ツタンカーメンの親子鑑定DNA解析に見る問題点(2) 科学の体裁を模した"解体ショー"
「ミイラはなぜ魅力的か(早川書房)」という本がある。
その本の言葉を借りなくとも、古今東西問わずミイラというものが何故か人を惹き付けるのは、何かの展覧会や写真やテレビ番組でミイラを目にしたことのある人には分かっているはずだ。それはかつて生きていた人間の死体であり、朽ち果てるべき自然の摂理に抗って死後もなお生前の姿を留めた、グロテスクでありながらどこか美しく、ミステリアスで、ほんのちょっぴり切ない、そんな物体だ。
ミイラに惹かれる人々が多い以上、それを商売とする人が出てくるのは必然だった。19世紀、エジプトのミイラが工芸品やみやげ物として自由に売買され、国外にも持ち出されていた頃には、ミイラの包帯を解き、解剖するショーがヨーロッパで一大ブームを起こしたことがあったのだ。
このブームは、19世紀半ばにヒエログリフの解読方法が確立され、文字からそれまで知られていた知識とは比べ物にならないほどの膨大な情報が手に入るようになるまで続く。
この話をなぜ今するのかというと、ツタンカーメンのミイラのDNA解析に見るTVショーのあり方が、結局は、形を変えた19世紀の「ミイラ解体」ショーの焼き直しではないかと時々思ってしまうからだ。ナショナル・ジオグラフィック・チャンネルにせよ、ディスカバリー・チャンネルにせよ、日本のNHKの番組にせよ…センセーショナルに、人々の興味を引くように宣伝され、演出されていた。科学的な側面にはほとんど光が当てられなかった。(触れられる内容はごく僅かだった。)
もちろん解析手法は現代的かつ科学的なものが使われている。
しかし、その手法に幾つかの問題があり、批判があることは既に前の記事で書いたとおりである。それに、19世紀のミイラ解体だって、解剖学の知識くらいは使われていた。結論は飛躍的で妄信的であったとしても――少なくとも、科学の皮はかぶっていたわけだ。
果たして、テレビカメラがミイラからのサンプル採取の場面に立会い、実験室にまで侵入することは、賢い選択だったのか?
「ツタンカーメンの親子鑑定DNA解析に見る問題点(1)」に既に書いたように、古代のサンプル上のDNA情報は、たとえ残っていたとしても断片化されており、検出が難しく、検出された後も汚染されないよう細心の注意を払う必要がある。そうしなければ、現代の混入物であるDNAのほうに反応してしまうからだ。学術的な研究の厳密性に気を使うなら、取材に対してもう少し抑制的に振舞うことも出来たのではないかと思う。
尚、ツタンカーメンのDNA解析の番組については、ティスカバリーチャンネルのものを以下に少しだけ情報を出しておいた。つくりは悪くなかったのだが… 様々な場面にしゃしゃり出てくるテレビカメラの鬱陶しさには少し呆れた。それと同時に、この実験が「必ず結果を出さねばならない」という強いプレッシャーのもとに行われていたことも感じた。
前編
https://55096962.seesaa.net/article/201004article_14.html
後編
https://55096962.seesaa.net/article/201004article_20.html
そう、結果は必ず出なければならなかった。
なぜなら、そうでなければ世界的に注目を集め、各国の取材陣から金を集めた意味が無くなってしまうからである。
ツタンカーメンのDNA解析に限らず、今現在大きく報道されているピラミッド・スキャン・プロジェクトやツタンカーメン王墓のスキャンプロジェクトも、エジプトは資金を出さず、諸外国からの研究資金の提供で成り立っている。逆に言うならば、大々的なプロモーションは資金集めのための宣伝である。その点では、19世紀のミイラ解体ショーと同じなのだ。
それ自体は悪いこととは言わない。
エジプトは多くの魅力的な遺物、遺跡を持っているが、自身で研究するだけの資金がない。そして現在、政情不安や外交的要因により、観光客が極端に減っていて、既存の遺跡を保護する資金すら足りなくなってきている。だから確実に金の稼げる商材である、ピラミッドやツタンカーメンを前面に押し出さざるを得ない。
しかし、それも「やりすぎ」てしまえば、19世紀の悪夢の再現となりうる。
科学の皮を被せたショーを金のために行うのであれば、いずれ科学的検査の結果を金のために歪めることも起こりうるだろう。少なくとも、「完全にウソとまでは言わないが真実でもない」発表は、幾度も繰り返されてきたのだ。―― ピラミッドとツタンカーメンの前には、ハトシェプストとクレオパトラが使われていた。そしてハトシェプストのミイラは(多少疑わしいにせよ)既存のミイラの中に該当するものがあったと発表され、クレオパトラの墓は、見つからなかった。
ツタンカーメンのDNA解析の結果が疑われるのは、手法や解析条件の問題、生データが公開されないといった問題だけではない。
・各国メディアに高い金を出させて情報を売っていた
・その中でセンセーショナルかつ最も望んだ結果を出した
という点だ。
これは、意図的にせよ無意識にせよ、「意図的に結果を歪めざるを得なかった」あるいは「多少の疑いには目を瞑った」ことを疑われかねない状況である。日本の考古学界におけるゴッドハンド事件を想起してほしい。テレビカメラが待ち構えているまさにその時に大発見があった、という状況だけなら、どちらも同じだ。遺物の発見は、「発見される」か「発見されない」かなのでハッキリしているが、DNA解析は統計データである。結果の判断は、判断する人に委ねられるのだ。
現代の科学を用いて行われるミイラの科学分析が、かつてのミイラ解体ショーと同じにならないためにはどうすればいいのか。とりもなおさず、それは「事実に誠実たれ」ということだと思う。
何か結果が出ればいいのではない。センセーショナルな結果を出すことが目的でもない。
目の前にある結果を客観的な視点から批判的に検証することが出来なければ、科学は科学ではない。
それを忘れていなければ、ツタンカーメンのDNA解析の番組のように「ツタンカーメンの親子関係はこれで確定した」などという根拠のない自信に満ちた結論は出せなかったはずなのだ。
事実の検討より、望ましい結果を優先した(少なくともそう見えてしまった)時点で、ドキュメンタリー番組はバラエティへと、とどのつまりミイラ解体ショーへと変貌するのだ。
*****
しかしながら、公平を期すために少しだけ援護もしておきたい。
ミイラのDNA解析には過去の遺産としてセンシティヴな問題がつきまとう。ツタンカーメンのミイラのDNA解析が、古代のDNA検出でよく使われるミトコンドリアDNAなどの方法ではなく、家族関係だけを明らかにするマイクロサテライトだったのには、おそらく政治的な理由がある。
以下に、「ミイラは何故魅力的か」からスキャンしたページを出しておく。
ミイラ解体ショーの流行っていた19世紀、優れた文明を築いたエジプト人の支配者は白人である、ということにされており、ミイラの頭蓋骨の大きさがその根拠とされていたのだ。
なんとも頭痛のするような内容だが、残念ながらこの考え方は今も欧米の一部に生きている。「脳が大きいイルカは賢いに違いない」という信仰もその一つだし、アメリカの白人至上主義KKKなんかもその一つだ。
いまだに古代エジプト人が黒人か白人かで論争になっているのを海外の掲示板で見かけることがあるし、ハリウッド映画のエジプトものでファラオを演じるのが白人ばかりだと人権団体が抗議することさえある。
だから、ミイラのDNA解析は、ファラオの人種に触れる内容であってはならないのだ。
例えば、ミトコンドリアDNAやY染色体のハプログループ分析では、その人物の所属する系統樹の位置づけが判明してしまう。(※)
しかしマイクロサテライトであれば、家族関係だけを抽出して、その人物の人種的な特徴に触れることはない。
ひとつの細胞内に多数存在し、かつ短い塩基で変異に個人差の大きいミトコンドリアDNAの分析のほうが、本当は簡単なのである。にもかかわらずツタンカーメンのDNA分析に、検出しにくい核DNAからの検出を用いたのには、そうした裏事情があるのだ。生データが公開されない理由も、もしかしたら同じなのかもしれない。データが一人歩きし、"好ましくない" ――ザヒ・ハワスの描いたストーリーとは異なる―― 結論が出されることを、恐れているのかもしれない。
だが、それは科学ではない。必要なのは事実であり、好ましいか好ましくないかなどという価値判断ではないのだ。
以上のような理由がある限り、エジプト政府がミイラのDNA解析を積極的に許可することはおそらく今後もないだろうし、あったとしても、ツタンカーメンの時と同じように、エジプト政府主導のもと、外国人のお抱え研究者が政府の意向に沿う結果を出すために働くという構造をとらざるを得ない。
政治はある程度それまでの歴史を踏まえて行われるものであり、考古学が歴史を扱うものである以上、考古学の世界は政治とは無縁でいられない。その結果、事実の一部が隠されることや、事実の追求より政治的望ましさが求められることもある。
進んだ技術や解析手法手法を手に入れても、学者たちはタブーに縛られ、タブーを覆すためにそれを使うことが出来ていない。これが現実だ。
"時代の空気"
という言葉がある。学者といえど、その時代の空気を吸っている。そして"空気"の作り手の中には、我々外野の人間も入っている。"空気"が娯楽として消費されていくストーリー仕立ての物語を望むから、誠実な事実の積み重ねがないがしろにされる。
それもまた、承知しておくべき一つの事項だろうと思っている。
******
※
ツタンカーメンのDNA解析を巡っては、番組の中で一瞬映った画面をネタに商売に使おうとした会社があり、大問題となったこともある。ツタンカーメンの所属するハプログループがヨーロッパに多いことから、あなたも遺伝子解析してみない?!と呼びかけたのだ。
ツタンカーメンの遺伝子解析「ヨーロッパ人に近い!」→実は遺伝子調査キットを売るための戦略?!
https://55096962.seesaa.net/article/201108article_7.html
…こういうのもあるので、生データの公開に難色が示されるのも、エジプト政府がデータの一人歩きを警戒するのも、ある程度は理解できるのだ。ある程度は。ただ、そのことと、「実験手法がクリアではない」「解析が正しいかに疑問が残る」ということについては話が別である。
******
(`・ω・´) <ミイラ好きならきっとみんな持ってるよね
[>関連エントリ
エジプトミイラとCTスキャン ミイラ解剖の「黒」歴史 ― エリオット・スミス
https://55096962.seesaa.net/article/201105article_7.html
「ツタンカーメンの娘(?)のミイラDNA鑑定」について、ネット配信ニュースが何か変だ
https://55096962.seesaa.net/article/200808article_16.html
その本の言葉を借りなくとも、古今東西問わずミイラというものが何故か人を惹き付けるのは、何かの展覧会や写真やテレビ番組でミイラを目にしたことのある人には分かっているはずだ。それはかつて生きていた人間の死体であり、朽ち果てるべき自然の摂理に抗って死後もなお生前の姿を留めた、グロテスクでありながらどこか美しく、ミステリアスで、ほんのちょっぴり切ない、そんな物体だ。
ミイラに惹かれる人々が多い以上、それを商売とする人が出てくるのは必然だった。19世紀、エジプトのミイラが工芸品やみやげ物として自由に売買され、国外にも持ち出されていた頃には、ミイラの包帯を解き、解剖するショーがヨーロッパで一大ブームを起こしたことがあったのだ。
"社交界の人々はミイラ解剖に夢中になり、シラサギの飾り羽根をつけた伯爵夫人から光沢のある黒いベストを着た詩人まで、チケットの買える人はこぞってそれを手に入れた。"
このブームは、19世紀半ばにヒエログリフの解読方法が確立され、文字からそれまで知られていた知識とは比べ物にならないほどの膨大な情報が手に入るようになるまで続く。
この話をなぜ今するのかというと、ツタンカーメンのミイラのDNA解析に見るTVショーのあり方が、結局は、形を変えた19世紀の「ミイラ解体」ショーの焼き直しではないかと時々思ってしまうからだ。ナショナル・ジオグラフィック・チャンネルにせよ、ディスカバリー・チャンネルにせよ、日本のNHKの番組にせよ…センセーショナルに、人々の興味を引くように宣伝され、演出されていた。科学的な側面にはほとんど光が当てられなかった。(触れられる内容はごく僅かだった。)
もちろん解析手法は現代的かつ科学的なものが使われている。
しかし、その手法に幾つかの問題があり、批判があることは既に前の記事で書いたとおりである。それに、19世紀のミイラ解体だって、解剖学の知識くらいは使われていた。結論は飛躍的で妄信的であったとしても――少なくとも、科学の皮はかぶっていたわけだ。
果たして、テレビカメラがミイラからのサンプル採取の場面に立会い、実験室にまで侵入することは、賢い選択だったのか?
「ツタンカーメンの親子鑑定DNA解析に見る問題点(1)」に既に書いたように、古代のサンプル上のDNA情報は、たとえ残っていたとしても断片化されており、検出が難しく、検出された後も汚染されないよう細心の注意を払う必要がある。そうしなければ、現代の混入物であるDNAのほうに反応してしまうからだ。学術的な研究の厳密性に気を使うなら、取材に対してもう少し抑制的に振舞うことも出来たのではないかと思う。
尚、ツタンカーメンのDNA解析の番組については、ティスカバリーチャンネルのものを以下に少しだけ情報を出しておいた。つくりは悪くなかったのだが… 様々な場面にしゃしゃり出てくるテレビカメラの鬱陶しさには少し呆れた。それと同時に、この実験が「必ず結果を出さねばならない」という強いプレッシャーのもとに行われていたことも感じた。
前編
https://55096962.seesaa.net/article/201004article_14.html
後編
https://55096962.seesaa.net/article/201004article_20.html
そう、結果は必ず出なければならなかった。
なぜなら、そうでなければ世界的に注目を集め、各国の取材陣から金を集めた意味が無くなってしまうからである。
ツタンカーメンのDNA解析に限らず、今現在大きく報道されているピラミッド・スキャン・プロジェクトやツタンカーメン王墓のスキャンプロジェクトも、エジプトは資金を出さず、諸外国からの研究資金の提供で成り立っている。逆に言うならば、大々的なプロモーションは資金集めのための宣伝である。その点では、19世紀のミイラ解体ショーと同じなのだ。
それ自体は悪いこととは言わない。
エジプトは多くの魅力的な遺物、遺跡を持っているが、自身で研究するだけの資金がない。そして現在、政情不安や外交的要因により、観光客が極端に減っていて、既存の遺跡を保護する資金すら足りなくなってきている。だから確実に金の稼げる商材である、ピラミッドやツタンカーメンを前面に押し出さざるを得ない。
しかし、それも「やりすぎ」てしまえば、19世紀の悪夢の再現となりうる。
科学の皮を被せたショーを金のために行うのであれば、いずれ科学的検査の結果を金のために歪めることも起こりうるだろう。少なくとも、「完全にウソとまでは言わないが真実でもない」発表は、幾度も繰り返されてきたのだ。―― ピラミッドとツタンカーメンの前には、ハトシェプストとクレオパトラが使われていた。そしてハトシェプストのミイラは(多少疑わしいにせよ)既存のミイラの中に該当するものがあったと発表され、クレオパトラの墓は、見つからなかった。
ツタンカーメンのDNA解析の結果が疑われるのは、手法や解析条件の問題、生データが公開されないといった問題だけではない。
・各国メディアに高い金を出させて情報を売っていた
・その中でセンセーショナルかつ最も望んだ結果を出した
という点だ。
これは、意図的にせよ無意識にせよ、「意図的に結果を歪めざるを得なかった」あるいは「多少の疑いには目を瞑った」ことを疑われかねない状況である。日本の考古学界におけるゴッドハンド事件を想起してほしい。テレビカメラが待ち構えているまさにその時に大発見があった、という状況だけなら、どちらも同じだ。遺物の発見は、「発見される」か「発見されない」かなのでハッキリしているが、DNA解析は統計データである。結果の判断は、判断する人に委ねられるのだ。
現代の科学を用いて行われるミイラの科学分析が、かつてのミイラ解体ショーと同じにならないためにはどうすればいいのか。とりもなおさず、それは「事実に誠実たれ」ということだと思う。
何か結果が出ればいいのではない。センセーショナルな結果を出すことが目的でもない。
目の前にある結果を客観的な視点から批判的に検証することが出来なければ、科学は科学ではない。
それを忘れていなければ、ツタンカーメンのDNA解析の番組のように「ツタンカーメンの親子関係はこれで確定した」などという根拠のない自信に満ちた結論は出せなかったはずなのだ。
事実の検討より、望ましい結果を優先した(少なくともそう見えてしまった)時点で、ドキュメンタリー番組はバラエティへと、とどのつまりミイラ解体ショーへと変貌するのだ。
*****
しかしながら、公平を期すために少しだけ援護もしておきたい。
ミイラのDNA解析には過去の遺産としてセンシティヴな問題がつきまとう。ツタンカーメンのミイラのDNA解析が、古代のDNA検出でよく使われるミトコンドリアDNAなどの方法ではなく、家族関係だけを明らかにするマイクロサテライトだったのには、おそらく政治的な理由がある。
以下に、「ミイラは何故魅力的か」からスキャンしたページを出しておく。
ミイラ解体ショーの流行っていた19世紀、優れた文明を築いたエジプト人の支配者は白人である、ということにされており、ミイラの頭蓋骨の大きさがその根拠とされていたのだ。
なんとも頭痛のするような内容だが、残念ながらこの考え方は今も欧米の一部に生きている。「脳が大きいイルカは賢いに違いない」という信仰もその一つだし、アメリカの白人至上主義KKKなんかもその一つだ。
いまだに古代エジプト人が黒人か白人かで論争になっているのを海外の掲示板で見かけることがあるし、ハリウッド映画のエジプトものでファラオを演じるのが白人ばかりだと人権団体が抗議することさえある。
だから、ミイラのDNA解析は、ファラオの人種に触れる内容であってはならないのだ。
例えば、ミトコンドリアDNAやY染色体のハプログループ分析では、その人物の所属する系統樹の位置づけが判明してしまう。(※)
しかしマイクロサテライトであれば、家族関係だけを抽出して、その人物の人種的な特徴に触れることはない。
ひとつの細胞内に多数存在し、かつ短い塩基で変異に個人差の大きいミトコンドリアDNAの分析のほうが、本当は簡単なのである。にもかかわらずツタンカーメンのDNA分析に、検出しにくい核DNAからの検出を用いたのには、そうした裏事情があるのだ。生データが公開されない理由も、もしかしたら同じなのかもしれない。データが一人歩きし、"好ましくない" ――ザヒ・ハワスの描いたストーリーとは異なる―― 結論が出されることを、恐れているのかもしれない。
だが、それは科学ではない。必要なのは事実であり、好ましいか好ましくないかなどという価値判断ではないのだ。
以上のような理由がある限り、エジプト政府がミイラのDNA解析を積極的に許可することはおそらく今後もないだろうし、あったとしても、ツタンカーメンの時と同じように、エジプト政府主導のもと、外国人のお抱え研究者が政府の意向に沿う結果を出すために働くという構造をとらざるを得ない。
政治はある程度それまでの歴史を踏まえて行われるものであり、考古学が歴史を扱うものである以上、考古学の世界は政治とは無縁でいられない。その結果、事実の一部が隠されることや、事実の追求より政治的望ましさが求められることもある。
進んだ技術や解析手法手法を手に入れても、学者たちはタブーに縛られ、タブーを覆すためにそれを使うことが出来ていない。これが現実だ。
"時代の空気"
という言葉がある。学者といえど、その時代の空気を吸っている。そして"空気"の作り手の中には、我々外野の人間も入っている。"空気"が娯楽として消費されていくストーリー仕立ての物語を望むから、誠実な事実の積み重ねがないがしろにされる。
それもまた、承知しておくべき一つの事項だろうと思っている。
******
※
ツタンカーメンのDNA解析を巡っては、番組の中で一瞬映った画面をネタに商売に使おうとした会社があり、大問題となったこともある。ツタンカーメンの所属するハプログループがヨーロッパに多いことから、あなたも遺伝子解析してみない?!と呼びかけたのだ。
ツタンカーメンの遺伝子解析「ヨーロッパ人に近い!」→実は遺伝子調査キットを売るための戦略?!
https://55096962.seesaa.net/article/201108article_7.html
…こういうのもあるので、生データの公開に難色が示されるのも、エジプト政府がデータの一人歩きを警戒するのも、ある程度は理解できるのだ。ある程度は。ただ、そのことと、「実験手法がクリアではない」「解析が正しいかに疑問が残る」ということについては話が別である。
******
(`・ω・´) <ミイラ好きならきっとみんな持ってるよね
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エジプトミイラとCTスキャン ミイラ解剖の「黒」歴史 ― エリオット・スミス
https://55096962.seesaa.net/article/201105article_7.html
「ツタンカーメンの娘(?)のミイラDNA鑑定」について、ネット配信ニュースが何か変だ
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