よく言われる「ヴァイキングは本当はツノつき兜なんか被らない!」の真相。
ヴァイキングの兜には本当はツノいてないんだよ、という話は良く言われるので、北欧ネタに関わってる人はもう耳タコになっていると思う。ツノつきヴァイキングのイメージは、日本では、おそらく「ちいさなヴァイキング ビッケ」というアニメから来ている。なにしろ日本でのヴァイングの知名度は、そのアニメが流れる以前はほとんどなかったらしいから。
が、この「ヴァイキングのツノつき兜」のイメージ、実は日本ローカルのイメージではない。ヨーロッパはもちろんのこと、本場の北欧ですらツノつき兜のイメージが強く、「史実としてはそんなもん被って戦っていなかった」と、向こうでも同じように耳タコになるくらい言われていたりする(笑)
では、このイメージってどこから来たのか…?
答えは19世紀の以下の流れである。
・文化復興、ナショナリズムの高まりに合わせて本場で作られた強そうでカッコいいヴァイキングのイメージがツノつき兜のヴァイキングだった
・絵画では主にイギリスのヴィクトリア朝。絵画に描かれるヴァイキングにツノつき兜が好んで描かれた
ヴァルキリーの羽根つき兜がワーグナーあたりからの流れであったことを思い出してほしい。ツノつき兜の戦士のイメージも、その流れの延長に位置している。
絵画で見てみよう。たとえば、19世紀から20世紀初頭に活躍したイギリスの画家、Charles Ernest Butlerのこちらの作品。
羽根つき兜、ツノつき兜の戦士たちがいるのが見てとれると思う。鎧も、史実とは違ってイメージ優先に選ばれている。ちなみにヴァイキングが金髪で描かれているのも特徴で、この時代から、ヴァイキングは「金髪・白人で背の高い」いわゆるアーリア人種に固定される。(実際は赤毛の北欧人も一杯いるんだけど)
ヒトラーのドイツ帝国はアーリア人種は優れているとし、自分たちはその血を継ぐ世界の支配者であると論じたが、理想的なアーリア人種で描かれるヴァイキングは、ドイツ人の祖先ともなっていったのだ。
19世紀の流れは、そのまま20世紀へと引き継がれる。20世紀はじめの子供用絵本のヴァイキングは、金髪の白人でツノつき兜を被ったイケメン戦士である。(笑)
というわけで、ツノつき兜のヴァイキングは、比較的近代に意図して作られたイメージであると言える。
ここまでは歴史の話。
で、ここからが考古学の話となる。
「じゃあツノつき兜ってどっから出てきたのよ。」
何も元ネタがないのに、いきなりそんなもんが出てくるわけはないんである。
「角つき兜は存在する」
「ただしヴァイキングの日常用品ではなく儀式用。」
ここでひとつ注釈を入れると、ヴァイキング時代と呼ばれているのは、実際にヴァイキング行が盛んに行われていた「9世紀~11世紀」である。よって、その前後の時代は厳密にはヴァイキング時代でない。しかし時代が変わったからといって、突然、武装がガラリと変わるなどということはありえない。前後の時代も似たような装備を使っている、ということを念頭に置いておくといい。
その上で言うならば、実はヴァイキングの兜として出回っている写真の大半は、スウェーデンのウップランドにあるヴェンデル墓群の出土品である。年表にある「ヴェンデル時代」の名の元になった遺跡だ。つまり、ヴァイキング時代のものではなく、それよりちょっと前のものとなる。なんでその遺跡のものがよく出回ってるかというと、珍しく土葬の遺跡で、遺物の残りが良かったから。
他によくヴァイキングの兜として写真の出回っている有名なイングランドのサットン・フーの遺跡はイースト・アングリアの王レッドワルトの埋葬とされ、7世紀のもの。つまり、これもヴァイキング時代より前の遺跡なのだ、
そして、それら「ヴァイキング時代のもの」とされている、実際は時代の異なる兜たちと同時代に存在した、ツノつき兜の実例は以下の通りである。
こちらが大英博物館所蔵のツノつき兜。時代は紀元前150年から紀元後50年あたりとやや早いが、一つの例としてあげておく。
こちらがデンマークのナショナル・ミュージアム所蔵のツノつきヘルメット。時代は13世紀。 これも青銅器時代なのでちょっと古い。しかし次に続くもう一つの証拠で、間の時間を埋めることができる。
http://en.natmus.dk/historical-knowledge/denmark/prehistoric-period-until-1050-ad/the-bronze-age/the-viksoe-helmets/
そしてこちらが、サットン・フーの遺跡から見つかっている兜と、兜に刻まれた模様の中でツノつき兜の人物が踊っている様子である。
http://www.vikingrune.com/2009/10/odin-as-weapon-dancer/
これは「bird-horn」と呼ばれていて、さきっちょが鳥の形になっているツノだ。獣の皮をかぶったベルセルクと一緒に登場し、片足を槍で傷つけられているのが特徴となる。青銅器時代の、おそらく儀式用と思われるツノつき兜と形状が一致しており、この時代にも似たようなものが使われていたと言えそうだ。
少数ながらツノつき兜の実例があること、儀式に使われたと推測されていることが分かると思う。ヴァイキング時代のものじゃないじゃないか! と食って掛かる人には、そもそもヴァイキングの兜とされてるものだってヴェンデル時代のものでヴァイキング時代より前ですやん… と教えてあげると、だいたい黙ると思う(笑) そもそもヴァイキング時代の兜で現存してるものが少ないのだ。前後の時代のものだって貴重な資料となりうる。というか、キッチリ9世紀から11世紀で区切ろうとすると、資料が少なすぎて何も研究できない。
ヴァイキングの装備品は、ほとんど実物が見つかっていない。装備品は、タペストリーとか写本の挿絵とか、石碑に描かれてる絵とかからの再現が主となっている。その中で、「ツノつきの兜は戦闘時には被ってなかったっぽい」ということになっているのだ。
再現イラストではこんな感じ。
先に挙げた20世紀初頭までのイメージから、がらりと変わっていることが分かると思う。そう、イメージなど、時代によって、研究の進み具合によって変わって当然なのだ。"現在は"これが正しい。おそらくこの先もそう大きく変わることはないと思われるが、ヴァイキングは、「普段の戦闘では」ツノつきの兜は被っていなかった。ただし、ツノつき兜が全くの架空の存在だったわけではないのだ。
******
というわけで結論となる。
ヴァイキングは、儀式の時は角つき兜を被ります!
どうしてもこれが言いたかったのだ。存在しているものを存在しないと言ってはならない。ツノつき兜は確かに存在した。ただそれが、実戦用の兜ではなく儀式用の兜だったというだけで。
「ヴァイキングはツノつき兜を被らない」もしくは「ツノつき兜は実在しない」と言っている人は、たぶんちゃんと調べずにウロ覚えで言っちゃってるだけだと思われ。「戦闘の時は被らないけど儀式用のツノつき兜は実在する」、現在のところ、これが最も正解に近いと思われる答えとなります。
よろしくどうぞ。
******************************
【よくあるQ&A】
●ヴァイキング時代にツノつき兜の実物が無いのなら、存在しなかったのでは?
本文中に述べたように、「ヴァイキング時代」に属する兜は、ツノがついていない兜でさえほとんど存在しません。私が知る例はたった一つです。その兜をもって再現された絵が、現在出回っている"ヴァイキング"の絵だったりします。果たしてたった一つの例を持って再現されたものが本当に「一般的な」ヴァイキングの姿だったでしょうか?
次にくるのは、「でも、前後の時代の兜も似たような形状じゃないか」という反論です。ということは、前後の時代も装備品の形状は大して変わらなかったということです。前後の時代まで含めれば、提示したように、ツノつき兜は存在します。
●実在する兜は青銅器時代のものだったりして、古過ぎませんか?
2世紀あたりのものだと確かに離れているという感想を抱かれますが、近い時代にサットン・フー出土の兜に描かれたツノつき兜をかぶって踊る人物図があります。そして兜に描かれている人物の被るツノつき兜は、デンマーク出土のツノつき兜によく似ています。サットン・フーの兜はヴァイキング時代のものではなくその前ですが、「ヴァイキングの兜の代表例」としてよく提示されています。ヴァイキング時代のものではないこの兜をヴァイキング時代のものに含めるのなら、そこに描かれている図柄もヴァイキング時代まで引き継がれていたと解釈すべきだと思います。でなければダブスタになってしまいますので。
●でも図だけですよね?
古代史・中世史においては、実物の存在するモノのほうが少ないです。古い時代の民俗の多くが、タペストリの絵や岩絵の線画、近隣の類似する文化などから再現されています。「実物が存在しないから、無かったんだ」という理屈では、モノの残りにくい古い時代の研究は、ほとんどが実在の証拠がとれないとして消えてしまいます。ふとえば古代エジプトのファラオの王冠はモノとしては実在しませんが、壁画に描かれているから使われていただろうと考えられます。
また、証拠となるモノが存在したとしても、それが一般的であったかどうかは別の話です。たとえば"アンティキティラの機械"と呼ばれている高精度カレンダーは、たまたま現代に残っていますが、それが古代世界で一般的だったとは考えられません。
モノが残っていることと、かつて実際に存在したことの実証は別であると考えています。
●結局、ツノつき兜が儀式に使われていたと断言できる根拠は何?
・少数ながら実物が存在する
・ヴァイキング時代に近い時代に儀式の様子が図示されている
という事実を合わせて考えるに、「存在したと看做すのが妥当であろう」という判断です。使われてないものを描くとは思えないですから。また、ツノつき兜を被って踊る人物の側には獣の皮を被ったベルセルクらしき人物がいたり、ツノつき兜をかぶった人物が槍で自傷行為を行っているのが、知恵を得るためにオーディンが自らを傷つけた神話を連想させたりと、ヴァイキングたちの文化の文脈上で理解できそうなのも根拠となると考えます。
●その他の余計な予備知識
本文中にもちょろっと書いたとおり、ツノつきの兜を被ったカッコいいヴァイキング像はナチスの宣伝にも使われてしまったので、ヨーロッパ人にとっては否定したい歴史の一部なんだと思います。だから必要以上に「本当はヴァイキングはツノつき兜なんか被ってなかった」と強調してくるのかも? あと、「ヴァイキングは本当はならず者なんかじゃなかった」も強調してきますが、それはヴァイキングの子孫を自称する北欧諸国と不和を起こさないためでしょうね。
ドイツでは、ワーグナーの戯曲を上演するときに敢えて、かつての"伝統的な"衣装を外してきますが、それも「愛国心を煽るような演出になってしまうから」といった政治的な配慮からではないかと予想しています。我々第三国は、そこらへんのヨーロッパのお国事情とか政治的配慮とかに無駄に囚われる必要ないと思いますよ。
が、この「ヴァイキングのツノつき兜」のイメージ、実は日本ローカルのイメージではない。ヨーロッパはもちろんのこと、本場の北欧ですらツノつき兜のイメージが強く、「史実としてはそんなもん被って戦っていなかった」と、向こうでも同じように耳タコになるくらい言われていたりする(笑)
では、このイメージってどこから来たのか…?
答えは19世紀の以下の流れである。
・文化復興、ナショナリズムの高まりに合わせて本場で作られた強そうでカッコいいヴァイキングのイメージがツノつき兜のヴァイキングだった
・絵画では主にイギリスのヴィクトリア朝。絵画に描かれるヴァイキングにツノつき兜が好んで描かれた
ヴァルキリーの羽根つき兜がワーグナーあたりからの流れであったことを思い出してほしい。ツノつき兜の戦士のイメージも、その流れの延長に位置している。
絵画で見てみよう。たとえば、19世紀から20世紀初頭に活躍したイギリスの画家、Charles Ernest Butlerのこちらの作品。
羽根つき兜、ツノつき兜の戦士たちがいるのが見てとれると思う。鎧も、史実とは違ってイメージ優先に選ばれている。ちなみにヴァイキングが金髪で描かれているのも特徴で、この時代から、ヴァイキングは「金髪・白人で背の高い」いわゆるアーリア人種に固定される。(実際は赤毛の北欧人も一杯いるんだけど)
ヒトラーのドイツ帝国はアーリア人種は優れているとし、自分たちはその血を継ぐ世界の支配者であると論じたが、理想的なアーリア人種で描かれるヴァイキングは、ドイツ人の祖先ともなっていったのだ。
19世紀の流れは、そのまま20世紀へと引き継がれる。20世紀はじめの子供用絵本のヴァイキングは、金髪の白人でツノつき兜を被ったイケメン戦士である。(笑)
というわけで、ツノつき兜のヴァイキングは、比較的近代に意図して作られたイメージであると言える。
ここまでは歴史の話。
で、ここからが考古学の話となる。
「じゃあツノつき兜ってどっから出てきたのよ。」
何も元ネタがないのに、いきなりそんなもんが出てくるわけはないんである。
「角つき兜は存在する」
「ただしヴァイキングの日常用品ではなく儀式用。」
ここでひとつ注釈を入れると、ヴァイキング時代と呼ばれているのは、実際にヴァイキング行が盛んに行われていた「9世紀~11世紀」である。よって、その前後の時代は厳密にはヴァイキング時代でない。しかし時代が変わったからといって、突然、武装がガラリと変わるなどということはありえない。前後の時代も似たような装備を使っている、ということを念頭に置いておくといい。
その上で言うならば、実はヴァイキングの兜として出回っている写真の大半は、スウェーデンのウップランドにあるヴェンデル墓群の出土品である。年表にある「ヴェンデル時代」の名の元になった遺跡だ。つまり、ヴァイキング時代のものではなく、それよりちょっと前のものとなる。なんでその遺跡のものがよく出回ってるかというと、珍しく土葬の遺跡で、遺物の残りが良かったから。
他によくヴァイキングの兜として写真の出回っている有名なイングランドのサットン・フーの遺跡はイースト・アングリアの王レッドワルトの埋葬とされ、7世紀のもの。つまり、これもヴァイキング時代より前の遺跡なのだ、
そして、それら「ヴァイキング時代のもの」とされている、実際は時代の異なる兜たちと同時代に存在した、ツノつき兜の実例は以下の通りである。
こちらが大英博物館所蔵のツノつき兜。時代は紀元前150年から紀元後50年あたりとやや早いが、一つの例としてあげておく。
こちらがデンマークのナショナル・ミュージアム所蔵のツノつきヘルメット。
http://en.natmus.dk/historical-knowledge/denmark/prehistoric-period-until-1050-ad/the-bronze-age/the-viksoe-helmets/
そしてこちらが、サットン・フーの遺跡から見つかっている兜と、兜に刻まれた模様の中でツノつき兜の人物が踊っている様子である。
http://www.vikingrune.com/2009/10/odin-as-weapon-dancer/
これは「bird-horn」と呼ばれていて、さきっちょが鳥の形になっているツノだ。獣の皮をかぶったベルセルクと一緒に登場し、片足を槍で傷つけられているのが特徴となる。青銅器時代の、おそらく儀式用と思われるツノつき兜と形状が一致しており、この時代にも似たようなものが使われていたと言えそうだ。
少数ながらツノつき兜の実例があること、儀式に使われたと推測されていることが分かると思う。ヴァイキング時代のものじゃないじゃないか! と食って掛かる人には、そもそもヴァイキングの兜とされてるものだってヴェンデル時代のものでヴァイキング時代より前ですやん… と教えてあげると、だいたい黙ると思う(笑) そもそもヴァイキング時代の兜で現存してるものが少ないのだ。前後の時代のものだって貴重な資料となりうる。というか、キッチリ9世紀から11世紀で区切ろうとすると、資料が少なすぎて何も研究できない。
ヴァイキングの装備品は、ほとんど実物が見つかっていない。装備品は、タペストリーとか写本の挿絵とか、石碑に描かれてる絵とかからの再現が主となっている。その中で、「ツノつきの兜は戦闘時には被ってなかったっぽい」ということになっているのだ。
再現イラストではこんな感じ。
先に挙げた20世紀初頭までのイメージから、がらりと変わっていることが分かると思う。そう、イメージなど、時代によって、研究の進み具合によって変わって当然なのだ。"現在は"これが正しい。おそらくこの先もそう大きく変わることはないと思われるが、ヴァイキングは、「普段の戦闘では」ツノつきの兜は被っていなかった。ただし、ツノつき兜が全くの架空の存在だったわけではないのだ。
******
というわけで結論となる。
ヴァイキングは、儀式の時は角つき兜を被ります!
どうしてもこれが言いたかったのだ。存在しているものを存在しないと言ってはならない。ツノつき兜は確かに存在した。ただそれが、実戦用の兜ではなく儀式用の兜だったというだけで。
「ヴァイキングはツノつき兜を被らない」もしくは「ツノつき兜は実在しない」と言っている人は、たぶんちゃんと調べずにウロ覚えで言っちゃってるだけだと思われ。「戦闘の時は被らないけど儀式用のツノつき兜は実在する」、現在のところ、これが最も正解に近いと思われる答えとなります。
よろしくどうぞ。
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【よくあるQ&A】
●ヴァイキング時代にツノつき兜の実物が無いのなら、存在しなかったのでは?
本文中に述べたように、「ヴァイキング時代」に属する兜は、ツノがついていない兜でさえほとんど存在しません。私が知る例はたった一つです。その兜をもって再現された絵が、現在出回っている"ヴァイキング"の絵だったりします。果たしてたった一つの例を持って再現されたものが本当に「一般的な」ヴァイキングの姿だったでしょうか?
次にくるのは、「でも、前後の時代の兜も似たような形状じゃないか」という反論です。ということは、前後の時代も装備品の形状は大して変わらなかったということです。前後の時代まで含めれば、提示したように、ツノつき兜は存在します。
●実在する兜は青銅器時代のものだったりして、古過ぎませんか?
2世紀あたりのものだと確かに離れているという感想を抱かれますが、近い時代にサットン・フー出土の兜に描かれたツノつき兜をかぶって踊る人物図があります。そして兜に描かれている人物の被るツノつき兜は、デンマーク出土のツノつき兜によく似ています。サットン・フーの兜はヴァイキング時代のものではなくその前ですが、「ヴァイキングの兜の代表例」としてよく提示されています。ヴァイキング時代のものではないこの兜をヴァイキング時代のものに含めるのなら、そこに描かれている図柄もヴァイキング時代まで引き継がれていたと解釈すべきだと思います。でなければダブスタになってしまいますので。
●でも図だけですよね?
古代史・中世史においては、実物の存在するモノのほうが少ないです。古い時代の民俗の多くが、タペストリの絵や岩絵の線画、近隣の類似する文化などから再現されています。「実物が存在しないから、無かったんだ」という理屈では、モノの残りにくい古い時代の研究は、ほとんどが実在の証拠がとれないとして消えてしまいます。ふとえば古代エジプトのファラオの王冠はモノとしては実在しませんが、壁画に描かれているから使われていただろうと考えられます。
また、証拠となるモノが存在したとしても、それが一般的であったかどうかは別の話です。たとえば"アンティキティラの機械"と呼ばれている高精度カレンダーは、たまたま現代に残っていますが、それが古代世界で一般的だったとは考えられません。
モノが残っていることと、かつて実際に存在したことの実証は別であると考えています。
●結局、ツノつき兜が儀式に使われていたと断言できる根拠は何?
・少数ながら実物が存在する
・ヴァイキング時代に近い時代に儀式の様子が図示されている
という事実を合わせて考えるに、「存在したと看做すのが妥当であろう」という判断です。使われてないものを描くとは思えないですから。また、ツノつき兜を被って踊る人物の側には獣の皮を被ったベルセルクらしき人物がいたり、ツノつき兜をかぶった人物が槍で自傷行為を行っているのが、知恵を得るためにオーディンが自らを傷つけた神話を連想させたりと、ヴァイキングたちの文化の文脈上で理解できそうなのも根拠となると考えます。
●その他の余計な予備知識
本文中にもちょろっと書いたとおり、ツノつきの兜を被ったカッコいいヴァイキング像はナチスの宣伝にも使われてしまったので、ヨーロッパ人にとっては否定したい歴史の一部なんだと思います。だから必要以上に「本当はヴァイキングはツノつき兜なんか被ってなかった」と強調してくるのかも? あと、「ヴァイキングは本当はならず者なんかじゃなかった」も強調してきますが、それはヴァイキングの子孫を自称する北欧諸国と不和を起こさないためでしょうね。
ドイツでは、ワーグナーの戯曲を上演するときに敢えて、かつての"伝統的な"衣装を外してきますが、それも「愛国心を煽るような演出になってしまうから」といった政治的な配慮からではないかと予想しています。我々第三国は、そこらへんのヨーロッパのお国事情とか政治的配慮とかに無駄に囚われる必要ないと思いますよ。