戦乙女<ヴァルキリー>と羽根つきヘルメット なぜ鳥の羽がつくようになったのか
皆知ってるもんだと思ってたら意外と知られてなかった。北欧神話の戦乙女、いわゆるヴァルキリーとかヴァルキュリアとか言われる人たちって、大抵鳥の羽根のついた兜かぶった姿で描かれている。
※代表例
しかし原典となる北欧神話のテキストには、彼女たちの衣装に関して指定はない。(武装している、という表記くらいだ)
何で、いつから、鳥の羽根をつけるようになってしまったのか。
結論から言おう。
このイメージが確定したのは、19世紀。
元は白鳥が頭についていた。
19世紀ということでお察しのとおり、ワーグナーが作曲した北欧神話をモチーフにしたオペラ作品「ニーベルングの指環」の舞台化の際の衣装が、その後のヴァルキリーのイメージの定着に大きな役割を果たしているのだ。
「ニーベルングの指環」のあらすじなどは、だいぶ昔のテキストだが こちら にまとめてある。また本で読むなら以下がおすすめ。
なお、ワーグナーの「ニーベルングの指環」は、ドイツで書かれた叙事詩「ニーベルンゲンの歌」とは、かなり粗筋登場人物が違っているので要注意だ。北欧神話の中のニーベルングの財宝を巡る物語や「歌」は、オペラ作品の元ネタにはなっているが、そのものではない。そのへんの違いの一覧表は ここらへん で確認してね。
前置きが長くなったが、というわけでワーグナーのオペラの舞台化である。
そもそも最初はどんな衣装だったのかというと…
こんな感じなんである。
「あっ…」て思いませんかね。そう、「羽根のついた兜」ではないんです。白鳥そのものなんです。
もいっちょ
さらに
「エッダ」の中を見ると、戦乙女が白鳥の姿を取るシーンが幾つか出てくる。たとえば「ヴェルンドの歌」に登場する白鳥の衣で変身する乙女たち。現存はしないが、あらすじとした知られている「カーラの歌」に登場する戦乙女カーラ。
おそらくこの衣装は、彼女たち戦乙女は今は人間の姿ではあるけれど、人ではなく、白鳥に化身する存在なのだということを表現したくて作られたものなのだ。
原典となるエッダ詩をはじめとする物語には、挿絵はほぼ付けられていない。具体的な絵で姿が残されていない中で、「戦乙女=白鳥の乙女」というイメージを膨らませて作られたのが「白鳥の冠を被って武装した乙女」で、やがて白鳥の翼の部分がカッコよく小型化していったのが現在の姿なのだと推測する。
もちろん、当時の舞台デザイナーが何を意図してこの衣装にしたのかは、本人に聞いてみないと分からない話だ。
しかし、「ニーベルングの指環」の舞台化は、ドイツが「失われていた我々の伝統を取り戻そう!」と意気込んでいた時代に作られたものである。従って、舞台衣装などは出来る限り古代のヴァイキングに忠実に、かつ、物語のモチーフとなったエッダ詩をはじめとする物語を参考に作られているだろうことは予想できる。
ワーグナー以前にも同じ発想で白鳥の冠をかぶせたクリエイターが居なかったとは言い切れないだろうが、一般に広くイメージを定着させたのは、当時大人気を誇ったこの作品のほかには考えづらい。
というわけで、
・ワーグナーのオペラの舞台衣装で戦乙女が白鳥頭で登場
・白鳥の首がとれて羽根つきの兜に
・翼が小型化、羽根だけになることも ←今ココ
2世紀かけた変更の果てに冒頭のようなビジュアルになったわけです。
まぁたぶんこれも時代の流行り廃れ。
************
おまけ
白鳥座の人は伝統を受け継いでいる!
※代表例
しかし原典となる北欧神話のテキストには、彼女たちの衣装に関して指定はない。(武装している、という表記くらいだ)
何で、いつから、鳥の羽根をつけるようになってしまったのか。
結論から言おう。
このイメージが確定したのは、19世紀。
元は白鳥が頭についていた。
19世紀ということでお察しのとおり、ワーグナーが作曲した北欧神話をモチーフにしたオペラ作品「ニーベルングの指環」の舞台化の際の衣装が、その後のヴァルキリーのイメージの定着に大きな役割を果たしているのだ。
「ニーベルングの指環」のあらすじなどは、だいぶ昔のテキストだが こちら にまとめてある。また本で読むなら以下がおすすめ。
なお、ワーグナーの「ニーベルングの指環」は、ドイツで書かれた叙事詩「ニーベルンゲンの歌」とは、かなり粗筋登場人物が違っているので要注意だ。北欧神話の中のニーベルングの財宝を巡る物語や「歌」は、オペラ作品の元ネタにはなっているが、そのものではない。そのへんの違いの一覧表は ここらへん で確認してね。
前置きが長くなったが、というわけでワーグナーのオペラの舞台化である。
そもそも最初はどんな衣装だったのかというと…
こんな感じなんである。
「あっ…」て思いませんかね。そう、「羽根のついた兜」ではないんです。白鳥そのものなんです。
もいっちょ
さらに
「エッダ」の中を見ると、戦乙女が白鳥の姿を取るシーンが幾つか出てくる。たとえば「ヴェルンドの歌」に登場する白鳥の衣で変身する乙女たち。現存はしないが、あらすじとした知られている「カーラの歌」に登場する戦乙女カーラ。
おそらくこの衣装は、彼女たち戦乙女は今は人間の姿ではあるけれど、人ではなく、白鳥に化身する存在なのだということを表現したくて作られたものなのだ。
原典となるエッダ詩をはじめとする物語には、挿絵はほぼ付けられていない。具体的な絵で姿が残されていない中で、「戦乙女=白鳥の乙女」というイメージを膨らませて作られたのが「白鳥の冠を被って武装した乙女」で、やがて白鳥の翼の部分がカッコよく小型化していったのが現在の姿なのだと推測する。
もちろん、当時の舞台デザイナーが何を意図してこの衣装にしたのかは、本人に聞いてみないと分からない話だ。
しかし、「ニーベルングの指環」の舞台化は、ドイツが「失われていた我々の伝統を取り戻そう!」と意気込んでいた時代に作られたものである。従って、舞台衣装などは出来る限り古代のヴァイキングに忠実に、かつ、物語のモチーフとなったエッダ詩をはじめとする物語を参考に作られているだろうことは予想できる。
ワーグナー以前にも同じ発想で白鳥の冠をかぶせたクリエイターが居なかったとは言い切れないだろうが、一般に広くイメージを定着させたのは、当時大人気を誇ったこの作品のほかには考えづらい。
というわけで、
・ワーグナーのオペラの舞台衣装で戦乙女が白鳥頭で登場
・白鳥の首がとれて羽根つきの兜に
・翼が小型化、羽根だけになることも ←今ココ
2世紀かけた変更の果てに冒頭のようなビジュアルになったわけです。
まぁたぶんこれも時代の流行り廃れ。
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おまけ
白鳥座の人は伝統を受け継いでいる!