インド洋に消えた古代文明という幻、トール・ヘイエルダール「モルディブの謎」
モルディブというのはインドのとがってるとこのちょっと左側にいっぱい散らばってる群島の国である。
海がキレイでカツオがたくさんとれる。今では完全に観光地化されてバリやプーケットみたいな雰囲気になっている。ムスリムが多いのだが、インドが近かったぶんかつては仏教が伝来されており、仏教遺跡が多少生き残っている。たとえばこういうやつ。
モルディブは、かつて仏教国だった…今では"常識"とも呼べる話だが、そもそも仏教遺跡がそこにあることすら公にあまりに知られてないような時代だと、「えっ何?! 何でこんなものがここにあるの! ファック、これはきっと知られざる古代文明の遺跡に違いない!!」みたいな明後日な説も出てくることがあった。
というわけで、そんな明後日な説になってしまった本がこれ。
トール・ヘイエルダールは著名な探険家である。
コン・ティキ号による太平洋の横断や、ラー号による大西洋の横断で知られている。詳細は以下に書いたとおりだが、ヘイエルダールが信じた説とは、「世界中の古代文明は海を通じて繋がっていた」というものである。コン・ティキ号の冒険はインカなどを築いた南米のアンデス文明がイースター島に伝わっていたことを証明するために、ラー号の冒険はエジプト人がアメリカ大陸に文明を伝えたことを証明するために行われた。
トール・ヘイエルダールの冒険記「アク・アク」を読んでみた。
https://55096962.seesaa.net/article/201406article_7.html
そして、その説の延長線上にあるモルディブの冒険は、メソポタミアやインダス文明がインド洋を伝ってアジアへと繋がっていたことを証明するために行われた。だから彼は、モルディブで発見された仏教遺跡に(存在しない)インダス文明の痕跡を見出し、(実際は仏舎利塔である)遺跡をメソポタミアのジッグラトになぞらえ、太陽神殿だと解釈した。
というわけで内容はトンチンカンであり、今となっては学術的に学ぶところはあまりない。発刊された1995年は今から20年前であるが、確かグラハム・ハンコックの「神々の指紋」なんかが人気を博したのもそのへんの時代ではなかっただろうか。こういう、空想に空想を重ねて明後日の方向にいってしまう、小説モドキの"ノンフィクション"が流行る時代だったのだろうか。
ただ面白いのは、ヘイエルダールが「モルディブに太陽神殿を見つけたぞ!!」と主張した直後から、日本人が「いやそれ仏教遺跡じゃね…?」と動き出したところなんである。
それがこちらの本になる。
ただし、半分以上は著者がモルディブで暮らしていた頃の回想と「突撃モルディブの晩御飯(主にカツオ)」である。
遺跡に関する記述は物凄く少なく、写真や図にしても出てこない。結論を出すのに大した時間も研究も必要なかったからだ。そのくらい単純明快な話なのである。
「なんだこれは、仏舎利塔じゃないか」
というセリフが本の中で2回出てくる。見ればすぐ分かるようなものだったのだ…。
ヘイエルダールが象形文字だと考えたものも実はよくあるブッダの足跡を模したもの。インダス文明がモルディブに伝播していた証拠とされたものも、すべてあっさり仏教遺跡であることが看破される。だからこの本は、現地に行くまでの「旅行記」にしかならなかった。複雑な思考も、大掛かりな検証も、読者を納得させるためのロジックも必要なく、単に「見れば分かる」という類のものだったのだから。
だが、仏教遺跡を見慣れた日本人でなければ、そこまで断言は出来なかっただろうとも思う。疑問を抱いても、わざわざ現地まで確かめに行くことは難しい。現地まで確認しにいった行動力、こちらの著者もやはり冒険者である。
今となっては当たり前となってしまったことが、当たり前ではなかった時代の勘違い。
――しかし、ヘイエルダールは知られざる遺跡の存在を世に発表し、その意味を問いかけた。そこだけは、評価されてしかるべきだろうと思う。
*******
トール・ヘイエルダールは、あらゆる意味で「可能性」と「立証」の意味を理解しなかった人物であった。冒険家として有名ではあったが、学者としての理論はガバガバである。荒唐無稽で殆どが単なる夢物語に過ぎない。
しかし、彼の業績には一つ尊敬に値することがある。
それは どんな冒険からも必ず生還した ということだ。
植村直己をはじめとして、有名な冒険者たちの多くが、最期の時を冒険の途中に迎えた。しかしヘイエルダールは、90歳近くになって自宅で大往生した。
戦いに死ぬことを名誉とし、床で死ぬ「藁の死」は恥とした古代北欧のヴァイキングの子孫としてはある意味皮肉なことかもしれないが、人間としてはこれで正解である。冒険者は冒険で死んではいけないのだ。
考古学者や民俗学者としてはオカルトの領域だが、冒険者としては一流であった。
これは、そんな男が晩年に挑んだ、彼の脳内にしかない"幻の文明"を追いかけた美しい幻想の記録だと言えよう。
海がキレイでカツオがたくさんとれる。今では完全に観光地化されてバリやプーケットみたいな雰囲気になっている。ムスリムが多いのだが、インドが近かったぶんかつては仏教が伝来されており、仏教遺跡が多少生き残っている。たとえばこういうやつ。
モルディブは、かつて仏教国だった…今では"常識"とも呼べる話だが、そもそも仏教遺跡がそこにあることすら公にあまりに知られてないような時代だと、「えっ何?! 何でこんなものがここにあるの! ファック、これはきっと知られざる古代文明の遺跡に違いない!!」みたいな明後日な説も出てくることがあった。
というわけで、そんな明後日な説になってしまった本がこれ。
トール・ヘイエルダールは著名な探険家である。
コン・ティキ号による太平洋の横断や、ラー号による大西洋の横断で知られている。詳細は以下に書いたとおりだが、ヘイエルダールが信じた説とは、「世界中の古代文明は海を通じて繋がっていた」というものである。コン・ティキ号の冒険はインカなどを築いた南米のアンデス文明がイースター島に伝わっていたことを証明するために、ラー号の冒険はエジプト人がアメリカ大陸に文明を伝えたことを証明するために行われた。
トール・ヘイエルダールの冒険記「アク・アク」を読んでみた。
https://55096962.seesaa.net/article/201406article_7.html
そして、その説の延長線上にあるモルディブの冒険は、メソポタミアやインダス文明がインド洋を伝ってアジアへと繋がっていたことを証明するために行われた。だから彼は、モルディブで発見された仏教遺跡に(存在しない)インダス文明の痕跡を見出し、(実際は仏舎利塔である)遺跡をメソポタミアのジッグラトになぞらえ、太陽神殿だと解釈した。
というわけで内容はトンチンカンであり、今となっては学術的に学ぶところはあまりない。発刊された1995年は今から20年前であるが、確かグラハム・ハンコックの「神々の指紋」なんかが人気を博したのもそのへんの時代ではなかっただろうか。こういう、空想に空想を重ねて明後日の方向にいってしまう、小説モドキの"ノンフィクション"が流行る時代だったのだろうか。
ただ面白いのは、ヘイエルダールが「モルディブに太陽神殿を見つけたぞ!!」と主張した直後から、日本人が「いやそれ仏教遺跡じゃね…?」と動き出したところなんである。
それがこちらの本になる。
ただし、半分以上は著者がモルディブで暮らしていた頃の回想と「突撃モルディブの晩御飯(主にカツオ)」である。
遺跡に関する記述は物凄く少なく、写真や図にしても出てこない。結論を出すのに大した時間も研究も必要なかったからだ。そのくらい単純明快な話なのである。
「なんだこれは、仏舎利塔じゃないか」
というセリフが本の中で2回出てくる。見ればすぐ分かるようなものだったのだ…。
ヘイエルダールが象形文字だと考えたものも実はよくあるブッダの足跡を模したもの。インダス文明がモルディブに伝播していた証拠とされたものも、すべてあっさり仏教遺跡であることが看破される。だからこの本は、現地に行くまでの「旅行記」にしかならなかった。複雑な思考も、大掛かりな検証も、読者を納得させるためのロジックも必要なく、単に「見れば分かる」という類のものだったのだから。
だが、仏教遺跡を見慣れた日本人でなければ、そこまで断言は出来なかっただろうとも思う。疑問を抱いても、わざわざ現地まで確かめに行くことは難しい。現地まで確認しにいった行動力、こちらの著者もやはり冒険者である。
今となっては当たり前となってしまったことが、当たり前ではなかった時代の勘違い。
――しかし、ヘイエルダールは知られざる遺跡の存在を世に発表し、その意味を問いかけた。そこだけは、評価されてしかるべきだろうと思う。
*******
トール・ヘイエルダールは、あらゆる意味で「可能性」と「立証」の意味を理解しなかった人物であった。冒険家として有名ではあったが、学者としての理論はガバガバである。荒唐無稽で殆どが単なる夢物語に過ぎない。
しかし、彼の業績には一つ尊敬に値することがある。
それは どんな冒険からも必ず生還した ということだ。
植村直己をはじめとして、有名な冒険者たちの多くが、最期の時を冒険の途中に迎えた。しかしヘイエルダールは、90歳近くになって自宅で大往生した。
戦いに死ぬことを名誉とし、床で死ぬ「藁の死」は恥とした古代北欧のヴァイキングの子孫としてはある意味皮肉なことかもしれないが、人間としてはこれで正解である。冒険者は冒険で死んではいけないのだ。
考古学者や民俗学者としてはオカルトの領域だが、冒険者としては一流であった。
これは、そんな男が晩年に挑んだ、彼の脳内にしかない"幻の文明"を追いかけた美しい幻想の記録だと言えよう。