そしてその本で博士号を取ってるので、まぁそりゃ後から批判も出ますわねってカンジ)

この本のあとがきにある、以下の部分がそれを端的にあらわしているだろう。

"何はさておき、シュリーマンはマスコミという媒体を自らのために積極的に利用することにかけては、時代のはるか先端を行っていた。人文学がまだ閉ざされたアカデミズムの内部か、知識人のサークルの中にとどまることが許されていた時代にあって、彼は自らの仕事の経過と意義をまずは矢継ぎ早に新聞に発表し、ついでそれを読みやすい本にまとめあげては公刊していった。さらには、その書評にいたるまでシュリーマンが手を尽くして操作していたことは、本書にも述べられているとおりである。今日でこそ、人文学の生き残りをかけて、社会への知の還元が声高に唱えられるようになっているが、シュリーマンはそれを100年も前に実行に移していたのである。もっとも、マスコミ受けを狙うあまりに、シュリーマンが犯した罪もまた少なくなかったことは、トレイルが随所で指摘しているところであるが…。"


どんなシュリーマン信奉者であっても、彼をいかに持ち上げる人であっても、どこかに必ず「とはいえ…」と断り書きをいれなくてはならない。そのくらい、功罪ともにある人物だろうと思う。

とはいえ、発見物の発見の状況を誤魔化すとか、発見場所を同時代の別の墓にするとか、発見者を入れ替えるとかならまだしも、発見した品のそのものについても疑惑が出ているというのは、あまり知られていないのではないかと思う。もし事実であれば、かなり問題は大きくなる。


まず一つは、発掘品を水増ししたのではないかという疑惑。

他の場所から出土したものを購入してきて、実際に発掘されたものに混ぜたというものだ。これはヒサルルックから出てきた「プリアモスの宝」と呼ばれているものについても当て嵌まる。また、実際に見つかったもののレプリカを作成して水増ししたのではないかという疑惑も持たれている。ミケーネの墳墓の発掘で、同タイプの遺物が多数見つかっていることが疑わしいとされている。もちろん詳細に調べれば現代加工の跡は分かるはずだが、所蔵しているギリシャがそれを認めない限りは、そして敢えてシュリーマンの業績を犯そうとする者が現れない限りは、検証はされないのだろう。


もう一つは、発掘された品をそれらしく見せるため故意に改造した疑惑。

かの有名な「アガメムノンのマスク」には、実は手を加えられた痕跡があるのだという。

"このように、贋作に対する疑惑は、まず大量に出土している同一タイプの遺物に向けられているが、一点しか存在しないような遺物にも疑問点はある。たとえば、「アガメムノンのマスク」は、顔の髭がはっきり表現されている唯一のマスクであるばかりか、ミノア・ミケーネ文明においていわゆるカイゼル髭が表現された唯一の遺物でもある。

<中略>

ところが、注意深く観察してみると、口元の髭の両端部はもともと下を向いており、のちに上向きに跳ね上がったように造形されていることがわかる。この「のち」というのがミケーネ時代のことなのかシュリーマンの時代のことなのかは判別が難しいが、ある程度の推測は可能である。察するところ、マスクは真正なミケーネ時代の遺物であり、シュリーマンはそれにカイゼル髭を付け加えることによって、外観をいかめしくしようと試みたのだろう。"


さらっと書かれているが、これは事実だとすると、かなりヤバイ類の誤魔化しだと思う…。

*参考 アガメムノンのマスク

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ここが↓あとから付け足されたのでは? とされるカイゼル髭

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本当は跳ね上がってなかったのかもしれない(ペイントでてきとうに修正)

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遺物の改造。これが許されるのなら、たとえば、シュリーマンが「自分の描く遺跡のイメージにそぐわない」と思った遺物は、捨てられるか、作り変えられて抹殺されてしまった可能性も出てくる。存在が明らかになっているものについて、その出土場所や出土状況が書き換えられているのはまだマシなほうだが、存在が完全に抹消されたものが無かったと誰に言えるだろう。何しろ、時には発掘に関わった人間の痕跡すら記録から抹消してしまう人なのだから。

こんなふうに、シュリーマンには「黄金の業績」と「病的なまでの虚偽癖」が複雑に絡み合っている。
多数の記録を残したが、それは、読むときに「何処まで本物なのか」「どこが偽造されているのか」を見極めなくてはならないという厄介な代物だ。

果たして、膨大な量の発掘記録の、どこからどこまでが本当なのか。
本当に発見されたもの全てが書かれているのか。

功罪はあるのは確かだが、今の時代の感性からすると、この人は罪のほうが大きいような気もする。ヤル気のある破壊者ほど厄介なものはない。ていうか仕事が雑でいいなら、人よりたくさん仕事できるし、たくさん発掘も出来るでしょそりゃ…。

この時代のシュリーマンが評価されているのは、不正確でも多少誇張が入ってても、報告書を全く出さないよりは出しているほうが優れている、という話もあるからではないかと思う。時代がそうさせた、この時代だからこそ意味があったことをした…という部分が大きいのかな、とも思う。


しかしもはや彼は神ではなく、絶対の存在でもなければ、子供の頃の夢を純真に追い続けた一途な人でもない。天才的な言語の才能と一つの物事に集中する才能とともに、不安定な精神と病的な虚癖、そして肥大しすぎた自己顕示欲からくる精神を持つひとりの特徴的な人間だ。

シュリーマンの書き残したものを確かめるとき、特にそれが、飽くことなき権威欲の満たされる以前のものであるときは、十分に注意する必要があることは覚えておくべきだろう。



(歴史に「もしも」はない。
ただ、もしかしたらシュリーマンがいなくても、別の誰かがもっと適切な方法で時代を進めることが出来ていたかも知れない… 「二粒の籾」がなくても登呂遺跡は発見されていたかもしれない、というように…もしも…もしもだが…。 )



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…しかしそれにしてもあとがき見ると、訳者の先生この頃から中南米の考古学者が嫌…げふん。もとい、手厳しかったんですね。なんか嫌なことでもあったんですかね(笑)

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