クレオパトラはハイビスカス・ティーを飲んだか? ~それは商売上の売り文句だった
現代のエジプトでは、カルカデという名前でハイビスカス・ティーがよく飲まれている。
しかし古代エジプトの時代、果たして同じように飲まれていただろうか…?
これは通販サイトで「美容にいいハイビスカスティーは、あのクレオパトラも愛飲していたといわれています!」などというアオリ文句を見たときに浮かんだ疑問である。
…エジプトの壁画とか遺物でハイビスカス・ティーって、見たことねぇな。
というわけでちょっと調べてみた。
最初に結論を書いておく。
クレオパトラはハイビスカスティーを飲んでいないどころか、エジプトでハイビスカス・ティーが飲まれだすのは20世紀に入ってから。
"古代"エジプトには、そもそもハイビスカス・ティーの原料となるハイビスカスがない。
大航海時代にアジアで発見→南米→アフリカと地球をぐるっと一周してハイビスカスが輸入されるので、めっちゃ近代に吹聴されはじめた、ただの宣伝文句なのだ。
なので古代史どころか、中世あたりまで頑張っても、クレオパトラがハイビスカス・ティーを飲んだという話には一切のソースが無いのである…。
*******************************
というわけで調査の過程。
まず
・クレオパトラが飲んだといってるページは、どこにもソースを書いていない
・古代エジプト人がハイビスカスティーを飲んだといってるページは、現代エジプトの情報しか載せていない
ということを確認し、これらを書いているページは多数あるものの、具体性がなく、噂の域は出ないので信憑性が低いと結論づける。
次に、以前調べた以下のエントリも参考にして、ハイビスカスティーの元になっているローゼル(Roselle)という種類の起源地を調べてみた。
ハイビスカスの名前の由来の謎/存在しないエジプトの神「ヒビス」「イビス」の正体
https://55096962.seesaa.net/article/201507article_20.html
ハイビスカスの学名「Hibiscos」の元になっているのは、紀元後1世紀に同じ仲間のタアオイに付けられた「Ibiscos」という名前だ。そして大航海時代に入り、インドまたは中国からハイビスカスの仲間が持ち込まれるときに至り、その花が「Ibiscos」に似ていたことから、過去につけられた名前が転用されて「Hibiskos」という学名が誕生する。
ここから導き出されるのは、大航海時代以前のヨーロッパにタチアオイは存在したが、リンネが「Hibiskos」と名づけることになる花に似たものは知られていなかったということである。既に広く存在していたなら、このようなことは起こらない。存在していて、かつクレオパトラの食卓に上がるほど広く知られていたのなら、必ずその名前が知られていたはずで、新たに名づける必要などないからである。
つまり、それまでエジプトを含む地中海沿岸には、ハイビスカスの仲間のローゼルは存在していなかったはずなのだ。
というわけでRoselleの起源地をほうぼう探してみると、パデュー大学の作物インデックスの中に情報が見つかった。
https://hort.purdue.edu/newcrop/morton/roselle.html
"Roselle is native from India to Malaysia, where it is commonly cultivated, and must have been carried at an early date to Africa. It has been widely distributed in the Tropics and Subtropics of both hemispheres, and in many areas of the West Indies and Central America has become naturalized."
インド→マレーシアにもちこまれたのがアフリカより確実に前…
…うんあれだエジプトどころかアフリカ全然関係なかった。
このことは、手元にある他の資料からも裏づけが出来る。
リンネが「Hibiskos」と名づけた八重咲きのハイビスカスの原産地が中国かインドだったことから考えるに、インドに仲間の植物があったというのは不思議ではないし、それがマレーシア経由でアフリカに持ち込まれたというのも大航海時代の人の動きとしては納得のいく航路だ。マレーシア周辺の香辛料をヨーロッパに運ぶ船が載せていたのだろう。つまり最初に持ち込まれたのは西アフリカで、そこからアフリカの熱帯地域に広まっていったということだ。
そしてナポレオンの率いた調査隊による19世紀初頭の記録、「エジプト誌」にも、確かにハイビスカスは一切出てこないのだ。
ではエジプトに最初に持ち込まれたのがいつかというと、これも同じページに書かれている。
なんと1899年の記録が最古。
これは、クレオパトラの生きた時代から約2000年後のことである。
オチとしては妥当なところだが、改めて知るとちょっと笑ってしまう。クレオパトラは、ハイビスカスティーなんか飲んでいなかった…そんな花があることすら、知らなかった。
経緯を追ってみると、ローゼルは、西アフリカの奴隷たちによって、まずジャマイカ、南米へと持ち込まれて、メキシコで人気を博したあとにエジプトに持ち込まれた。それが1899年頃なのだろう。(だから南米に行ってもハイビスカス・ティーは普通にあるのだ。)
エジプトでは1900年代の半ばにようやくポピュラーな飲み物となった。
ハイビスカスは気候があうところならどこでも栽培できたので、人の拡散とともに広まっていった。それが本来の原産地を分かりづらくしている理由でもあるが、原産地がエジプト周辺やアフリカ大陸でないことだけは確実だ。
エジプト人はハイビスカスティーの好きな国民性ではあるし、輸出国でもあるが、それは古代エジプトの時代からの伝統ではない。
というわけで、「ハイビスカスティーはクレオパトラも愛飲した!」は、単なる商売上の売り文句という結論に至りました。
いやべつに、そのフレーズを使うことに文句つけたりはしませんよ、めんどくさいし。使いたきゃ使っていいんじゃないんですかね。イメージ戦略も大事ですし。ただ、エジプトマニア的には、古代エジプトのファラオたちがハイビスカスティーを飲んでたとは思わないほうが良さそうです。
[>おまけ
歴史と伝説の狭間・クレオパトラ7世
https://55096962.seesaa.net/article/201008article_17.html
ちなみにクレオパトラが炭酸飲料を飲んだというのも、ビネガーに真珠を溶かして飲んだという伝説から来てる話でして、その話自体の信憑性はもちろん、ビネガーに真珠溶かしても泡は出るけど炭酸飲料にはならんよね? っていうツッコミもあったり。
クレオパトラさんは商売上の売り文句に利用されやすいので、名前が出てきたらむしろ怪しいと思ったほうがいいのかもね(笑
しかし古代エジプトの時代、果たして同じように飲まれていただろうか…?
これは通販サイトで「美容にいいハイビスカスティーは、あのクレオパトラも愛飲していたといわれています!」などというアオリ文句を見たときに浮かんだ疑問である。
…エジプトの壁画とか遺物でハイビスカス・ティーって、見たことねぇな。
というわけでちょっと調べてみた。
最初に結論を書いておく。
クレオパトラはハイビスカスティーを飲んでいないどころか、エジプトでハイビスカス・ティーが飲まれだすのは20世紀に入ってから。
"古代"エジプトには、そもそもハイビスカス・ティーの原料となるハイビスカスがない。
大航海時代にアジアで発見→南米→アフリカと地球をぐるっと一周してハイビスカスが輸入されるので、めっちゃ近代に吹聴されはじめた、ただの宣伝文句なのだ。
なので古代史どころか、中世あたりまで頑張っても、クレオパトラがハイビスカス・ティーを飲んだという話には一切のソースが無いのである…。
*******************************
というわけで調査の過程。
まず
・クレオパトラが飲んだといってるページは、どこにもソースを書いていない
・古代エジプト人がハイビスカスティーを飲んだといってるページは、現代エジプトの情報しか載せていない
ということを確認し、これらを書いているページは多数あるものの、具体性がなく、噂の域は出ないので信憑性が低いと結論づける。
次に、以前調べた以下のエントリも参考にして、ハイビスカスティーの元になっているローゼル(Roselle)という種類の起源地を調べてみた。
ハイビスカスの名前の由来の謎/存在しないエジプトの神「ヒビス」「イビス」の正体
https://55096962.seesaa.net/article/201507article_20.html
ハイビスカスの学名「Hibiscos」の元になっているのは、紀元後1世紀に同じ仲間のタアオイに付けられた「Ibiscos」という名前だ。そして大航海時代に入り、インドまたは中国からハイビスカスの仲間が持ち込まれるときに至り、その花が「Ibiscos」に似ていたことから、過去につけられた名前が転用されて「Hibiskos」という学名が誕生する。
ここから導き出されるのは、大航海時代以前のヨーロッパにタチアオイは存在したが、リンネが「Hibiskos」と名づけることになる花に似たものは知られていなかったということである。既に広く存在していたなら、このようなことは起こらない。存在していて、かつクレオパトラの食卓に上がるほど広く知られていたのなら、必ずその名前が知られていたはずで、新たに名づける必要などないからである。
つまり、それまでエジプトを含む地中海沿岸には、ハイビスカスの仲間のローゼルは存在していなかったはずなのだ。
というわけでRoselleの起源地をほうぼう探してみると、パデュー大学の作物インデックスの中に情報が見つかった。
https://hort.purdue.edu/newcrop/morton/roselle.html
"Roselle is native from India to Malaysia, where it is commonly cultivated, and must have been carried at an early date to Africa. It has been widely distributed in the Tropics and Subtropics of both hemispheres, and in many areas of the West Indies and Central America has become naturalized."
インド→マレーシアにもちこまれたのがアフリカより確実に前…
…うんあれだエジプトどころかアフリカ全然関係なかった。
このことは、手元にある他の資料からも裏づけが出来る。
リンネが「Hibiskos」と名づけた八重咲きのハイビスカスの原産地が中国かインドだったことから考えるに、インドに仲間の植物があったというのは不思議ではないし、それがマレーシア経由でアフリカに持ち込まれたというのも大航海時代の人の動きとしては納得のいく航路だ。マレーシア周辺の香辛料をヨーロッパに運ぶ船が載せていたのだろう。つまり最初に持ち込まれたのは西アフリカで、そこからアフリカの熱帯地域に広まっていったということだ。
そしてナポレオンの率いた調査隊による19世紀初頭の記録、「エジプト誌」にも、確かにハイビスカスは一切出てこないのだ。
ではエジプトに最初に持ち込まれたのがいつかというと、これも同じページに書かれている。
なんと1899年の記録が最古。
これは、クレオパトラの生きた時代から約2000年後のことである。
オチとしては妥当なところだが、改めて知るとちょっと笑ってしまう。クレオパトラは、ハイビスカスティーなんか飲んでいなかった…そんな花があることすら、知らなかった。
経緯を追ってみると、ローゼルは、西アフリカの奴隷たちによって、まずジャマイカ、南米へと持ち込まれて、メキシコで人気を博したあとにエジプトに持ち込まれた。それが1899年頃なのだろう。(だから南米に行ってもハイビスカス・ティーは普通にあるのだ。)
エジプトでは1900年代の半ばにようやくポピュラーな飲み物となった。
ハイビスカスは気候があうところならどこでも栽培できたので、人の拡散とともに広まっていった。それが本来の原産地を分かりづらくしている理由でもあるが、原産地がエジプト周辺やアフリカ大陸でないことだけは確実だ。
エジプト人はハイビスカスティーの好きな国民性ではあるし、輸出国でもあるが、それは古代エジプトの時代からの伝統ではない。
というわけで、「ハイビスカスティーはクレオパトラも愛飲した!」は、単なる商売上の売り文句という結論に至りました。
いやべつに、そのフレーズを使うことに文句つけたりはしませんよ、めんどくさいし。使いたきゃ使っていいんじゃないんですかね。イメージ戦略も大事ですし。ただ、エジプトマニア的には、古代エジプトのファラオたちがハイビスカスティーを飲んでたとは思わないほうが良さそうです。
[>おまけ
歴史と伝説の狭間・クレオパトラ7世
https://55096962.seesaa.net/article/201008article_17.html
ちなみにクレオパトラが炭酸飲料を飲んだというのも、ビネガーに真珠を溶かして飲んだという伝説から来てる話でして、その話自体の信憑性はもちろん、ビネガーに真珠溶かしても泡は出るけど炭酸飲料にはならんよね? っていうツッコミもあったり。
クレオパトラさんは商売上の売り文句に利用されやすいので、名前が出てきたらむしろ怪しいと思ったほうがいいのかもね(笑